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yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

朗報!!  永井路子さん和島誠一賞受賞の条

2006-06-02 12:18:59 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
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(東院跡の調査をご覧になる永井さん。残念ながらこの素晴らしい遺跡は、心ない人々の妨害やプライドによって破壊されてしまった。かわいそうな「遺跡」である。悔しいことに私の家から真正面にいつも見える。永井さんは最後の最後まで強く保存を求めて下さった。)

 昨日永井路子さんからお便りを頂いた。久しぶりのことでなんだろう?とワクワクしながら読んでみると嬉しいニュースであった。文化財保存全国協議会が全国の文化遺産の保存・保全に努めた方(団体)を表彰する和島誠一賞に選ばれたというのである。これまでにも直木孝次郎先生、佐原真さん、門脇禎二先生など蒼々たるメンバーが受賞されている。小説家では初めての受賞という。

 やった!当然!!  う! れ! し! い!!




(真夏の久留倍遺跡にて。永井さんご夫妻をご案内する。)

 その受賞理由に長岡京東院の保存運動、そして最近の久留倍遺跡の保存のための御活動も入っているという。もちろんそうでしょう。だってあれだけ精力的に、本当に、手弁当で、何回も長岡京や四日市においで下さったんですもの!それもいつもご主人の黒板伸夫先生とお二人で。手弁当どころか、保存のための活動にカンパまで下さって、こんなに真剣に遺跡の保存のために尽力下さった作家の方にお会いしたことがない(とは言っても、私の知っている作家の先生は永井さんだけなんですが・・・)。


(第1回久留倍遺跡シンポジウムでのご講演)

 長岡京東院(勿論旧東院ですよ!)の時には朝日新聞に書いて下さった東院の持つ意味、その保存の必要性を訴えて下さった文章が当時の市長や教育長の心を動かし、中枢部を残してもらうことになったのです。
 そして新東院の調査の時も、直ぐに駆けつけて下さって、保存を訴えて下さり、東京でのシンポジウムにも出て下さって、いろんな形で保存を訴えて下さったんです。
 でもこっちの方は、名前を書くのもむかつく「○×電産」の無理解、心ない調査員の保存運動への妨害、そして地元教育委員会教育長の無理解と小心によって、無惨にも破壊されてしまったのです。永井さんも東院の破壊には本当に心を痛めておられました。文字資料まで出て延暦12年に桓武が遷った東院がそこだというのに、・・・。

 だから、久留倍遺跡の保存問題が起こった時に、永井さんに講演をまたお願いするのが心苦しくて、どうしようかと随分悩んだものです。でも思い切ってお便りすると、二つ返事でお引き受け頂き、現地を見たいからと、ご講演の前の月に事前に、真夏の炎天下の遺跡に足を運んでいただいたのです。勿論その頃はまだ遺跡がどうなるかも分からず、「また破壊されたらどうしよう・・」、等と内心ヤキモキしていたのです。

 その後の講演会では会場が満員で座る余地もないほどの盛況、でも、一言
 「山中さんにはつい騙されて、こうして引っ張り出されるんですよ・・・・。」
 これは堪えた。「なんとか久留倍遺跡を遺さねば・・・、朝明頓宮の証拠品を出さねば・・・。」しかし一つはなんとかクリアーしたものの、朝明頓宮説には未だに決定打がなく、永井さんにお応えできていない。まだ出ないんですよ、木簡!すみません(こんなところで謝っても仕方ないか、永井さんがブログ見るわけも無し)。

 でも、今回の受賞で、少しは許して頂けるかも・・・。

 とにかく、久留倍遺跡の国史跡指定の報よりも、もっともっと嬉しいニュースだった。

 心から

「おめでとうございます!」

と申し上げたい。そして永井さんのお陰で遺った2カ所の遺跡、旧東院と久留倍遺跡にかわって厚く厚く御礼申し上げたい。表彰式は6月11日(日)千葉市市民会館で行われるという。残念ながら私は当日学生を連れて合宿研修をしなければならず、駆けつけることができない。いずれ、朧谷先生と相談して、10年会で東京に押しかけて「勝手祝賀会」をしようと思う。ネ、いいでしょう、皆さん。


(志デ(氏の下に横棒)神社にて、ご夫妻、朧谷先生と)

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