yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

レバノンレポート-4 Ramale Site の調査と考古総局の条

2009-03-01 00:00:00 | 歴史・考古情報《西欧》-2 その他
ラマリの墓地群から見下ろすTyr市内は絶景でした。恐らくこの地に墓地を選んだ人々もこの景観が大いに影響したものと思われます。

人気ブログランキングへ



(Tyr市内はこの右手丘の下に広がっています。比高100mくらいでしょうか?なかなかの景色に沢山の墓地が設けられていました。)

 今回の発掘調査はK大学の科研によるもので、このラマリの地から発見されている墓地群の一つを調査することでした。残念なことに最初目指したものは墓地でないことが分かり、次いで調査対象としたものが、盗掘は受けていますが、墓の一部だと判ったものでした。



(既に発掘調査がなされ、保存措置が講じられている墓の状況です。壁画が残っていました)

 私は今回次年度以降にレバノンの地で測量可能な状況かどうかを確認するために参ったものですが、私が到着したときには発掘調査自体は終了しており、その詳細はよく判りませんでした。ただし、来年度の私たちの測量調査計画がどの様に実施可能なのか、何ができるのかなどを探るために現地を確認しました。



(こうしたいくつもの墓室が穿たれ、家族墓として利用されたそうです。これは日本の技術協力によって保存されたものだそうです。)

 その結果、これまでにみてきたTyrのローマ時代を中心とした都市遺跡とこの墓地群が大いに関係していることが分かり、その意義が判明しました。特に私自身が興味を抱いたのは、RamaleSiteが石材の切り出し場でもあることでした。ところがこれまでは残念なことにそのルートは全く分析されていませんでした。



(この様な石棺が納められる場合もありました。)



 CitySiteの道路遺構の測量と共にとても興味深い問題が手つかずのままに残っていることが判ったのです。こうした点を追求すれば東アジアと西アジアの「都市」空間の形成という大きなテーマに一定のヒントを与えてくれるように思います。これからしばらく準備をして実行に移せるか否か考えていきたく思っております。



(高速道路の建設計画の中で周辺遺跡の調査を行いこのお墓が見付かったそうです。道路は計画を変更して遺跡外に再検討中です。どこかの国とは大違いですね。悲しい!!)


(この先のビル群が現在の市内です)
百済の地に入って今日で4日目。ちょうど真ん中です。この記事は日本を出る前に予約投稿しておきました。またインターネットが不通になるといやなので・・・。百済情報はまた後日。 

人気ブログランキングへ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。