yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

イタリア比較都市研究-1ローマ・テヴェレ川の辺へ着くの条

2011-04-03 03:15:14 | 歴史・考古情報《西欧》-2 その他
 新年度が始まっても東北地方の惨状を見ているととても新たな気持ち、というわけにも行かない今日この頃である。久しぶりの書き込みなのだが、この間の行動をまとめてアップしていくことにする。

 それも、人が苦しんでいるときのイタリア旅行記である。お許し下さい。

 実は、下記のような日程でイタリアへ都市比較研究のための踏査に行って来たのです。震災直後で、息子も福島へ派遣され、あまりいい気分ではありませんでした。辞退も考え、相談したのですが、直接の被害がない状態で辞退をすると、年度末ですので、予算執行に問題が生じ、主催者にご迷惑がかかるということで、ぎりぎりの18日に決断し、行くことにしました。

 そんなことですので、ブログの更新も、予告もせずに行っておりました。到着当初はネット環境もよかったのですが、その後不通になり現地からレポートすることができませんでした。このため、あちこちからメールや電話が入り、いろいろご迷惑をおかけいたしました.深くお詫び申しあげます。 
 東北で苦しんでおられる方々には申し訳ないのでが、とても充実した13日間でした。おおよその旅程は以下の通りです。

 19日(土) 関西空港発14時10分のアリタリア航空AZ793便にてローマフィウミチーノレオナルドダビンチ空港に向け出発。時差8時間のため到着は当日の19時05分予定。約13時間の長旅である。
 20日(日) カラカラ浴場&オスティア遺跡
 21日(月) ローマ市内に点在する主に南部の城壁跡を踏査。
 22日(火) ティボリに所在するハドリアヌスの別荘跡と1550年にイッボリト・デステ枢機卿が修道院を改築して別荘とした庭を見学。建築家ビッリ・リゴリオが、テイボリ川の水を引き込んで造ったという噴水庭園を踏査。
 23日(水) ローマ市内の著名な遺跡、コロッセオ、フォロ・ロマーノとパラティーノの丘、パンテオン、フォロ・トライアーノ、マッシモ宮博物館等踏査。
 24日(木) アッピア街道・カタコンベを踏査
 25日(金) ローマ市内の北部に残る城壁を踏査。ほぼ城壁を一周する。
 26日(土) ローマ市内の補足踏査。フォロロマーノ、ローマ時代の市場跡、コロッセオ外周を踏査。
 27日(日) 11時のユーロスターでナポリへ移動。約1時間の列車の旅。午後 エルコラーノ(ヘルクラネウム)遺跡踏査。
 28日(月) ナポリ市内地下ローマ遺跡の踏査。午後 ナポリ考古博物館の遺物調査。
 29日(火) ポンペイ遺跡を終日踏査。(10時~16時)
 30日 (水)  11時発ナポリ空港から国内線を乗り継いでローマフェウミチーノ空港へ。14時55分発関西空港行きのAZ792便にて帰国。
 31日(木)  9時30分到着予定。

 おおよそこんな予定での出発であった。直前まで科研費の報告書作りや様々な書類作成やらで、結局いつもの通り、なんの事前勉強もせずのぶっつけ本番の旅となった。折角大量の資料をスキャンし、ダウンロードできるようにして頂いていたY大学のHY先生には本当に申し訳ない次第であった。メンバーはいつもの通りのHY先生に加えて同大学のMP先生の三人であった。当初は東北地方のY大学のAM先生もご参加の予定であったが、直接の被害はなかったものの、流石に東北途方からは参加しにくいとのことで、直前のキャンセルとなった。

 19日(土)出発時の関西空港は大変な人出でした。特に中国行きの飛行機は中国人で超満員の様子でした。アリタリア航空の飛行機で約13時間。イタリアとの時差は8時間です(ただし、3月27日からは夏時間が始まるということで少々混乱もしました)。同じ19日の夕刻に無事到着し、迎えのアシスタントの案内でホテルへ。47ホテルという比較的新しい、遺跡にとても近い近代的なホテルでした。夕食も採らずに、9時過ぎには就寝しました。



 ホテルの部屋のベランダから



 ホテルから見えるヴェスタ神殿



 ホテル前の古跡庁



 とっても素敵な町並みの中に溶け込んだホテルでした。


 しばらくこのシリーズを続けます。

 ただし、明日は名古屋古代史部会での我が学生二人を含む中部地方の学生の卒論発表会なので、お休みします。あしからず。

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