yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

第2次レバノン報告-5 ANJARの魅力の条

2010-03-19 10:54:32 | 歴史・考古情報《西欧》-2 その他
 2月28日には、念願のバールベックへ行った。昨年は雪のために行けなかったので初めての訪問である。


 ベイルート-テイールが80キロ、テイール-アンジャルが80キロ、アンジャル-バールベックが40キロ、バールベック-ベイルートが50キロバールベック往復が約六時間の長旅だった。シリアの首都ダマスカスまでアンジャルからわずか40キロ足らずだという。

 途中1200mの高原を超えていくので、雪が心配だったが、悪い予感が大的中!道が最高峰に達した時には一面雪景色に変わっていた。まさかレバノンで雪景色が見られるとは思っていなかつたのでとても感動的だった。



 雪景色に変わった!



 パレスチナ人とレバノン人の混血という運転手は片言の英語しかわかりませんが、とても気さくないい人でした。



 途中この辺りで最も古いという教会に立ち寄りました。既に土砂降りでした。

 Anjar(アンジャル・アンジェル)は661年から750年まで栄えたイスラム王国最初の王朝ウマイヤ朝の頃設けられた保養地であり、交易地であり、宿泊所といった性格の町です。7世紀後半とも8世紀初めとも言われますがどちらが正しいのか手元の資料ではも一つ判りませんが、いずれにしろ日本で言えば天武天皇から文武天皇の頃奈良時代開始の頃にできた町のようです。
 町は南北にやや長い長方形で、周りを城壁で囲われ、その各辺の中央に門が設けられていました。



 北門を出るとバールベック方向、南門はパレスチナ、西門はベイルート、東門はダマスカスに通じていたといいます。

 南東のブロックが宮殿とモスク、北東が離宮の生活空間で風呂が附属していた。そして南西区が居住区で、商人達が住んでいたようだ。北西も基本は居住区のようだが、一角には葡萄酒工場が見付かっている。



 アンジャルには東西南北に直行する道路がありますが、これはその南北路です。



 南北路に沿って並ぶアーチです。アーケードのようなものでしょうか。





 それぞれの道路に沿って商店が軒を並べていたそうです。これは南北路に沿って並ぶ商店の入口です。



 商店の内部です。



 お風呂の焚き口とその前の部屋の床面です。奥に見えるアーチ状のものが竈のようです。ここからスチームが出てきます。



 もちろん雨でしたので大変でした!!とても寒くて!



 これが東西路だったかな?



 葡萄を搾った石臼。



バールベックに近くなった所に展開する石切場、その場に切り出せずに残った強大な石材



 レバノン国内では石灰質の石には事欠かないようであちこちにこうした石切場が存在する。



 ここまで切ったのに!!という感じかな。

 さてこれからいよいよバールベック!続きは次回

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