yaaさんの宮都研究

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洛陽踏査の旅-3pm 0812 整備された明堂・天堂の条

2013-09-01 18:11:13 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 12日の午後は明堂と天堂(円形建築遺址)の探索であった。両施設は2009年に訪れた時に既に整備に向かって発掘調査が進められていた。今回の訪問でその変容ぶりにとても興味があった遺跡である。

 2009年訪問時の発掘現場の概要説明版
 

 2009年時の天堂(円形建築遺址)中心施設の基礎部分
 

 天堂(円形建築遺址)は、中心柱の周囲は八角形の石で化粧され、その周りに直径14.8m。深さ2.5mの切石を積み上げた円筒状の坑が囲い、さらにその外側に二重に巡る柱列が確認できた。柱列は4枚一組の礎石によって基礎が構築され、内側のものは15基(14間)、外側のものは23基(22間)確認できる。



 2009年時まで公開されていた明堂の中心柱基礎
 

 その解説板
 

 2009年時に解体が始まっていた応天門西側門闕部分の状況
 
 この前の道が応天門の真ん中を南北に走る現在の道路である。2009年時にはこの道に沿って小さな店が並んでいたが、これが撤去され、発掘調査に備えてがれきの撤去を待っているところである。
 

 この状態でも西闋の南端部は確認できた。

 

 応天門東闋の方から西闋の解体現場を見たところ。

 

 発掘され、間もなく復元工事の始まる予定の応天門西闋


 応天門は唐代には設置されているが、その後明代に大規模な改修を受けているという。


 発掘調査によって南北三箇所、東西4箇所の闋によって構成されていることが判ったという。


 但しこれら石敷きの部分は明代の再建時のものである。


 西闋の西に延びる二段目の闋痕跡である。




 バスの左手に少し見えているのが現在発掘調査を終えて、整備を待ってる西闋の覆い屋である。


 

2009年段階で公開されていた応天門東側
 

 2013年の明堂・天堂(円形建築遺址)付近の町並み
 

 明堂と天堂(円形建築遺址)
 

 天堂(円形建築遺址)の復元建物の中に保存された遺跡
 

 明堂によって撤去された前代の建築物の回廊
 

 天堂(円形建築遺址)にも明堂にもまだ入ることができなかったが、説明をしてくれた方によると、建物と遺跡との関係は余り明確ではないとのことであった。建物はあくまで遺構を保護するためのもので、当時この様な建物であったかどうかについては資料がないので判然としないとのことであった。


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