lizardbrain

だらだらぼちぼち

審判の日 

2010年12月08日 14時27分36秒 | 音楽

たったの3回なのである。
ワタクシが、達郎ライヴに参戦したのは。
一度目は2002年、2度目は2008年12月、そして3度目が今年2010年9月だった。

それなのにやたら『達郎』、『達郎』と騒いでいる感のあるワタクシだが、他の純然たる達郎ファンの方々に対して、寝ても覚めても後ろめたさを感じてしまう事が1点だけある。
それが何かというと、よくよく考えてみると、ワタクシの達郎歴がアルバムで言うと『COME ALONG』あたりから始まった気配がするからなのだ。

もちろん、それ以前のシュガー・ベイブ時代は知っていたし、その後、EPOがシングルでシュガー・ベイブの『ダウンタウン』を歌ってヒットしたのには気づいていたが、小生意気なことを言うと、シュガー・ベイブのアルバムの音質は当時のワタクシの好みではなく、あまり熱心に聴いた記憶は無い。

この『COME ALONG』というアルバムは、ワタクシが手に入れた頃の形態はレコードではなく、カセットテープだった。
本来、このアルバムは、レコード店の店頭でのプロモーション用として、その時期に既に発売されていたアルバムから選曲した達郎の曲に、小林克也のDJトークなどでつないだ構成のLPレコードだった。
後に細君となる竹内まりやが、ハワイの女子大生役で小林克也扮するDJに電話リクエストする場面もあり、今聴いてみても面白い構成なのだが。
販促用なので本来は非売品だったが、後にカセット限定で発売されたのだ。
グラビア目当てで買ったわけではない週間プレイボーイ誌の記事で、この『COME ALONG』というアルバムがカセット限定で発売されると知り、その日を待ちわびてレコード店へ走ったのだ。
カセットでの限定販売のレア感もあって、当時ワタクシが乗っていたシビックで、ヘビーローテーションで回していたものだ。
車の中で使うのだから、実物のカセットテープを痛めては大変なので、友達からカセットデッキを借用して別のカセットにコピーしたのを使っていた。
あまりにも使い過ぎたために、コピーしたテープは、すぐにビヨ~ンと伸びてしまい、更に別のコピーを作って使いまわしていた。
それでも、原版のカセットテープは絶対にカーステレオではかけずに、大事に引き出しの中にしまっておいた。

最近のワタクシは、達郎のFM番組をよく聴いているが、番組内でこの『COME ALONG』というアルバムについて達郎が言及するのを聞いた事が無い。
そのあたりから推察すると、やはり達郎本人は、このアルバムをCD化するのには反対していたのではないだろうか?
レコードではなくカセットテープに限定して発売したあたりに、達郎の意思を感じてしまう。

という事は、本人が市販するのに反対していたCOME ALONG というアルバムから達郎入りしたワタクシは、異端のファン、もしくはファンもどきという事になるのだろうか?
という点が、冒頭に言ったワタクシが持つ後ろめたさで、これは、本人にとっては人生を揺るがす大問題なのだ、、、、、、、、、、





そういった後ろめたさを少々感じながら、9月19日、神戸での達郎ライヴから帰ったらば、ファンクラブから追加公演の案内葉書が届いていた。
ワタクシのスケジュールと照合すると、10月23日の中野サンプラザなら行けそうだ。
追加公演では、ファンクラブ優先枠が無く、チケットぴあが一括して取り仕切るので、
「当たるのは難しいだろうなぁ」
と覚悟の上で、チケットぴあの先行抽選販売にエントリーしてみた。
もしも、この抽選に勝ち上がってチケットをゲットできたならば、COME ALONG から始まった後ろめたさを断罪されたものと決定しよう、と思ったのだ。

果たして断罪されるか否か、、、、、、、、
と不安な気分のまま抽選発表の日、、、、、、、
つまり、審判の日、、、、

なんと、当選してしまったのだ

当選したという事は断罪されたという事であり、祝福されたわけである。
経済事情なんぞには目もくれず、大枚はたいてのぞみ号に乗って、おのぼりさんと化した10月23日のワタクシであった

          

         
中野駅を降りると、すぐに、中野サンプラザがそびえていた。
ここが達郎の本拠地なのか
と感慨にふけってみたが、中野サンプラザは意外とちっちゃいビルに収まっていた。
中野サンプラザは、ホールだけでなく結婚式場やホテルも併設しているので、中野サンプラザホテルに泊まることにした。
ホールの近くで安宿を見つける事がきなかったのだ。
おかげで、終演後の移動がすこぶる楽だった。



朝食を付けて1泊¥12,800のプランで予約したシングルルーム。
ワタクシがいつも泊まる¥5,000~¥6,000のビジネスホテルに比べると、ソファーを置くスペースの分、部屋が広い。
膝を抱えて縮こまって入る、いつものビジネスホテルより浴槽が2周りほど広かったので、リラックスして入浴できた

          

          
こうして、達郎の本拠地、夢の中野サンプラザでのライヴを観戦する事ができた。
そう、ワタクシのようなイナカモノにとっては、中野サンプラザは夢のまた夢だった。

セットリストは、あちこちのサイトに公開されているのでそちらを参照いただくとして、演奏曲目は、9月19日の神戸と同じで、達郎が話すMCの骨格はほぼ同じ。

神戸の時との違いを感じたのは、

まず、開演時にステージにミュージシャンが登場する時の拍手は、神戸より中野サンプラザの方が圧倒的に大きかった。
最後に達郎本人が登場した時の拍手のヴォリュームを100%とすると、まず小説家としても著名なキーボード奏者の難波弘之が先頭にステージに出た時から、会場の拍手のヴォリュームはすでに80%にまで上がっていた。
神戸の時は、最後に達郎が登場するまでは、こんなに大きな拍手じゃなかったと思う。

もうひとつ、
これは意外に感じたのだが、例の『Let's dance baby』のイントロが始まった時の観客の立ち上がり方が、神戸に比べると遅かった事。
この日の追加公演は、マスコミ招待枠もファンクラブ優先枠も無く、さらにコネもカオも効かない、まさしくチケットぴあでの正々堂々の1本勝負だった事が、見て取れた。
達郎もMCで、
「ようこそ、みなさん、中野サンプラザまで自力でおいでいただきました」
というような事を言っていたし。

神戸の時は、その時点での達郎ライヴの過去最良席、1階席の前から7列目だったが、今回の中野サンプラザでは、1階席5列目というさらなる最良席で観戦できたことがうれしくてならない。
達郎によると、中野サンプラザの音響改善のために、ステージ前のオーケストラピットをふさいでステージを前にせり出したのだという。
なのでその分、客席からステージが近くなったおかげで、アカペラ曲の時や静かな伴奏が流れる時などには、マイクに乗る前の達郎の肉声までが聴けたのだから。
だが、ワタクシにとって、一番理想的な座席位置は、やはり10列目辺りの真ん中だと思う。
このあたりに座ると、PAからの音響に耳が疲れる心配も無いし、『Ride on Time』で使う、例のミニタンバリンが飛んでくるのもこの10列目真ん中辺りの席なようだから。

だがだがしかし、

何よりも、さすがに達郎の本拠地サンプラザである。
神戸よりも、うんと音響が良かった事は間違いない
3人のバックコーラスの声も一人一人はっきり聴こえたし、全部の楽器が一斉に鳴っている時も音が固まらずに分離感も良くワタクシの耳に聞こえてきた。

今回は、ホントに偶然に、ワタクシの予定の空いている日に追加公演が設定された上に、もっと偶然にチケットを取る事ができたのでここに来れたわけで、ホントにラッキーだったと思う。

中野サンプラザ周辺には飲食店もたくさんあって、少なくとも2軒の中古CDショップも見つけたし、周囲に飲食店が見つからない大阪のNHKホールのように、グルメ難民に陥る心配も無い。
ただ、終演後、ホテルに戻って眠ろうとすると、ストリート・ミュージシャンなのだろう、駅前のどっかからサックスの音が聴こえてきて、ちょっとばかり気になった。
土曜日の夜だったからか。
サックスは決してヘタクソではなかったし、終電時刻を過ぎるといつのまにか静かになったので許してあげるが。
この次に中野サンプラザホテルに泊まるなら、中野駅とは反対側の部屋をチョイスした方が良いと思う。


ライヴを堪能した翌朝、ホテル最上階のレストランで朝食。
よくよく考えたら、一旦ホテルを出て同じビルの1階のカフェに行けばもっと安く済んだのだが。

10月30、31日に、武道館で、『100年ミュージックフェス』という、ワーナーミュージック創立40周年のイベントがあって、このイベントにアリーナ会場嫌いの達郎がサプライズ出演したらしい。 
こないだWOWOWで放映されたのを再生してみたが、やはり、達郎・まりやの出演シーンの放映は無かった。
もしかすると、達郎ライヴの動画を観れるかと淡い期待をしていたのだが。

ま、しょうがないか





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