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だらだらぼちぼち

souvenir again 竹内まりや live 2010 大阪城ホール 12/21

2010年12月23日 20時44分37秒 | 音楽


予報どおりに降りだした雨の中、妙にブレながら船が向かって来て、


橋を渡り終えて階段を上がった広場に、妙にブレながら、観客が集まって来ると、


12月21日、
大阪城ホールでの竹内まりや2daysライヴ初日開場を告げる合図だった。

特段、オンナ嫌いというわけではないが、ワタクシがジャズ以外の女性アーティストのライヴを観戦するのは、とても珍しい事で。
Y君の旅立ちが無ければ、この日の竹内まりやのライヴに行くことは、おそらく無かったろうと思う。
神戸での達郎ライヴがあった日、Y君の奥さんを訪ねてランチした。
店の名前は憶えていないが、元町の、元は専売公社があった建物らしい。
蒸した野菜料理のセットを食しながら、Y君の話題の合間に、一緒に行ったT君が、
「お得意さんとの付き合いで12月の竹内まりやのチケットを申し込んでみたら、見事に2枚ゲットした。」
と、ポロっと漏らしたのを聞き逃すワタクシではなかった。

9月10月頃はそうでもなかった。

が、
「きっと、旅立ったY君がお膳立てしてくれたのではないか?」
と、
時間が経つにつれて、そういう気持ちが高まってきて、まりやのライヴに行きたい気持ちが盛り上がってきてしまった。

その上、達郎の最後の大阪フェスでのサプライズゲストでまりやが登場した時の会場の熱狂が、何度もフラッシュバックしてきたので、このチャンスを逃す手は無いと決断した。

T君は、きっと、まりやのライヴには、自分のカミさんと一緒に行くんだろうと思い込んでいたのだが、どうやらそうではないらしい。
カミさんと一緒に行くのではない事を何度も何度も念を押して確かめた上で、余っているチケット1枚を譲ってもらった。
T君がカミさんとライヴに行かない主義なのか、それともカミさんのほうがT君と一緒に出かけない主義なのか、その辺の事情は、あえて問いただすことをせずに、ウヤムヤにしておいた。
エライぞ、ワタクシ。
これぞ、男の優しさというもんだ。

ワタクシは、この大阪城ホールのような、いわゆるアリーナと呼ばれる大きな会場でのライヴは不得意で。
過去に、2006年3月、東京ドームでのローリングストーンズの時と、2007年2月、大阪中央体育館でのスティーヴィー・ワンダーの時の2回、あ、そうそう、20年以上前に日本武道館でジェームス・ブラウンを観てひどい目にあったっけ、だから今回がたったの4回目のアリーナ会場でのライヴという事になる。
しかも、大阪城ホールは初体験であった。
初体験のホールながら、巷間に広まる通説として、こうしたアリーナ会場は音響がメチャ悪いというのは覚悟してはいた。
スタンド席だからなのかどうなのか、確かに、覚悟した以上に音響は悪かった。

ワタクシ達が座ったのはスタンド席のMブロックで、この日のステージ配置は、ステージパターンAだった。

さすがに達郎のツアーバンドがバックを努めるだけに、それぞれの楽器のバランス自体は悪くはなかった。
中小ホールでよく感じるような、全ての楽器の音がいっしょくたになって塊りになってしまって聴きづらいという状態ではなかった。
だが、PA装置から発せられたサウンドが広大な空間に広がることに一生懸命なようで、スタンド席にいると、それらが希釈されて散漫に広がってしまう感じがして仕方が無い。
ヴォーカルも伴奏楽器も、音量はあっても音圧が感じられない。
潜血反応を検査する試薬を聴感に仕込めば、もう少し音圧が上がるかもしれないが、唱が上手いはずのまりやのヴォーカルが遅れ気味に聴こえてしまい、上手いヴォーカルとは感じられない時間もあった。
ストーンズやスティーヴィー・ワンダーのような外国語の歌なら、少々歌詞の聞き取りが悪くても大雑把に聞き流せるが、日本語の歌ならば、しっかり聴こえて欲しい。

そして、アリーナ会場に付き物の大型モニターの数が少ない。
スタンド席の左右両側に向けて大型モニターが設置されていたが、そのモニターはMブロックからはほとんど確認できない。
スタンド席と対岸のステージの距離はかなりあって、この様子だとあと2~3台の大型モニターが欲しかった。

ホールやプロモーター側に言いたい事は山ほど感じた。
まりやが前回単独でステージに上がったのは10年前で、この先も、そう何度もライヴをやるタイプのシンガーではないだけに、誰かが声を出さなければと思うが、どこで声を出せばいいのかもわからない、、、、、、、

ここからは、気を取り直して褒め言葉を並べようと思う。
ライヴ自体、演奏自体に、文句なんぞつけるわけが無い。

おそらく達郎を通してまりやを感じてきたためか、これまでに彼女の歌にさほどの感情移入せずに過ごしてきたワタクシなので、ライヴ中にも妙に冷静になっていて、途中、何度か座席の周りを見渡してみた。
ワタクシの周囲にいた昔からの女性ファン達は、時々、まりやと一緒に歌っている様子だったし、泣きだした様子の人もいたし、、、、、

まりや自身も、『駅』のオーラス場面で、感極まったのか歌声が途切れてしまう瞬間もあったし。

今年、ワタクシは、幸運にも9月に神戸国際会館10月に東京中野サンプラザホールと2回、達郎のライヴを観戦できた。
達郎のツアーバンドがこの日のまりやのバックも努めていたので、メンバー紹介の時にインタビュー形式で、それぞれのミュージシャンとまりやとの生の会話を聞けたのが、すごくうれしかった。

随分昔、まりやが、ヤマハの店でのシュガー・ベイブのインストアライヴに出かけた時のシュガー・ベイブの髪の長いヴォーカリストに感じた印象や、またこの日、ギタリストの佐橋佳幸がまだ中学生で、同じインストアライヴをチャリンコで見に来ていた話だとか、

中でも、コーラスの佐々木久美がすんごいオルガン奏者だという事を紹介してくれたのが嬉しい。
佐々木久美は、上田正樹が、『Husky』というアルバムを出した頃のコーラスメンバーで、ワタクシは、彼女が上田正樹のステージでオルガンを弾きながら唄っていた姿が忘れられない。

フランス語の単位を落として留年しなかったら、きっと普通に就職していたはず、だとか、
曲間のまりや自身のMCを繋いでいくと、デビュー前から現在までの流れを理解できる仕組みになっていたのも楽しかった。

この日のオープニング・アクトには、センチメンタル・シティ・ロマンスが出演していて、オープニングアクトなしで、まりや単独でやればいいのにと感じたのだが、このセンチメンタルシティロマンスというバンドは、まりやのデビューアルバムのB面のレコーディングを担当したメンバーで、デビュー時にTVの音楽番組に出演した時にバックで演奏していたバンドだという事を考えると、これもまた話がつながってくるので、オープニングアクトがあった事は納得した。

あちこちのブログを探ってみると、ワタクシが行った翌日の22日には、アンコールの最後に『LET IT BE ME』を達郎とデュエットしたらしいと聞いて、ちと悔しい思いがこみ上げてきた、、、
まあ、いいさ、あの曲は、おととし12月の達郎の最後の大阪フェスで聴いたからいいもんね、、、、

それにしても、まりやの『人生の扉』 は、良い歌詞だね。
良い曲だね。
泣きそうになるもん。
特に今年は。
(歌詞はこちらをクリック)

この日の第1位を『人生の扉』とすると、地味だけど、佐橋のギターをフューチャーしたジャズ風のアレンジで聴かせてくれた『五線紙』が第2位かな。

コーラスの3人に何小節かずつリードパートを任せてみたり、達郎のライヴとは一味違う、女性らしい気遣いのステージ構成も好感度大だった。

終演後、外に出るまでが、また時間がかかって、

ホールを出ると、小降りになったといえ、雨の中、ホール外のグッズショップに行列するたくさんのファン達の姿があった。
(上から2枚目の写真の左側に写っている、白いテントが並んでいるのが、ホール外のグッズショップだ。この写真は開場時刻前に撮ったので、人影もまばらだったが、終演後はすんごい行列だった)
結局、グッズショップは、ホールの外だけで、ホールの中には無かったみたい。
ホールに入ってからグッズを物色しようと予定していたワタクシは、肩透かしを食ってしまったのかも?
こんだけ内容に満足したライヴだから、今から列に並ぶ必要も無いかな、と帰りを急ぐ事にした。
今になってまりやのサイトをのぞいてみると、開場前の午後4時から、あの場所でグッズ販売していたらしい。
ま、いいか。

多くの人たちが地下鉄乗り場へ向かう中、T君と並んで、傘をさしたりたたんだりしながら、妙に空腹な胃袋を満たすべく、森ノ宮駅近くの王将まで歩いたのだ

(参考資料 昼間の王将)

王将での話題は、人間ドックを受けるべきかどうかというテーマになった。










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