11月9日、10日、14日と3日間かけて、新国立劇場中劇場でシェイクスピア作「ヘンリー六世」3部作を観た(演出:鵜山仁)。
ずっと楽しみにしていた11月がついにやって来たが、「もう?」という気もする。時あたかもベルリンの壁解放から20周年という。20年とはこういうものか、とつい感慨に耽ってしまうが、この20年を20回続ければ400年だ。そう思えばシェイクスピアだってついこの間の人と思えてくる・・・いや、こんな風に思うのは私だけか?
それにしても見所の多い作品だ。日本では81年の初演以来上演されたことがなかったらしいが、今後はそんなことはないだろう。
ゆるやかに傾斜する濃い灰色の広々とした舞台。右手に水を張った池が思い切って大きくこしらえてある。
配役がいい。サフォーク伯役の村井国夫はいつもながら素晴しい美声で、王妃と愛を語るのにぴったり。ウィンチェスター司教役の勝部演之は張りのある声で野心満々の憎々しい悪役を好演。悪役はこうでないといけない。ウォリック伯役の上杉祥三は自己顕示欲の強い自信家のキングメーカーをコミカルな持ち味も生かして演じる。
一番驚いたのはマーガレット役の中嶋朋子。この人は初めて観たが、実にうまい。少し線が細い感じだが、後半母親になってからもなかなか自然だ。下品になりそうな役だが、さほどでもない。その辺は、もしかすると大竹しのぶより上かも?!(大竹さんは来春埼玉でこれをやるらしい)
乙女ジャンヌ(ジャンヌ・ダルク)役のソニンはよく通る声で元気一杯。第3部では皇太子エドワードを演じたが、こちらもなかなかいい。
ヨーク役の渡辺徹のことは、今までただ軽い人だと思っていた(失礼)ので、ほとんど主役と言ってもいいヨークを彼がやると聞いて驚いたが、今回なかなかどうして芝居のできる人だと分かった。なぜかヨークには丸い体型というイメージがあったが、その点でも彼はピッタリだ。
ヨークが伯父の臨終の場で己の運命を知り、重大な決意をするシーンは、まるでNHKの大河ドラマだ。
そう言えば、「宮中での殺傷沙汰は死刑」というセリフには、誰だって忠臣蔵の松の廊下を思い出すだろう。
グロスターの遺体を見た枢機卿(ウィンチェスター)は震えおののき、しまいには叫びながらその場を逃げ出す。聖職者でありながら、これまで己の世俗的な野心のためにのみ生きてきた彼が、この時初めて良心の呵責に捕らえられたのだ。これは次の幕につなげるうまい演出だ。
ヘンリー六世役の浦井健治はセリフが時々聞こえない。美形ではあるが、セリフの半分くらいは他人事のようだ。厖大な量のセリフを立て板に水の如く語り、その記憶力には感心するが、どうもこの役に共感できていないようだ。
ジャック・ケード役の立川三貴はうまい。この人は第3部でフランス王ルイ11世を面白く演じる。
ケードを殺すアイデン役の城全能成(一体何と読むのか?)はいい声だと思ったら、4月の文学座公演イヨネスコ作「犀」で主役をやった人だった。
ケント州の郷士とて、このアイデンは土佐弁だか九州弁だかをしゃべる。これはいい。小田島さんが訳し直したのだろうか。それとも、他にもあちこちセリフの刈り込みや自在な書き換えが見られるように、演出家の権限でやったのだろうか。いずれにしてもずっと分かり易く、楽しめるものになった。
これは劇作家としてのシェイクスピアの処女作であり、「ジュリアス・シーザー」や「マクベス」といった様々な作品の萌芽が見られて興味は尽きない。
書記とセイ卿はその教養ゆえに無知な民衆に殺される。これは、20世紀カンボジアのポルポト派による知識人虐殺、中国の文化大革命における知識人迫害・・・と、つい最近の歴史にまでつながっている。
第3部、ついに敵ヨークを捕らえた王妃は、近くのガラクタの中から紙を拾って適当に破いていたと思ったら、うまいこと白い紙の王冠を作った。
第2幕第2場、王妃がリチャードを口汚くののしったことがきっかけとなって、両軍は決裂し再び戦争へと至るが、その辺がはっきりしない。もっとはっきりさせると面白いのに。
第3幕第8場、王(ヘンリー六世)の手にキスしようとした臣下2人に対し、王はその手を引っ込める。これはどういう意味なのだろうか。演出家の意図が分からない。観客には受けていたが。
音楽は寄せ集め。時々ブチッと切れる。一番ひどいのは、第3幕第2場のリチャードの長い独白の途中から「虹の彼方に」を流したことだ。このセンスの無さ。誰が選んだか知らないがメチャメチャだ。だが元々音楽の責任者の名前も公表していないくらいだから、音楽を軽視しているのだろう。実にけしからん。
第2部と第3部の間に15年以上たっているはずだが、皆メイクを変えていないので若々しいまま。だから王ヘンリーは皇太子と兄弟のようだし、ヨークもあんな大きい息子たちがいるのが不自然に見える。「じじいのヨーク」というセリフもあるし、やはりメイクを変えてほしい。
この芝居、特に第1部はフランスではとても上演不可能だろう。彼らの聖女ジャンヌ・ダルクをあそこまでひどく描いていては。ちょうど「ヴェニスの商人」がイスラエルでは上演できないのと同様に。
かなり刈り込まれているが、それでも9時間以上かかる。来春の蜷川さんのは全部で6時間にまで短縮するという。訳も新しいし(松岡訳)、またまた楽しみだ。
ずっと楽しみにしていた11月がついにやって来たが、「もう?」という気もする。時あたかもベルリンの壁解放から20周年という。20年とはこういうものか、とつい感慨に耽ってしまうが、この20年を20回続ければ400年だ。そう思えばシェイクスピアだってついこの間の人と思えてくる・・・いや、こんな風に思うのは私だけか?
それにしても見所の多い作品だ。日本では81年の初演以来上演されたことがなかったらしいが、今後はそんなことはないだろう。
ゆるやかに傾斜する濃い灰色の広々とした舞台。右手に水を張った池が思い切って大きくこしらえてある。
配役がいい。サフォーク伯役の村井国夫はいつもながら素晴しい美声で、王妃と愛を語るのにぴったり。ウィンチェスター司教役の勝部演之は張りのある声で野心満々の憎々しい悪役を好演。悪役はこうでないといけない。ウォリック伯役の上杉祥三は自己顕示欲の強い自信家のキングメーカーをコミカルな持ち味も生かして演じる。
一番驚いたのはマーガレット役の中嶋朋子。この人は初めて観たが、実にうまい。少し線が細い感じだが、後半母親になってからもなかなか自然だ。下品になりそうな役だが、さほどでもない。その辺は、もしかすると大竹しのぶより上かも?!(大竹さんは来春埼玉でこれをやるらしい)
乙女ジャンヌ(ジャンヌ・ダルク)役のソニンはよく通る声で元気一杯。第3部では皇太子エドワードを演じたが、こちらもなかなかいい。
ヨーク役の渡辺徹のことは、今までただ軽い人だと思っていた(失礼)ので、ほとんど主役と言ってもいいヨークを彼がやると聞いて驚いたが、今回なかなかどうして芝居のできる人だと分かった。なぜかヨークには丸い体型というイメージがあったが、その点でも彼はピッタリだ。
ヨークが伯父の臨終の場で己の運命を知り、重大な決意をするシーンは、まるでNHKの大河ドラマだ。
そう言えば、「宮中での殺傷沙汰は死刑」というセリフには、誰だって忠臣蔵の松の廊下を思い出すだろう。
グロスターの遺体を見た枢機卿(ウィンチェスター)は震えおののき、しまいには叫びながらその場を逃げ出す。聖職者でありながら、これまで己の世俗的な野心のためにのみ生きてきた彼が、この時初めて良心の呵責に捕らえられたのだ。これは次の幕につなげるうまい演出だ。
ヘンリー六世役の浦井健治はセリフが時々聞こえない。美形ではあるが、セリフの半分くらいは他人事のようだ。厖大な量のセリフを立て板に水の如く語り、その記憶力には感心するが、どうもこの役に共感できていないようだ。
ジャック・ケード役の立川三貴はうまい。この人は第3部でフランス王ルイ11世を面白く演じる。
ケードを殺すアイデン役の城全能成(一体何と読むのか?)はいい声だと思ったら、4月の文学座公演イヨネスコ作「犀」で主役をやった人だった。
ケント州の郷士とて、このアイデンは土佐弁だか九州弁だかをしゃべる。これはいい。小田島さんが訳し直したのだろうか。それとも、他にもあちこちセリフの刈り込みや自在な書き換えが見られるように、演出家の権限でやったのだろうか。いずれにしてもずっと分かり易く、楽しめるものになった。
これは劇作家としてのシェイクスピアの処女作であり、「ジュリアス・シーザー」や「マクベス」といった様々な作品の萌芽が見られて興味は尽きない。
書記とセイ卿はその教養ゆえに無知な民衆に殺される。これは、20世紀カンボジアのポルポト派による知識人虐殺、中国の文化大革命における知識人迫害・・・と、つい最近の歴史にまでつながっている。
第3部、ついに敵ヨークを捕らえた王妃は、近くのガラクタの中から紙を拾って適当に破いていたと思ったら、うまいこと白い紙の王冠を作った。
第2幕第2場、王妃がリチャードを口汚くののしったことがきっかけとなって、両軍は決裂し再び戦争へと至るが、その辺がはっきりしない。もっとはっきりさせると面白いのに。
第3幕第8場、王(ヘンリー六世)の手にキスしようとした臣下2人に対し、王はその手を引っ込める。これはどういう意味なのだろうか。演出家の意図が分からない。観客には受けていたが。
音楽は寄せ集め。時々ブチッと切れる。一番ひどいのは、第3幕第2場のリチャードの長い独白の途中から「虹の彼方に」を流したことだ。このセンスの無さ。誰が選んだか知らないがメチャメチャだ。だが元々音楽の責任者の名前も公表していないくらいだから、音楽を軽視しているのだろう。実にけしからん。
第2部と第3部の間に15年以上たっているはずだが、皆メイクを変えていないので若々しいまま。だから王ヘンリーは皇太子と兄弟のようだし、ヨークもあんな大きい息子たちがいるのが不自然に見える。「じじいのヨーク」というセリフもあるし、やはりメイクを変えてほしい。
この芝居、特に第1部はフランスではとても上演不可能だろう。彼らの聖女ジャンヌ・ダルクをあそこまでひどく描いていては。ちょうど「ヴェニスの商人」がイスラエルでは上演できないのと同様に。
かなり刈り込まれているが、それでも9時間以上かかる。来春の蜷川さんのは全部で6時間にまで短縮するという。訳も新しいし(松岡訳)、またまた楽しみだ。
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