ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

映画「マクベス」

2016-07-03 00:24:58 | 映画
5月25日立川シネマシティズンで、映画「マクベス」を見た(監督:ジャスティン・カーゼル)。

赤子の葬儀・埋葬シーンから始まる。これは戯曲にはないが、マクベス夫人のセリフに「私は赤ん坊に乳を与えたことがある」というのがあるので、
二人にはかつて子供がいたが、どうも亡くしたらしいと分かる。むしろ原作に忠実な構成だ。
この時は、よしっ!と期待に胸が踊ったが・・・。

魔女3人に少女が1人加わっている。意味不明。
戦闘シーンをスローモーションにするのは絶対やめてほしい。蜷川の真似か??
時間が時々前後するのもやめてほしい。

マクベスの館はただのテント!原作である戯曲からすっかり逸脱している。だって「廊下」を通ってダンカン王の寝ている部屋に行くはずなのに、
テントの中には廊下なんてないし。
そして王の一行が館に入る前には、高いところに鳥がいるというセリフもあるのに。
短剣の幻を見るシーンも妙。
寝ている老王を殺すのに、なぜ何度も執拗に刺す必要がある?とにかくやたらと血が吹き出るシーンが多い。そういうのがこの監督の好みなのだろう。

殺害直後、王子に会うのには驚いた(これもマクベスの幻覚かと思った)。しかも涙を流す王子に向かって冷静にゴタクを並べるマクベス。
この時彼は恐怖におののき、我を忘れているはずなのに変だ。まったく興ざめ。
王子はその直後、一人馬に乗って逃亡する。

門番のシーンはカット。

翌朝、王の死を皆が知った時、本当は一人で部屋に入ったマクベスが、おつきの二人をその場で殺すはずが、同僚たちのいるそばで殺す。

宴会シーンでマクベスがバンクォーの亡霊を見て「出て行け」と叫ぶと、その席にいた部下と少し離れた席にいた妻らしき女性の二人が、自分たち
が言われたと思ったらしく立ち去る。これは新しい。

マクダフと妻子はなぜか野外で馬に乗って別れる。
その直後、マクダフの妻子はマクベスの部下たちに追われて森の中を逃げ惑う。そして城の外で、何と火あぶりの刑に処せられる。
マクベス夫人はもはや夫を止めることができず、ただ見つめるのみ。
目の前で彼らの死を見せられたら、彼女のショックはそりゃ大きいだろうが、そんなことをしなくても原作のままで十分なのに。
彼らは「暗殺」されたのだ。そして彼女はその話を伝え聞くのだ。それで十分だろう。

マクベス夫人の夢遊病のようなシーンはない。妙な小屋の中で「地獄は薄暗い・・・」とかのセリフを言うのみ。だから医者とおつきの女の
シーンもカット。ここはぜひほしいシーンなのに。
マクベス夫人はベッドに横たわっており、医者がそばに立ち、マクベスが話しかけると「お妃が・・・」と彼女の死を告げる。マクベスは
「明日、また明日・・・」というトゥモロウ・スピーチの途中、妻を抱き上げ、床に下ろす。

「バーナムの森がこっちに向かって来る」から怖いのであって、「森がバーナムに向かって」どうする?全然怖くないし。そんなもの、勝手に
向かわせるがいい!それに森に火を放ってどうする?

ラスト、マクベスはマクダフの上に馬乗りになって首に剣を突きつけ、そのまま殺せたのに、マクダフが自分の出生の状況について告げると、
やる気をなくして立ち上がり、殺される。こんなことがあっていいのか。
まったく、突っ込みどころがあり過ぎて(ポロー二アスじゃないが)息が切れてしまう。

マクベスは首も切り落とされず、地面に倒れることもなく、ひざまずいて首を垂れたまま死ぬ。

フリーアンスがやって来て、地面に突き刺さった剣を抜き、それを持って走り去る。
冒頭の子供の葬儀とここだけは納得いくが。

これまでポランスキー、黒澤明、オーソン・ウェルズ、ボグダノフ、フリーストンといったそうそうたる監督たちが、「マクベス」を映画化してきた。
彼らの作品と比べると、残念だがこれは魅力に乏しい。
ただマクベス夫人役のマリオン・コティヤールは美しかった。特に鼻の形。
マクベス役はマイケル・ファスベンダー。


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