ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「マクベス」について

2022-08-04 16:05:12 | シェイクスピア論
① マクベス夫人は想像力がないのか

スコットランドの将軍マクベスとバンクォーは、戦場からの帰り、三人の魔女に出会う。魔女たちは、マクベスはやがてコーダーの領主を経て王になり、
バンクォーは王にはならないが子孫が王位につくだろうと予言する。そこへ王ダンカンの使者が来て、マクベスがコーダーの領主に任命されたと伝える。
予言を信じたマクベスは、王位への野心を抱き始める。マクベス夫人は夫からの手紙で予言のことを知り、国王暗殺を企む。
ダンカン王はマクベスの城であるインヴァネスを訪れる。歓待のため一足早く到着したマクベスは、ためらい悩むが妻に励まされ、ついにその夜、
王を刺殺する。マクベスは護衛の二人に罪を着せて殺し、その場を何とか取り繕う。二人の王子マルカムとドナルべインは身の危険を察知し、それぞれ
イングランドとアイルランドへ亡命する。このことにより王子たちに暗殺の嫌疑がかかり、王の近親者であるマクベスが王位につくこととなる。

魔女の予言を共に聞いたバンクォーが自分を疑い始めたのを感じたマクベスは、暗殺者を送ってバンクォーとその息子フリーアンスを殺そうとするが、
バンクォー殺害には成功したものの、フリーアンスには逃げられてしまう。その夜開かれた晩餐会でマクベスは平静を装うが、バンクォーの亡霊が
現れたため怯えて錯乱する。他の者には亡霊は見えないため夫人はその場を取り繕おうとするが、結局晩餐会はお開きとなる。
不安を感じたマクベスは、自ら魔女たちのところへ行き、未来を問う。魔女たちは3つのことを告げる。
  ①マクダフに注意せよ
  ②女から生まれた者がマクベスを倒すことはできない
  ③バーナムの森が攻めて来ない限り、マクベスは安全である
マクベスは特に②と③を聞いてすっかり安心する。
この直後にマクダフが単身イングランドに亡命したと聞き、暗殺者を送って彼の城を襲わせ、妻と幼い子供たちを殺させる。

マクベス夫人は夢遊病にかかり、うわ言で自分の犯した罪を口走るようになる。
イングランドに逃げていた王子マルカムは祖国の窮状に心を痛め、マクダフらと共に挙兵する。
マクベスは魔女の予言を信じ、マルカムたちを迎え撃つと決めるが、夫人の死を知らされ、悲嘆にくれる・・・。

吉田健一の『シェイクスピア』を読んでいたら、「マクベス夫人は想像力がないのではなく・・・」とあってギョッとした。
というのも、ヤン・コットがマクベス夫人のことを「この女は想像力がなく・・・」と書いているからだ!
てっきり吉田はコットの説に反論しているものと思ったが、その後、どうもそうじゃなさそうだ、と気がついた。
コットの『シェイクスピアは我らが同時代人』はイギリス版出版が1964年、吉田健一の『シェイクスピア』が昭和31年つまり1956年出版だった。
つまり、吉田はコットより前にこのことを書いているのだ。
それにしても、ほぼ同時期に、二人がマクベス夫人について正反対のことを書いていたというのは、実に興味深い。   
夫人の想像力に関しては、もちろんコットの説は的外れだ。
マクベス夫人にも人並みの想像力があった。
彼女は夫が力づくで国王の地位に上り詰めた後のことも、自分が王妃となった後のことも、ちゃんと想像できていた。
ただ、国王となった後、夫が良心のやましさから恐怖にかられ、次々と人を殺めていくとまでは想像していなかっただけだ。
彼がしたこと、バンクォー殺しとマクダフの家族皆殺しは、する必要のないことだった。
言わば、彼を後戻りできないところまで追い詰めてゆくために悪魔がそそのかしたとしか言いようのないことだった。

② マクベス夫人はなぜ気が狂うのか

5幕1場。真夜中にマクベス夫人は暗い宮殿内を夢遊病患者のように歩き回りながら、とりとめもないことをしゃべり続ける。
この時、彼女はすでに気が狂っているのだから、その言葉には何の意味もない、と思ってはいけない。
実は、彼女の言葉にはすべて意味がある。
特に注目すべきなのは、前後と何の関係もなく唐突に彼女の口からもれる「地獄は真っ暗だ」(Hell is murky!)という一文だ。
これこそ日夜、彼女を追いかけ苦しめている恐ろしい幻だった。
地獄は、自分が今に間違いなく落ちて行かねばならない所であり、そこから何とかしてどこかに逃れたくてもどうしても逃れることのできない刑罰であり、
顔を引きつらせ、恐怖におののく彼女から出てくる呻きのような三語なのだ。

最初のダンカン王殺しは、ためらう夫を自分が強くそそのかしてやらせたことだが、当時、主君殺しや下剋上はそれほど珍しいことではなかった。
だから彼女も、親戚であり目をかけてくれた老王を殺すことにさほど罪の意識を感じなかった。
だが、その後のバンクォー殺しとマクダフの家族皆殺しは夫が単独で突っ走ってやったことだ。
彼女がマクベスに、何を企んでいるのか尋ねると、夫は答える。
  マクベス:かわいいお前は何も知らなくていい。
       あとでよくやったと褒めてくれ。(3幕2場)

特にマクダフの妻と幼い子供たちの虐殺は決定的だったろう。そのことを聞き知って、彼女の心は平静を失っていった。
知らなかったとは言え、夫がそこまで悪に手を染めたのも、元はと言えばあの時ダンカン王を殺すのをためらった彼を彼女が責め、それでも男かとなじりさえし、
叱咤激励して実行させたことが発端なのだから。
彼女は夫の運命と自分の運命とを分けて考えることができない。
二人はどこまでも一心同体なのだ。

このシーンで、気のふれた王妃がただもうわけの分からぬことを口走る、という演出をする人や、「地獄は真っ暗だ」というセリフを笑いながら言う役者がたまにいるが、
それは見当違いも甚だしい。

映像で見ただけだが、ジュディ・デンチの演技は、この場に最もふさわしいものだった。
彼女は長い長い、異様な呻き声をあげるが、それは己の罪の重荷に押しつぶされそうだからだ。

   マクベス夫人:やってしまったことは、元には戻らない(5幕1場)

ここには果てしなく深い絶望がある。
自分のしたことをなかったことにしたい、消してしまいたいのにどうしても消し去ることができない、自分の罪から逃れたくてもこの世のどこにも
逃げ隠れするところがないとすれば、気が狂わない方がおかしいではないか。
それと言うのも、彼女の中にもやはり正義感というものがあるからだ。
彼女は自分のしたことが罪であると自覚しており、罪を犯せば罰が下るということも信じている。
それが、何か人間的な感じを我々観客に与えるので、むしろほっとさせられる。
この辺から、妻と夫の関係が逆転し、夫の方は、ますます非人間的になってゆく。
そして、この戯曲の主人公の座からも降りることになる。
このことについては、またそのうち扱うことにしよう。





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