ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「兵卒タナカ」

2024-02-13 22:28:00 | 芝居
2月5日、吉祥寺シアターで、ゲオルク・カイザー作「兵卒タナカ」を見た(オフィスコット―ネ公演、演出:五戸真理枝)。





貧しい農家の出身である兵卒タナカは休暇をとり、戦友ワダとともに実家を訪れる。
軍人となった息子が帰ってくることを一家は喜び、贅の限りを尽くして迎え入れるが、村は不作が続き、大飢饉のまっただ中にあった。
自身の軍人という身分が、もっとも身近な存在の犠牲により成り立っている現実を突き付けられたとき、
タナカが信じて疑わなかった世界が音を立てて崩れていく・・・(チラシより)。
ネタバレあります注意!

舞台中央に、一段高くなった菱形の大きな台が設けてある。
白い簡素な服の人々が入って来る。
台の上で4人がゆっくり動くと雅楽が鳴り響くが、途中からグレゴリオ聖歌風の曲が混ざり、両者が渾然一体となって響く。
天井から濃い灰色の球が下がっていて、人々はそれに向かって手を伸ばす。

タナカの実家。
祖父、母、父、近所の人。
タナカがワダを連れて帰省する。
彼は新聞で、このあたりが大飢饉と知り、土産に焼酎と魚の干物を持参したが、両親は酒に白米、大きな魚まで出してもてなす。
「大飢饉なのに、どうしてこんな金がある?」と問うと、母は「へそくりだよ」などと言い、二人共、のらりくらりとごまかす。
そして、妹のヨシコがいない。
実は、ワダはタナカからヨシコの話を聞いて、彼女と結婚しようと思い、二人はそのこともあって帰省したのだった。
ヨシコは?と問うと、両親は「山の方に行った」「山をいくつも越えた所」「大百姓のところに働きに行ってる」と言う。
いつ戻る?と問うと、「何年たったら戻って来るって言ってたかなあ」と母。
父「おれはその時、金勘定してたからなあ」。

<2幕>
舞台奥に「妓楼」と大きく書かれた障子。
兵隊が6人やって来る。タナカとワダとその仲間たちだ。
射撃訓練で良い成績をあげた褒美に外出許可をもらったのだ。
まだ昼間なので女たちは寝ている。
だが兵隊とわかり、おかみは大喜び。
すぐに2階の女の子たちを起こすと言う。
まず一人が来て、歌と踊り。
白地にピンクの着物を羽織り、中は濃いピンクのベビードールのような丈の短いドレス。
6人の兵士はコインを投げて順番を決める。表が出た男が女と共に2階へ。
2人目、3人目、4人目と、それぞれ少し違う踊りをした後、兵士と消える。
最後にタナカが残る。
おかみ「最後にとっておきの子、一番若いコ、まだ歌と踊りはあまり・・」
観客の予想通り、6人目に来たのはタナカの妹ヨシコだった。
タナカ「お前をこんな目に合わせたのは誰だ」「山の大百姓の名は?」
ヨシコが答えないのでタナカはいろいろ想像する。
「男にだまされてここに逃げて来たのか」とか。
ずっと黙って聞いていたヨシコは「両親よ」
「借金の利子を返さないといけないの」
「女衒が私を見て・・・誰でもいいわけじゃないのよ」と、むしろ少し得意気。
タナカはショックのあまり呆然自失。
そこに新しい客が来る。
それは下士官ウメズで、タナカの上官だった。
他に女はおらず、タナカは自分の相手の女郎、つまりヨシコを、この上官に譲るよう店側から迫られる。
とっさに彼は妹を連れて隣室に逃げる。
逃げ回った挙句、もはや逃げられないと観念して妹を刺し殺す。
さらに彼は、驚く上官に向かって刃を突き立てるのだった・・。

<3幕>
軍事法廷。
裁判長は、この不可解な事件の真相に迫ろうとするが、被告であるタナカは黙秘し続ける。
仕方なく裁判長は、彼の凶行の動機をさまざまに想像する。
被害者である上官に対して、以前から何か恨みを抱いていたのではないか、その日、何かちょっとしたことでぶつかったのではないか、
同じく被害者である女郎は、実はお前がかつて付き合っていた女だったのではないか、等々。
だが、いずれもタナカが否定するので皆困惑する。
最後に彼は告白する。
あの女郎が自分の妹だと。
そして、実家の両親はご馳走で自分を歓待してくれたが、それは、妹を売って得た金で買ったものだったと、
それを知ってどれほどショックを受けたか、ということを。
すると裁判長始め、そこにいる弁護士も書記も全員が、うなだれ、黙ってしまう。
彼らは被告の凶行を、兄の心情からして仕方ないこと、同情すべきことと感じたらしい。
気を取り直した裁判長は言う。
女郎殺しの件はもはや問わないが、上官殺害の罪は重罪であり死刑に相当する。
ただし、お前が助かる道が一つだけある。
天皇陛下に願い出て、恩赦をしてもらうことだ、と。
だが、タナカは答える。
相変わらず真っ直ぐ前を向いて、清々しい態度で穏やかな笑みを浮かべつつ答える。
「陛下が謝るべきであります」と。
警護の者たちが慌てて銃を向ける。
こうして、危険思想の持ち主として、タナカは処刑されることになる。

不思議な味わいの空間だった。
舞台は日本のようだが、私たちの知っている日本とはいささか違う。
親が実の息子のことを「軍人さんのタナカ」と呼ぶ。
彼には下の名前がないらしい。
妹にはヨシコというちゃんとした名前があるのだが。

目の前にある一匹の魚のことを「この魚」とか「こんな大きな魚」などと、みなが何度も口にするのも奇妙だ。
日本では「こんな鯖」とか「鰤」とか、必ず魚の種類で呼ぶのだが。
だがこのことも、この芝居全体の寓話的な印象を強めている。

妹は死にたがってはいなかった。
兄が勝手に殺したのだ。
彼は、妹が女郎になるくらいなら死んだ方がましだ、と勝手に思ったのだ。
そのくせ自分は買春しようとしていた。
他の家の娘なら別にいいのか。
男は買春しても別に不名誉ではないが、女が売春するのは、死んだ方がましなくらい恥さらしなことらしい。
確かにこれは、つい数十年前まで日本社会にあった考え方だった。
だが今は違う。
買春する男も強く非難される時代になった。
だから、この芝居の、その点に違和感を覚えるのだ。
タナカは何の罪もない妹を殺し、同じく何の罪もない上官を殺した。
そして彼は、強い悲しみと怒りを抱いてはいるが、二人を殺したことについて後悔も反省もする気配がない。

オペラ「蝶々夫人」で蝶々さんは名誉のために死を選ぶが、当時の西洋における日本のイメージは、あれに大きく影響されているのだろう。
女性にとって、操は命より大切という考え。
だがそれが、かつての日本の現実だったのかも知れない。

上官殺害の罪は重罪で死刑に相当するが、妹を殺した罪は不問に付されるというのもすごい話だ。
タナカの供述を聞いて、そこにいる誰もが、そりゃ兄としては仕方ない、妹を殺すのも当然だよな、と思った。
実に不愉快だ。
妹に自殺願望はなかった。
女衒にじろじろ見られて高く買われたことを、むしろ誇りに思っているくらいだ。
もちろん彼女は今後、悪い病気にかかって苦しんだり死んだりするかも知れないが、逆に、金持ちに見初められて見受けされ、
子供をもうけて幸せな母親になることだって、ないとは言えまい。
そんな未来を、兄の一存で断ち切ってしまった。

とは言え作者はヨシコを、「苦界に身を沈めた」という風に描いてはいない。
作者はもっと客観的・俯瞰的に、主人公の行為を、或る種、寓意的に描いている。

軍事法廷の場面でタナカは激しい天皇批判を口にするので、1940年のチューリヒでの初演の際、日本公使館の抗議を受けて
この芝居が上演中止となったというのも、時代を考えれば当然だろう。
だが、天皇に職業選択の自由は(ほぼ)ない。特に当時の日本にはなかった。
戦争に突き進みたい政府が天皇制を利用したのだ。
天皇は神格化されていたとは言え、彼個人が謝ってくれたって状況は何も変わらない。

ここでは当時の日本と違って徴兵制が敷かれてはいないようだ。
だから、兵隊はみな職業軍人で誇り高い。
徴兵制度下ならば、村のどの家にも兵隊に取られた息子や父親がいて、タナカの帰省を村人総出で歓迎するような光景は
見られないはずだ。

多くのことを考えさせられたが、ドイツ人の作者が日本を舞台にこんな戯曲を書いていたというのが、実に興味深い。
作者はナチス政権に弾圧されて苦しい生活を強いられたという。
これは、そんな作者が日本という国に仮託して反戦を訴えた作品だというが、彼の分析力と洞察力には心底驚かされた。

役者はみな滑舌がよく、好演。
特に、裁判長役と下士官ウメズ役の土屋佑壱の過剰なまでの演技が、非常に面白い。
主人公タナカ役の平埜生成の清々しい演技も、この芝居にふさわしく、実に好ましい。







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