中村刑事が「イシヤマ」の正体をつかむ手がかりになった「飯田堀埋め立て闘争」
火刑都市の作中にも、その経緯が記されているが(注1)、
要するに、JR飯田橋駅周辺にあった飯田堀の埋め立て再開発計画をめぐる
東京都と地元住民の争いである。
1949(昭和24)年に計画立案。1972(昭和47)年にビル建設決定。
1977(昭和52)年から、地元住民の「飯田濠を守る会」や労組、学生団体が
絡んだ反対運動が激しくなるが、強制執行、そして和解を経て、争いは沈静化していった。
ここまで「埋め立て」と記したが、「暗渠化」と言った方が正確か。
JR飯田橋駅東口の近くには、神田川につながる流れの出口がある。
飯田橋界隈に残る「揚場町」の地名。かつて船着き場・荷揚げ場だった名残である。
飯田堀を埋め立てた跡の親水公園に残る「牛込揚場跡」の碑。
この地まで海から船が上がり、全国各地の物産を荷揚げした往時をひっそりと伝えている。
1984(昭和59)年9月に竣工した飯田橋セントラルプラザ・ラムラ
地上20階の多目的の高層ビルで、火刑都市では「建つ予定である」と記されている(注1)。
一連の連続放火事件が終結した翌年に完成したことになる。
中村刑事は飯田堀の闘争に学生が参加していた私立のH大(たぶんモデルは法政大)に赴いて、
単身、学生団体のメンバーに尋ねた。「君たちの仲間でイシヤマという男を捜している」
そんな男は知らないという。しかし・・・「おい、こりゃあ菱山じゃないか?」(つづく)
注1:火刑都市「第四章・袋小路」179P~181P