第1話で述べたように、ワタシと2号が入籍したのは96年9月22日。
出会いのきっかけをくれたデル様の誕生日に合わせた。
後にリセットの誕生日とも重なるとは、当時の2人には知る由もなかった
そして、晴れて夫婦となった2人が初めて足を運んだプロレス・格闘技イベントは、
これまた2人には縁が深いリングスだった。
第8話は入籍3日後、96年9月25日のリングス札幌中島大会の思い出を語る。
この時期のリングスは、9月の札幌大会を経て、10月~翌年1月の4カ月間で
団体の頂点を決める「メガバトル・トーナメント」を開催する年間スケジュールだった。
このため、札幌大会は毎年、トーナメントの行方を占う好カードが用意されていた。
96年も長井満也×高阪剛の日本人対決や、
ハンス・ナイマン×ビターゼ・タリエルの重量級打撃対決といったカードが並んだ。
しかし、ワタシと2号の注目は一つのカードに絞られていた。
田村潔司×ヴォルク・ハン
田村はこの年の5月にUインターを退団して、リングスに移籍。
6月のリングス初戦で、ディック・フライをスリーパーで下してから3連勝していた。
ファイターとしての田村には好感を持っていたワタシと2号だったが、
「半ば外様の田村に勝たせるのはここまで。4連勝もされてはリングスがナメられる」
と、ハン戦に関しては意見が一致していた。
また、田村が下した相手は、フライやウィリー・ピータースといった用心棒上がりと
キック・ボクサーのモーリス・スミス。つまり、打撃自慢の選手ばかりだった。
ハンのサンボならば、リングスの奥深さを田村に教えてくれる。そんな期待もあった。
この試合、ハンは田村の前蹴りでKO寸前に追い込まれるシーンもあったが、
最後は田村をアームロックで葬り、ワタシと2号の期待に応えた。
見たいモノが見られたこの白星は入籍のご祝儀だったと今でも勝手に考えている。
一敗地にまみれ、悔しそうに花道を引きあげる田村に、
「たむらぁ! これがリングスだぁ! よく覚えておけぇ!」
とワタシはハイ・テンションで絶叫。いま考えると、何もそこまで・・・と思わなくもない。
なお、田村はこの後、10月からのメガバトル・トーナメントを勝ち上がり、
翌年1月の決勝戦に進出。アキレス腱固めでまたもハンに敗れたが、
この2回目の対決こそは、第1次リングス史上、屈指の好試合だったと思う。
そして、トーナメント終了後にリングスのオランダ遠征に参加した田村は、
のこのこ新婚旅行にやってきた、ハンの威を借るプオタにリベンジすることになる。
・・・というわけで、次回からは97年2月のリングス・オランダ・ツアーの思い出を語る
<エピソードが多いので計6回を予定
余談になるが、この札幌大会から16年。
今年3月に復活したリングスの第2回大会が、9月23日に後楽園ホールで開かれる。
改めて、リングスはワタシと2号の記念日と縁深い団体だなあ、とつくづく思う
<チケットは来月2日から発売。もちろん買うとも(宣伝)
(第9話に続く)
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J1
FC東京0対1柏 G大阪2対2名古屋 ガンバが勝ち点1上積み。新潟がブービー転落。
ナビスコ杯はBグループの清水・鹿島に続いて、AグループのC大阪・仙台が決勝T進出。
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欧州選手権
スペイン0対0(4PK2)ポルトガル 隣国対決はスペイン辛勝。連覇に王手。
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ホークス
マッチ三番の打順変更も奏功して、5回に4点を挙げて逆転勝ち。
攝津、8回2安打1失点の好投で7勝目。
なお、攝津はこのまま平日登板を続けて、オールスター後の8月1日(水)に
地元・秋田でのビジター楽天戦に登板するとみる。好天になればいいね。