97年1月31日。ワタシたち夫婦は成田空港の出発ロビーにいた。
7泊8日の新婚旅行(披露宴が3月だったので婚前旅行とも言える)に選んだ
リングス・オランダ・ツアー(スペイン観光のオプション付き)を控えてワクワクしていた
<ワタシにとっては初めての海外旅行でもあった。
このツアーの参加選手は、前田日明、長井満也、成瀬昌由、田村潔司の4人。
そして島田二等兵裕二レフェリー。間近で見る日明兄さんはタテにもヨコにも分厚く、
とりあえずうかつに近づいてはいけない人だと直感した。
「バキ」の渋川先生が頑丈な扉や断崖絶壁を幻視した感覚に近いと思うが、
それでもお近づきになりたくなるのが、プオタのつらいところである。
なお、当時の週刊プロレスからは鈴木健記者、犬童嘉弘カメラマンが同行した。
余談だが、犬童カメラマンは今年3月のリングス後楽園大会でもお見かけしたが、
見た目が15年前とほとんど変わらない。あの若さの秘密は何なのか?
KLM便で12時間の空の旅を終えて、アムステルダム入り。
スキポール空港から宿泊先のビクトリア・ホテルに到着後、
日明兄さんが開口一番、フロントに問いかけた言葉を今でも覚えている。
「ウェイン・ブリッジ・カム・ヒア?」
実に分かりやすい英語だった。
「滑舌の悪さ」がよくネタにされる日明兄さんだが、むしろ英語向きの舌なのかも。
それはともかく「ウェイン・ブリッジ」の名前が出たことにまず驚いた。
元イングランド代表のSB・・・ではもちろんない。
英国修行時代の若き日明兄さんの世話をした伝説の名レスラーにして、
83年にその日明兄さんに欧州ヘビー級王座を明け渡した方である(注1)。
「クイック・キック・リー」(注2)とブリッジの再会は、プオタとしてぜひ見ておきたいと思い、
しばらくロビーを歩き回ったが・・・結局、ブリッジは来られなかった様子だった。
だが、オランダ1日目にして、日明兄さんと欧州の縁の深さを改めて知らされた出来事だった。
(第10話に続く)
注1・この王座を手土産に、日明兄さんは83年に凱旋帰国。
新日本の第1回IWGP決勝リーグ戦に「欧州代表」として出場している。
注2・日明兄さんの英国修行時代のリングネーム。
英国で活躍した「サミー・リー」(タイガーマスクになる前の佐山聡)の弟というギミックだった。
この2人は新日本離脱後、旧UWFで凄まじい「兄弟ゲンカ」をやらかすことになる。