田村に酔いつぶされた悪夢から一夜明けた2月5日は、マドリッドで過ごす最終日。
この日の夜は、ツアーの目玉の一つである選手・スタッフ全員を交えた食事会があった。
サインも写真も、もらい放題&撮り放題という、ファンには夢の一夜である。
このイベントの思い出は、日明兄さんに色紙へのサインをお願いした時のやりとりだった。
ワタシ&2号「サインに、夫婦の心構えとなる言葉を書き添えてもらえますか?」
読書家としても知られる兄さんのこと、サラサラと書き流してくれるものと思いきや、
兄さん「・・・キミたち、新婚旅行やろ? 一生一度の旅の思い出に、
もし間違った言葉を贈ったら失礼や。いくつか思い当たる言葉はあるけれど、
今夜キチンと調べておくから、明日またお願いに来てくれるかな?」
さすがは格闘技の世界で一つの時代を築いた漢だと感じ入った。
新婚旅行の夫婦に贈るメッセージを間違えては失礼になる
それは当たり前の礼儀だろうが、
プロのアスリートがファンサービスの場で、なかなかできる応対ではない。
「あの前田日明からあんな気遣いを受けただけでも、このツアーは一生の思い出になった」
食事会の後、ワタシたち2人はしみじみ語り合った思い出がある。
ライバル団体やメディアとの間にトラブルが絶えない悪評を持つ兄さんだが、
ワタシたち夫婦は結婚後の15年間、ともに心情の上では味方であり続けてきた。
それはこのマドリッドの食事会で見せてくれた誠実さによる部分が大きい。
・・・そして翌6日、マドリッドからアムステルダム経由で日本への帰路についた途中、
空港ロビーで改めて書き贈ってもらった言葉が「偕老同穴」
2人ともに仲よく老いて、オトコは一生同じアナでガマンする同じ墓穴に葬られる。
夫婦の結び付きが変わらない様子を表した故事成語である。
正直、ワタシも2号も初めて耳にした言葉だったが、兄さんは
「海綿の一種にもな、カイロウドウケツというヤツがおるんや。
なんでそんな名前になったかというと、その海綿の体内には
エビのつがいが住みついておって、一生をそこで暮らすんやて」
と豆知識を披露。帰国後に調べたら、全くその通りで、さすがの博識に舌を巻いた。
・・・もっとも、色紙に「偕」の字を書いた時は
「あ、ヨコの棒がちょっと長過ぎた。ゴメン」(今で言うテヘペロ)
そんなうっかりものでお茶目な一面を持つ兄さんを、ワタシも2号も今なお慕っている。
そんな思いを記して、3カ月に及んだ長いハネムーン話を終える。
*参考文献:週刊プロレス779号(97年2月25日付)
(15話に続く)
- 9・23リングス後楽園大会
そんな前田シンパの夫婦の結婚15年目に復活したリングス。
3月の第1回大会に続いて、第2回大会にも夫婦そろって足を運んできた。
ジャパン勢との対抗戦に臨んだカザフスタンの猛者たちは今ちゃんによく似ていた
つーか、今ちゃんが中央アジア系の顔立ちなんだな、きっと。
リングサイド席で「帝王」高山善廣が観戦していたことにはちと驚いた。
和田良覚レフェリー(Uインター時代の知己)や大山峻護選手(ともにPRIDE参戦)
といった顔なじみがいたし、日明兄さんとも特に確執はないから、来てもおかしくはないが。
この日、観客に最も強い印象を残したと言えるのが、ロシアのクラット・ピターリ(右)。
あのヨシケイを下して、アウトサイダー65-70キロ王者になったRYOを子ども扱い。
タックルを徹底的に切りまくり、第1回大会で伊澤寿人を沈めたボディ打ちで
ダメージを確実に与えて続けて、最後は顔面を打ち抜いてKO勝ちを遂げた。
足腰の強さとボディバランス、長いリーチは脅威。ボディにせよ、顔面にせよ、
対戦者にとっては、かなり見えにくい軌道でブローが飛んでくるのではないか。
サイズは違うが、同邦のセルゲイ・ハリトーノフを初めて見た時に近い衝撃を受けた。