ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

龍に泣かされた夜~両国編

2015年11月18日 | プロレス・格闘技

水戸戦から一夜明けた15日。両国のリングは大嵐に。

金の雨を降らせる男風と雲を呼ぶ昇り龍が激突したから当然である。

というワケで、15日の「革命終焉」天龍源一郎の引退試合を語る。

写真は大会当日の両国国技館入り口。「天龍源一郎」のぼりが立ち並んで壮観だった。

集まった客は新日本G1などに比べて、やはり男性が多めだったと思う。

しかも、着衣その他による「非ニワカ」アピールがなかなか面白かった。

のレボリューションTシャツはもとより、

故・ジャンボ鶴田「マッチョマン」ランディ・サベージのTシャツを着ていたツワモノも。

国技館に入ると、天龍の激闘を彩った数々のガウンがお出迎え。

懐かしのレボリューション・ジャンパーやリングシューズにも人だかり。

チケットと引き換えの大会パンフを国技館の大屋根とパチリ。

全面カラー印刷で、他団体ならば1部2千円は下るまい。

天龍プロジェクトの団体規模を考えると、

このレベルのパンフを無料配布とは、かなりの大盤振る舞いだったと推察する。

それでは、メーンを語る。この試合の天龍はジャンパーではなくガウンで入場。

「このガウン、昔のプロレス雑誌で見た記憶があるぞ。もしや・・・」と思っていたらビンゴ。

77年の全日本デビュー戦で着ていたガウンと試合後に本人が語った。

パンチ田原アナのコールに、レインメーカー・ポーズを不敵にかますオカダ。

入場曲はG1決勝やドーム大会で流すイントロ付きバージョンではなく、

ノーマルな「レインメーカー」だった。

「レインメーカーにとって、これは特別な試合ではない」というささやかな主張か。

なお、オカダの足元の白い部分には大会スポンサー「メガネスーパー」のロゴがある。

天龍の姿に注目。近年は下半身を隠すパンタロン・スタイルだったが、

この試合では、全盛期を思わせるショートタイツとリングシューズの「正装」

試合前のオカダの要求に応えた格好だが、ファンの期待した姿でもあった。

この試合、天龍は現在持っている全ての力と技を振り絞ったと思う。

延髄斬りはヒザをついたオカダへの「低空飛行」。

コーナーを支えに放ったパワーボムはクラッチしきれず未完成。

それでも、逆水平チョップ、グーパンチ、サッカーボール・キック、頭突き、

そして、このWARスペシャルといったゴツゴツした技でオカダを攻め立てた。

53歳(変型ブレーン・バスター)でオカダをブン投げたシーンにはたまげた。

そして、これらの攻めを顔面アザだらけになりつつも受け切った一方で、

えげつない攻めで天龍にとどめを刺したオカダも見事だった。

フィニッシュこそノーマルなレインメーカーだったが、

ドロップキックは高い跳躍で顔面を狙う華やかなスタイルではなく、

のど元や胸板を突き刺すようにブチ抜くジョン・ウー式を連発していた。

普段は新日本で「動く相手」と試合をしているので、

天龍のような「動かない相手」と試合をするのは大変だったと察する。

「相手がワルツを踊ればワルツを、ジルバを踊ればジルバを」という格言に照らせば、

踊らずにデンと構えて、ひとりで浪曲をうなっているような相手だったし・・・

それでも、お互いの持ち味を損なうことなく「天龍を介錯した男」になったのだから立派。

オカダは顔面の傷跡とともに、とんでもない勲章を手に入れたと思う。

1・4ドームで棚橋を返り討ちにできれば、ますますモンスターになるかもしれない。

試合が終わり、最敬礼を見せたオカダが去った後に「負けたあー!!」と絶叫した天龍。

86年3月の全日本武道館大会。鶴田に玉砕したアニマル浜口の同じ叫びが重なった。

最強の相手に力を出し尽くした男の爽快感にあふれていた。

スタン・ハンセンやテリー・ファンクも登場した引退セレモニーのラスト。

「オレは本当に幸せ者です。もうこれ以上望むものは何もありません。みんな、ありがとう!」

この言葉からのテンカウント・ゴングに、ワタシの涙腺は完全に決壊した

その胸中にあったのは、天龍がリングを去るという喪失感と、馬場さんが、鶴田が、

ブロディが、橋本が、三沢がかなわなかった引退試合を天龍が全うできたという満足感だった。

こちらこそ何度ありがとうを言っても足りない。加えて、まき代夫人&紋奈さんにも感謝を。

「長らくお借りしました。嶋田源一郎をお返しします」

  • 余談

「ワルツとジルバ」の格言が頭をよぎった試合の帰路に、

その格言の主だった元AWA王者のニック・ボックウインクルの訃報を知って驚く。

鶴田と縁が深い名レスラーが、太平洋のこちら側で引退、あちら側で逝去とは。

ちなみに、鶴田がニックを下してAWA王者になった84年2月の蔵前大会で、

天龍もリッキー・スティムボートを下し、自身初のシングル王座・UNのベルトを巻いている。


  • ロシアW杯二次予選

日本2対0カンボジア 前半スコアレス・PK失敗・オウン選手の降臨で先制

今年最後の一戦は白星こそ得たが、消化不良の内容に終わる。