2019年11月8日(金)
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第20回(2019年第32回)、「酒々井駅から成田山新勝寺」ウォーキングに参加した。
この日のコースは、2012/05/24に「成田街道を歩く」の最終回で歩いたコースである。
このときは京成佐倉駅をスタートして成田山新勝寺がゴールだった。
あの時から既に7年半が経ったことになる。
荒川沖駅7時59分発の電車を待つ皆さん。
土浦駅から乗車した会員の皆さん。
この時点で合せて21名の参加者である。
我孫子駅で成田線に乗替える。
成田線車内
我孫子駅を出る時は満席状態だったが、我孫子駅から3つ目の新木駅を過ぎた頃から車内は空いてきた。
この日の参加者の皆さん。
『今日は天気が良いから楽しみだよねっ』
終点の成田駅で9時42分発の千葉行きに乗替えて、
9時49分、この日の出発地酒々井駅に到着した。
到着したホームでこの日の地図を配布し、コース概略を説明。
改札口を出たところで、FJさん夫妻が待っていた。車で来たと言う。
結局この日の参加者は23名となった。
久し振りの20名越えで賑やかだ。
酒々井駅西口を出て、
10時8分、酒々井駅を出発!
目指すは成田山新勝寺。
天気は快晴、予想最高気温は17度とまさにウォーキング日和だ。
酒々井駅西口を国道51号方面へ。
ほどなく国道51号に出た。
国道51号を右に曲がり、成田方面へ。
国道51号を進む。
この辺りは国道に沿って側道があるので、安全で歩き易い。
『安心して歩けるよねっ』
成田まで7Kmの標識
国道51号は交通量が多い。
大型トラックがひっきりなしに走る。
道路脇に”なごみの米屋”の看板が。
『成田山新勝寺の門前町を代表する店らしいよねっ』
10時34分、大崎成田山道標があった。
明治27年(1894)に成田山信集講の岩田長兵衛が建てた案内道標5基のうちの一つである。
成田山道標の後ろに宗吾道を指差す道標が。
国道51号線を横断して直進すると、宗吾霊堂へ通じる。
旧街道(旧成田街道)を進む。
国道51号と並行し、かつて松並木(伊篠松並木)があった旧街道を進む。
昭和末期までは旧街道沿い約800mに渡り松並木が続いていたが、すべて枯れてしまった、そうである。
伊篠の松並木跡辺りを進む。
今月入会したばかりで、この日が2回目のHZ子さん(左)と初参加のIC子さん(右)
『最後まで歩けるかしらっ』とやや不安げな様子。
成田山永代護摩木山供養碑
成田不動尊の護摩を焚くための材木を用立てるため、信者が寄附した土地を記念した石碑。
護摩木山は護摩木を切り出す山(土地)を指す。
成田街道沿いには護摩木山が十数ヶ所あったらしい。
この石碑は成田街道にあって最大級クラスの石碑とのこと。
伊篠の石塔群(両側)と道標(中央)
道標には、正面に「東成田山、宗吾社道」、右側面に「西酒々井、佐くら道」、
左側面に「左しすゐ、停車場道」と刻まれている。
伊篠の松並木跡を成田山方面へ。
伊篠の松並木跡を抜けて国道51号を横断し、旧街道(左)へ。
旧道の途中に残る成田山(左)、不動尊(右)と刻まれた石碑
緩い下りの坂道の旧街道を進む。
谷津の田園地帯を進む。
旧街道脇に濃いエンジの毛糸の帽子を被せられたお地蔵さんがポツンと佇んでいた。
10時58分、国道51号の合流地点手前で一休みしよう。
『もう半分くらいは来てるかしらっ?』
『だったら良いんだけどねっ』
まだ1/3ほどではないかと思われる。
11時3分、国道51号へ合流し、
成田山新勝寺方面へ。
『成田山はよく行くけど歩いて行くのは初めてだわっ』
国道51号を成田山方面へ。
11時12分、成田市に入った。
公設地方卸売市場の看板が見えて来た。
お昼が近くなってきた。
外食屋の看板が目に付くようになった。
”いきなりステーキ”
”はま寿司”
”ラーメン山岡屋”
『いやぁ どの店も入ってみたい気になっちゃうよねぇ』
同感だが、ここは我慢、我慢。
右手に協会らしき建物が見えた。
末日聖徒イエス・キリスト教会成田ワードとある。
キリスト教教会、修道院らしい。
『300m先を左に行けば成田駅って書いてるねっ』
『交差点を渡って左だねっ』
交差点を渡り、角のコンビニ(LAWSON)を右手に見ながら、旧街道を成田山方面へ。
和算家飯嶋武雄の墓と解説碑
飯島武雄は、下総国金江津村(茨城県稲敷郡河内村)の出身で、通称武左衛門。
雅号を桃廼家(もものや)といい、幼少のころから神童と呼ばれ、12歳の時に既に算方(和算)の奥義を
究めたと云われている。後に江戸で私塾を開設して算法を教授。
その名声は広まったが、不幸にして失明して帰国した。
盲目となった後も近郷を巡回し口授により和算を教え、門下生は千余名に達したと云われる。
(以下略)
道路左手になごみの米屋があった。
成田山新勝寺の表参道に総本店がある和菓子屋である。
日本初の栗羊羹を作った。羊羹とどら焼きが人気があるそうだ。
一本松跡碑
成田山参道入口のこの地に、一本の松の大木がそびえていたという。
この松を見た旅人は、成田に着いたことを安堵したという。
残念ながら一本松は、昭和51年(1976)に枯死し伐採された。
交差点を渡り、一本松通りを進む。
11時44分、JR成田線の踏切を渡り、
一本松通りを成田駅方面へ。
11時52分、続いて京成本線を跨いだ。
阿利耶側道橋(アリヤソクドウキョウ)で京成本線を跨ぐ。
成田市勤労会館(左)を通過し、
成田駅方面へ。
FJさん夫妻も元気に成田山新勝寺を目指す。
左手にJR成田駅が見えた。
JR成田駅と京成成田駅との間にある千葉交通バス乗り場で一息入れる。
『ゴールの成田山新勝寺まであと一息だねっ』
昼食は成田山新勝寺に参詣した後まで我慢しよう。
12時16分、一息入れた後、ゴールの成田山新勝寺を目指して出発!
成田駅前の新勝寺側の交差点を横断し、
表参道を進む。
表参道を新勝寺を目指す。
この日は平日のせいかそれほど観光客は多くはない感じだ。
表参道を進む。
なごみの米屋総本店前を通過。
『帰りにここでお土産を買うことにしようかしらっ』
成田山薬師堂
薬師如来を御本尊とする。
薬師堂は、明暦元年(1655)に成田山本堂として、現在の大本堂のある場所に建立された。
元禄十四年(1701)の本堂(光明堂)再建に伴う移築を経て、安政二年(1855)5月、
現在の地に移転改築された。
「水戸黄門」で知られる水戸光圀や、初代市川團十郎が参詣された由緒ある御堂、とのこと。
成田山薬師堂を右に曲がったところに・・・
三橋鷹女(みつはしたかじょ)像があった。
説明板によると、
女流俳人の三橋鷹女は、明治三十二年(1899)成田市田町に生まれた。
成田高等女学校を卒業し、大正五年(1916)に上京。
大正十一年(1922)に歯科医師の東謙三と婚姻し、夫と共に俳句にいそしんだ。
最初は「鹿火屋」、次に「鶏頭陣」に属したが、後には結社に拠らず独自の句境を築いた。
ブロンズ像は平成十年(1998)、鷹女の生誕100年を記念して建てられたもの、と記されている。
表参道を新勝寺へ。
表参道の下り坂道を進む。
表参道の両側には土産物店やうなぎ屋が立ち並んでいる。
うなぎの蒲焼き
職人が見事な手捌きでうなぎを捌いていた。
『凄いわね~っ』
うなぎ料理のメニュー
『けっこう良い値段だね~っ』
うなぎ料理専門の店や
うなぎ料理と蕎麦の店もある。
12時34分、成田山新勝寺の総門前に到着した。
『いやぁ でっかい総門だねぇ』
総門を潜った先で手を洗い清め、
仁王門へ。
仁王門を潜ると、
小さな池がある。
亀が甲羅干しをしていた。
急な石段を上ると、
目の前に大本堂が。
成田山新勝寺は真言宗のお寺である。
寛朝僧正(かんちょうそうじょう)によって開山・開基され、江戸時代、庶民の信仰の場として、
多くの参詣客で賑わった。
成田山新勝寺では毎年2月に節分会が開催され、特別追儺(ついな)豆まき式が行われる。
新勝寺の豆まき式には、大相撲力士や歌舞伎俳優、芸能人などの特別参加年男(女性含む)が加わって、
華やかに行われることで有名である。
『いやぁ 実に堂々とした構えだよねぇ』
右手には三重塔(重要文化財)が。
正徳二年(1712)に建立された。
総高は25mで、塔内には大日如来を中心に五智如来が奉安されている。
参詣後、大本堂前で記念撮影を行い、
12時52分、新勝寺を後にして、表参道のうなぎ屋へ。
いろんな店があって迷ったが、店頭のサンプルに誘われて「近江屋」といううなぎ料理屋へ。
先ずは冷えた生ビールで『かんぱ~いっ』
『いやぁ 冷たくて美味いっ!』
せっかく成田山に来たのでうな重をと思ったが、注文したのは、全員うな丼(1,800円税込)だった。
うなぎの量が重の半分しかないとのことだが、ご飯の量と味は変らない、というのが主な理由である。
『けっこうボリュームもあるし、良い味してるよねっ』
『来年の柴又七福神巡りの時はうな重だねっ』
うな丼に満足し、表参道を成田駅方面へ。
なごみの米屋総本店へ立寄った。
米屋総本店の店内
明治32年創業の老舗和菓子屋で、成田山新勝寺の参詣土産として有名である。
見覚えのある人が土産物を買っていた。
皆さん、土産物をぶら下げて成田駅へ。
自分は栗羊羹、なごみるく、ぴーなっつ最中を買った。
14時32分、成田駅に到着。
成田線改札口へ。
次の我孫子行きは14時45分だ。
電車内は平日のため空いていた。
昼食後と少し疲れたこともあって、我孫子駅まで一眠りしてしまった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
”酒々井駅から成田山新勝寺へ”ウォーキングが無事終わった。
前回(11月1日)の”小町山遊々ハイキング”に続く20名超の参加者となった。
絶好のウォーキング日和に恵まれたのが大きいし、新入会員の参加があったことも大きな要因と思う。
昼食に成田山名物の新勝寺表参道のうなぎを食べた。
うな重ではなくうな丼を注文した。
味に変りはないものの、せめてうな重にしておけばとの思いは残る。
来年年明けの七福神巡りはうなぎが名物の”柴又七福神巡り”を企画しているので、
そのときはうな重を注文することにしようと今から申し合わせている。
この日の万歩計は、15,000歩を計測していた。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第20回(2019年第32回)、「酒々井駅から成田山新勝寺」ウォーキングに参加した。
この日のコースは、2012/05/24に「成田街道を歩く」の最終回で歩いたコースである。
このときは京成佐倉駅をスタートして成田山新勝寺がゴールだった。
あの時から既に7年半が経ったことになる。
荒川沖駅7時59分発の電車を待つ皆さん。
土浦駅から乗車した会員の皆さん。
この時点で合せて21名の参加者である。
我孫子駅で成田線に乗替える。
成田線車内
我孫子駅を出る時は満席状態だったが、我孫子駅から3つ目の新木駅を過ぎた頃から車内は空いてきた。
この日の参加者の皆さん。
『今日は天気が良いから楽しみだよねっ』
終点の成田駅で9時42分発の千葉行きに乗替えて、
9時49分、この日の出発地酒々井駅に到着した。
到着したホームでこの日の地図を配布し、コース概略を説明。
改札口を出たところで、FJさん夫妻が待っていた。車で来たと言う。
結局この日の参加者は23名となった。
久し振りの20名越えで賑やかだ。
酒々井駅西口を出て、
10時8分、酒々井駅を出発!
目指すは成田山新勝寺。
天気は快晴、予想最高気温は17度とまさにウォーキング日和だ。
酒々井駅西口を国道51号方面へ。
ほどなく国道51号に出た。
国道51号を右に曲がり、成田方面へ。
国道51号を進む。
この辺りは国道に沿って側道があるので、安全で歩き易い。
『安心して歩けるよねっ』
成田まで7Kmの標識
国道51号は交通量が多い。
大型トラックがひっきりなしに走る。
道路脇に”なごみの米屋”の看板が。
『成田山新勝寺の門前町を代表する店らしいよねっ』
10時34分、大崎成田山道標があった。
明治27年(1894)に成田山信集講の岩田長兵衛が建てた案内道標5基のうちの一つである。
成田山道標の後ろに宗吾道を指差す道標が。
国道51号線を横断して直進すると、宗吾霊堂へ通じる。
旧街道(旧成田街道)を進む。
国道51号と並行し、かつて松並木(伊篠松並木)があった旧街道を進む。
昭和末期までは旧街道沿い約800mに渡り松並木が続いていたが、すべて枯れてしまった、そうである。
伊篠の松並木跡辺りを進む。
今月入会したばかりで、この日が2回目のHZ子さん(左)と初参加のIC子さん(右)
『最後まで歩けるかしらっ』とやや不安げな様子。
成田山永代護摩木山供養碑
成田不動尊の護摩を焚くための材木を用立てるため、信者が寄附した土地を記念した石碑。
護摩木山は護摩木を切り出す山(土地)を指す。
成田街道沿いには護摩木山が十数ヶ所あったらしい。
この石碑は成田街道にあって最大級クラスの石碑とのこと。
伊篠の石塔群(両側)と道標(中央)
道標には、正面に「東成田山、宗吾社道」、右側面に「西酒々井、佐くら道」、
左側面に「左しすゐ、停車場道」と刻まれている。
伊篠の松並木跡を成田山方面へ。
伊篠の松並木跡を抜けて国道51号を横断し、旧街道(左)へ。
旧道の途中に残る成田山(左)、不動尊(右)と刻まれた石碑
緩い下りの坂道の旧街道を進む。
谷津の田園地帯を進む。
旧街道脇に濃いエンジの毛糸の帽子を被せられたお地蔵さんがポツンと佇んでいた。
10時58分、国道51号の合流地点手前で一休みしよう。
『もう半分くらいは来てるかしらっ?』
『だったら良いんだけどねっ』
まだ1/3ほどではないかと思われる。
11時3分、国道51号へ合流し、
成田山新勝寺方面へ。
『成田山はよく行くけど歩いて行くのは初めてだわっ』
国道51号を成田山方面へ。
11時12分、成田市に入った。
公設地方卸売市場の看板が見えて来た。
お昼が近くなってきた。
外食屋の看板が目に付くようになった。
”いきなりステーキ”
”はま寿司”
”ラーメン山岡屋”
『いやぁ どの店も入ってみたい気になっちゃうよねぇ』
同感だが、ここは我慢、我慢。
右手に協会らしき建物が見えた。
末日聖徒イエス・キリスト教会成田ワードとある。
キリスト教教会、修道院らしい。
『300m先を左に行けば成田駅って書いてるねっ』
『交差点を渡って左だねっ』
交差点を渡り、角のコンビニ(LAWSON)を右手に見ながら、旧街道を成田山方面へ。
和算家飯嶋武雄の墓と解説碑
飯島武雄は、下総国金江津村(茨城県稲敷郡河内村)の出身で、通称武左衛門。
雅号を桃廼家(もものや)といい、幼少のころから神童と呼ばれ、12歳の時に既に算方(和算)の奥義を
究めたと云われている。後に江戸で私塾を開設して算法を教授。
その名声は広まったが、不幸にして失明して帰国した。
盲目となった後も近郷を巡回し口授により和算を教え、門下生は千余名に達したと云われる。
(以下略)
道路左手になごみの米屋があった。
成田山新勝寺の表参道に総本店がある和菓子屋である。
日本初の栗羊羹を作った。羊羹とどら焼きが人気があるそうだ。
一本松跡碑
成田山参道入口のこの地に、一本の松の大木がそびえていたという。
この松を見た旅人は、成田に着いたことを安堵したという。
残念ながら一本松は、昭和51年(1976)に枯死し伐採された。
交差点を渡り、一本松通りを進む。
11時44分、JR成田線の踏切を渡り、
一本松通りを成田駅方面へ。
11時52分、続いて京成本線を跨いだ。
阿利耶側道橋(アリヤソクドウキョウ)で京成本線を跨ぐ。
成田市勤労会館(左)を通過し、
成田駅方面へ。
FJさん夫妻も元気に成田山新勝寺を目指す。
左手にJR成田駅が見えた。
JR成田駅と京成成田駅との間にある千葉交通バス乗り場で一息入れる。
『ゴールの成田山新勝寺まであと一息だねっ』
昼食は成田山新勝寺に参詣した後まで我慢しよう。
12時16分、一息入れた後、ゴールの成田山新勝寺を目指して出発!
成田駅前の新勝寺側の交差点を横断し、
表参道を進む。
表参道を新勝寺を目指す。
この日は平日のせいかそれほど観光客は多くはない感じだ。
表参道を進む。
なごみの米屋総本店前を通過。
『帰りにここでお土産を買うことにしようかしらっ』
成田山薬師堂
薬師如来を御本尊とする。
薬師堂は、明暦元年(1655)に成田山本堂として、現在の大本堂のある場所に建立された。
元禄十四年(1701)の本堂(光明堂)再建に伴う移築を経て、安政二年(1855)5月、
現在の地に移転改築された。
「水戸黄門」で知られる水戸光圀や、初代市川團十郎が参詣された由緒ある御堂、とのこと。
成田山薬師堂を右に曲がったところに・・・
三橋鷹女(みつはしたかじょ)像があった。
説明板によると、
女流俳人の三橋鷹女は、明治三十二年(1899)成田市田町に生まれた。
成田高等女学校を卒業し、大正五年(1916)に上京。
大正十一年(1922)に歯科医師の東謙三と婚姻し、夫と共に俳句にいそしんだ。
最初は「鹿火屋」、次に「鶏頭陣」に属したが、後には結社に拠らず独自の句境を築いた。
ブロンズ像は平成十年(1998)、鷹女の生誕100年を記念して建てられたもの、と記されている。
表参道を新勝寺へ。
表参道の下り坂道を進む。
表参道の両側には土産物店やうなぎ屋が立ち並んでいる。
うなぎの蒲焼き
職人が見事な手捌きでうなぎを捌いていた。
『凄いわね~っ』
うなぎ料理のメニュー
『けっこう良い値段だね~っ』
うなぎ料理専門の店や
うなぎ料理と蕎麦の店もある。
12時34分、成田山新勝寺の総門前に到着した。
『いやぁ でっかい総門だねぇ』
総門を潜った先で手を洗い清め、
仁王門へ。
仁王門を潜ると、
小さな池がある。
亀が甲羅干しをしていた。
急な石段を上ると、
目の前に大本堂が。
成田山新勝寺は真言宗のお寺である。
寛朝僧正(かんちょうそうじょう)によって開山・開基され、江戸時代、庶民の信仰の場として、
多くの参詣客で賑わった。
成田山新勝寺では毎年2月に節分会が開催され、特別追儺(ついな)豆まき式が行われる。
新勝寺の豆まき式には、大相撲力士や歌舞伎俳優、芸能人などの特別参加年男(女性含む)が加わって、
華やかに行われることで有名である。
『いやぁ 実に堂々とした構えだよねぇ』
右手には三重塔(重要文化財)が。
正徳二年(1712)に建立された。
総高は25mで、塔内には大日如来を中心に五智如来が奉安されている。
参詣後、大本堂前で記念撮影を行い、
12時52分、新勝寺を後にして、表参道のうなぎ屋へ。
いろんな店があって迷ったが、店頭のサンプルに誘われて「近江屋」といううなぎ料理屋へ。
先ずは冷えた生ビールで『かんぱ~いっ』
『いやぁ 冷たくて美味いっ!』
せっかく成田山に来たのでうな重をと思ったが、注文したのは、全員うな丼(1,800円税込)だった。
うなぎの量が重の半分しかないとのことだが、ご飯の量と味は変らない、というのが主な理由である。
『けっこうボリュームもあるし、良い味してるよねっ』
『来年の柴又七福神巡りの時はうな重だねっ』
うな丼に満足し、表参道を成田駅方面へ。
なごみの米屋総本店へ立寄った。
米屋総本店の店内
明治32年創業の老舗和菓子屋で、成田山新勝寺の参詣土産として有名である。
見覚えのある人が土産物を買っていた。
皆さん、土産物をぶら下げて成田駅へ。
自分は栗羊羹、なごみるく、ぴーなっつ最中を買った。
14時32分、成田駅に到着。
成田線改札口へ。
次の我孫子行きは14時45分だ。
電車内は平日のため空いていた。
昼食後と少し疲れたこともあって、我孫子駅まで一眠りしてしまった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
”酒々井駅から成田山新勝寺へ”ウォーキングが無事終わった。
前回(11月1日)の”小町山遊々ハイキング”に続く20名超の参加者となった。
絶好のウォーキング日和に恵まれたのが大きいし、新入会員の参加があったことも大きな要因と思う。
昼食に成田山名物の新勝寺表参道のうなぎを食べた。
うな重ではなくうな丼を注文した。
味に変りはないものの、せめてうな重にしておけばとの思いは残る。
来年年明けの七福神巡りはうなぎが名物の”柴又七福神巡り”を企画しているので、
そのときはうな重を注文することにしようと今から申し合わせている。
この日の万歩計は、15,000歩を計測していた。
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