ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

引返すハプニングも 外房釣師海岸から御宿へ

2019年03月15日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年3月15日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第38回(2019年第10回)、「外房釣師海岸から御宿へ」ウォーキングに参加した。

数年前から毎年この時期は、暖かい南房へのバスハイクを企画している。
今回は、外房の釣師海岸から御宿へ向けて歩くことにした。

三中公民館で常南交通のバスを待つ。


7時16分、予定より4分ほど早く常南交通バスがやって来た。


この日の参加者は24名である。


国道6号から県道274号(学園西大通り)を通り、


7時41分、圏央道つくば牛久ICを通過


東関東道方面へ。


この日の朝食弁当
おにぎり3個と唐揚げ・卵焼き・お新香が付いている。


牛久大仏
『行ってきま~すっ』


7時59分、江戸崎PAで最初の休憩を摂り、


利根川を渡る。


大栄JCTから東関東道へと走り、


8時32分、富里ICを降りて一般道へ。


国道409号に続いて国道126号(東金街道)を走り、


9時20分、東金街道から九十九里有料道路台方ICへ。


9時30分、九十九里有料道路真亀料金所を通過し、


九十九里有料道路を走る。
天気は申し分なく、車も少ないので快適である。


9時43分、一宮PAで2度目の休憩を摂る。


一宮川を渡って国道128号に合流し、


太東魚港へ。


ここで昼食の弁当を受け取った。


再び国道128号を走り、


10時31分、この日のスタート地点JR浪花駅に到着した。
三中公民館を出発して3時間余りが経っていた。
『駅前には何もないんだねぇ』


めいめい弁当を受け取り、


出発の準備は整った。


10時38分、先ずは岩船地蔵尊目指して出発だ!


浪花郵便局を通過し、


続いて浪花駐在所を通過すると、


国道128号に出た。
目の前に横断歩道橋があった。
『準備運動にはちょうど良いわねっ』


横断歩道橋を渡り、


岩船地蔵尊方面を目指して進む。


浪花小学校
『今時、二宮尊徳像があるのは珍しいよねっ』


道なりに進む。


左手に八幡神社の鳥居が見える。


さらに道なりに進むと右手にお寺が。
光明寺と思われる。
青い屋根瓦の鐘楼が印象的である。
『絵になる風景だねぇ』


しばらく田園風景の中を進む。


関東ふれあいの道の案内表示があった。
岩船地蔵尊0.6Kmとある。


案内標識に従って進むと、


トンネルがあった。
岩船隧道である。
『随分と道幅が広いんだねぇ』


岩船隧道を抜けると、小さな漁港が見えて来た。
岩船漁港だ。


岩船地蔵尊0.2Kmの標識の先に地蔵堂らしき建物が見えた。


11時14分、最初の目的地岩船地蔵尊に到着した。


石段を上ると六地蔵が迎えてくれた。


岩船地蔵尊は、岩船漁港の西側の海に突き出た岩場の地蔵堂に祀られている。


関東百八地蔵尊 第七八番札所 岩船地蔵尊にお参り。


本尊・木造地蔵菩薩坐像は室町期の作と伝えられている。
地蔵尊は「イボ」を治すという評判から「イボ地蔵」とも呼ばれる。
海上安全・五穀豊穣などの守り本尊として、漁業者をはじめ近郷の人々の信仰を集めている。


岩船地蔵尊縁起
この岩船地蔵尊は、日本三岩船地蔵(下野岩船・越後岩船・上総岩船)の一つである。
後宇多天皇の頃の建治元年(1275)九月、中納言藤原兼定卿が東国の衆生済度のため、
ご本尊と75座の神々をいただき巡航中、たまたま台風に遭ってしまい、この付近の釣師海岸に漂着した。
このときご本尊から多くの吉兆があらわれ、一同は無事に上陸することが出来た。
これにより、兼定卿は村人と相談し、景色の美しいこの地にお堂を建立してご本尊をお祀りしたと
伝えられている。
以来、五穀豊穣・海上安全・所願成就の守り本尊として人々の厚い信仰を集めている。
安置されている御本尊は、檜の寄木造りで室町時代の作といわれ、いすみ市指定の文化財となっている。
岩船地蔵尊保存会


岩船地蔵堂から岩船漁港方面を望む。


これから向かう釣師海岸方面を望む。


11時26分、岩船地蔵尊を後にして、


釣師海岸方面へ。


釣師海岸を目指す。


草原の間から海が見えた。
『穏やかな海だねぇ』
(この時は、この下の右手が釣師海岸とは気が付かなかった)


道なりに進む。


『この辺に海に出られる道がないのかなぁ』
釣師海岸に出られる所を探すが、見つからない。
突然、”危険 この先通行禁止” ”転落死亡事故多発地点”の看板が。


茂みの向こうにトンネルがあるが、”立入禁止”の文字が見える。
鉄格子のような柵があって通れなくしてある。
トンネルの先が明るくなっているのを見ると、海へ通じているようだが・・・


『海へ通じる径はもう少し先なのかなぁ?』
なおも道なりに進むとトンネルがあった。
釣師(つるし)隧道とある。


釣師隧道を抜けた辺りで、Google mapで確認すると、釣師海岸は既に通り過ぎていることに
ようやく気が付いた。
この先、海へ通じるような小径はないものと判断し、急遽先ほどの海が見えた所まで
引返すことにした。


海が見えた場所まで引き返し、あらためて周りを見ると、
関東ふれあいの道の釣師(つるし)海岸の説明板があった。
それには、
釣師海岸の一帯は、高さ60mほどのほぼ垂直に切り立った断崖であり、外房第一の
外洋的景観を呈しています。
また、この場所は75の神々の漂着地と伝えられており、岩船八幡神社の祭礼には
今でも75座の神々を供応する神事(大原町無形文化財)が行われています、とある。


崖の端から下を覗き込むと、ネットの写真で見た釣師海岸の断崖が目の前に見えた。
ただ、海岸へ降りる径などはないし、海岸を見ても海岸線に沿って歩けるような所でもない。


反対側の海岸も垂直の崖に囲まれている。
釣師海岸はここから観るだけの断崖であることが初めて分かった。


崖の上に”伝説七十五座漂着の地”と刻まれた石碑が立っていた。
後宇多天皇の頃の建治元年(1275)九月、中納言藤原兼定卿が東国の衆生済度のため、
ご本尊と75座の神々をいただき巡航中、たまたま台風に遭い、この付近の釣師海岸に漂着した。


11時56分、釣師海岸を後にして、次の目的地ドン・ロドリゴ上陸地を目指すことにした。
もうすぐお昼、『ここで弁当に』の声もあったが、ゴールの御宿までの残りの距離を考えると、
ドン・ロドリゴ上陸地まで頑張って歩こうということに。


『釣師海岸ってなかなか良い景色だったわよねっ』


海岸から離れて次第に山の中へ進み、再び釣師隧道を抜けると、


その先、左手に池があった。


さらにその先にまたトンネルがあった。
沢崎(さわさき)隧道とある。


濃い色の花が咲いていた。
『桜みたいだねっ』


リュウキュウカンヒザクラ(琉球寒緋桜)に似ている。


山神社を右手に見上げながら、


小池(おいけ)隧道を抜けると、


12時19分、三叉路に出た。
左に進路を取り、


道なりに進む。
車はほとんど通らない。
『のんびりとした景色が良いわねっ』


緩やかな長い上り坂が続く。


長い坂道を上り切ると、


今度は緩い下り坂になった。


『下りは楽ちんで良いわよねっ』


大きなカーブを曲がりながら進むと、


右手に建物が見えて来た。
海も見える。
そろそろドン・ロドリゴ上陸地があるはずだが・・・


坂道を下って行くと、


先ほど見えた建物は、財団法人 海洋生物環境研究所 中央研究所だった。


道路反対側(海側)に研究所らしき建物があった。


研究所の直ぐ脇にドン・ロドリゴ上陸地の説明板が。


慶長十四年(1609)9月30日夜半、前フィリピン諸島長官ドン・ロドリゴ・デ・ヒベロ・イ・ベラスコ
一行を乗せたサンフランシスコ号がメキシコのアカプルコ港への帰還途中、岩和田の田尻沖で
遭難(乗組員373名)。
事件を知った村民(旧岩和田村)は総出で駆け付け、救助活動にあたった。
救助されたロドリゴ一行は、37日間を過ごした岩和田村に別れを告げ、大多喜城経由で
江戸へと出発することとなり、駿府では将軍徳川家康に謁見している。
その後、家康はロドリゴたちの帰国のため、舟を作らせ、慶長十五年(1610)6月13日に浦賀を出航し、
その年の10月27日に、無事アカプルコ港に到着した。
『へぇ~ そうなんだ』


海洋生物環境研究所脇の細い径を海側に進むと、


12時51分、目の前にドン・ロドリゴ一行が上陸したと云われる砂浜の海岸があった。
『今から400年前にここに上陸したんだね~っ』


右側の風景


パノラマで見るとこんな感じ。


ドン・ロドリゴ上陸地碑
慶長十四年(1609)九月三十日、前フィリピン諸島長官ドン・ロドリゴが任期満ちて
メキシコに帰ろうとルソンのマニラ港からスペイン帆船サンフランシスコ号で
メキシコのノビスパンのアカプルコ港に向かう途中暴風雨に遭い、この海岸に座礁した。
夜半317名の乗組員が上陸したが、岩和田村の人々はこれを温かく迎え手厚く保護し、
幕府の指示が下るまでの37日間、当地の大宮寺に滞在させた。
昭和五十六年三月三十一日
御宿町 夷隅郡教育委員会


先に到着した組はベンチに座って一休みだ。
『ここで弁当だねっ』 『お腹空いちゃったぁ』
弁当にしましょう!


この日の弁当
(今までで一番美味しかったと言う声も聞かれた)


海を眺めながらの弁当は最高だ。


弁当タイム(1)


弁当タイム(2)


13時28分、次の目的地メキシコ記念公園を目指す。


メキシコ記念公園へ。


小納戸(こなど)隧道を抜けると、


関東ふれあいの道の里程標があった。
御宿駅まで3.1Kmと表示されているが、次の目的地メキシコ記念公園まではもう少し近い。


道なりに進むと、


白い塀に囲まれた大きな建物があった。
『立派な建物だわねぇ』 『個人の家なのかしらっ?』
紫篁閣(しこうかく)とある。
昔、樹木希林さんの別荘(真偽は不明)だったと言われている建物だそう。


前方の丘の上に塔のようなものが見えて来た。
メキシコ記念塔?


メキシコ記念公園0.3Kmの案内標識が。
『行ってみましょうっ!』


急坂の道を上って行くと、


13時46分、ロペス・メキシコ大統領来訪記念塔に到着した。


昭和53年11月1日、国賓として来日されたホセ・ロペス・ポルティーリョ大統領は、
この日、日・西・墨交通発祥の地である、我が御宿町を来訪された。
大統領は、若者たちのかつぐみこしに乗り、日の丸の扇を高くかざし、
『エルマーノ!』(兄弟よ!)を連呼し、町民の歓呼に応えた。


ドン・ロドリゴ上陸の地
日・西・墨三国交通発祥記念之碑由来記
1609年(慶長十四年)スペイン領フィリピン総督を乗せた帆船サンフランシスコ号は、
フィリピンからメキシコに向け航海中台風に遭遇し漂流、この岩和田海岸に座礁・沈没した。
秋九月三十日未明のことである。
乗組員373人のうち56人は溺死、残る317人は岩和田村民により救出された。
この時海女たちは、飢えと寒さと不安にうちふるえる異国の遭難者たちを、
素肌で暖め蘇生させたと伝えられている。
大多喜城主本田忠朝の判断により遭難者たちは37日間岩和田大宮寺に滞在、
村民の手厚い保護を受けた後、江戸城に至り家康に謁し、翌1610年家康が
三浦按針に建造させた新しい舟を与えられ無事メキシコに帰国した。
(以下略)


記念塔


海女たちが瀕死の状態にあった乗組員を素肌で暖めて蘇生させている「抱擁の像」


この像は、平成21年に墨日交流400周年を記念して、メキシコ政府より御宿町に寄贈された。


眼下に岩和田港が見える。


14時2分、メキシコ記念公園を後にして、御宿町へ。
『自信はないけど、この径で行けるんじゃないのっ』


御宿町を目指し、


細い坂道を下る。


岩和田集落の家並みが見えて来た。
『やっぱりこの径で大丈夫だったようだねっ』


14時9分、岩和田の集落に到着した。


地元の人に道順を教えてもらい、岩和田港方面へ。


14時11分、岩和田海岸に出ることが出来た。


『せっかくだから砂浜を歩いてみましょうっ』


『海岸を歩くのは気持ちが良いよねっ』
靴に砂が入るという理由で道路を歩く人も何人か。


『けっこう広い砂浜だねっ』
砂は以外に硬めで、自動車でも走れそうだ。


岩和田海岸
夏は海水浴、オフシーズンはサーファーの聖地となる、そうだ。


小さな流れがあった。
若ければ軽く飛び越えられる川幅なのだが・・・


仕方がないので海岸沿いの道路に戻って進む。


『向こう岸に渡る橋が見えるわねっ』


月の沙漠の像も見える。


月の沙漠記念館前を通り、


橋を渡って向こう岸へ。
『鯉みたいな魚がいっぱいいるよっ』


『みんなが餌をあげるから人影が見えると集まってくるんだっ』


月の沙漠を はるばると 旅のらくだが ゆきました
童謡「月の沙漠」はこの砂浜の景色から生まれた。


月の沙漠像


月の沙漠像をバックに全員揃って記念撮影だ。


この日ゴールは、JR御宿駅としていたが、バスが「月の沙漠記念館」まで迎えに来てくれるという。
運転手さんの厚意に甘えて、「月の沙漠記念館」横で待っていてくれたバスに乗り込み、
帰路に就いた。
ここで、カメラの電池が切れてしまった。
リュックに仕舞っておいたはずの予備バッテリーを探したが、見つからない。
別のリュックに移していたことをすっかり忘れてしまっていた。大チョンボである。
この1枚がこの日の最後の写真となった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


2018年度最後のバスハイク「外房釣師海岸から御宿へ」ウォーキングが無事終了した。
今年度のバスハイクは8回企画したが、天気にも恵まれて全て実施することが出来た。

釣師海岸では説明板を見落として、途中で引返すというハプニングがあったが、
外房第一の外洋的景観と云われる60mの断崖絶壁を見ることが出来たのは幸いだった。
ドン・ロドリゴ上陸地のことについては、今回訪れてみて初めて知った。
旧岩和田村の海女さんたちが、瀕死の状態にあった乗組員を素肌で暖めて蘇生させている
「抱擁の像」を見て、感動を覚えた。

来年度のバスハイクは、今年度同様8回企画している。
この時期のバスハイクとしては、南房白間津の海岸とお花畑を歩く予定である。
どんな景色とハプニングがあるのか、今から楽しみではある。

この日の万歩計は、19,000歩を計測していた。

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