2019年3月1日(金)
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第36回(2019年第8回)、「自然教育園から目黒不動尊散策」ウォーキングに参加した。
荒川沖駅7時59分発の電車を待っているところ。
終点の品川駅で山手線に乗り換え、9時41分、目黒駅に到着
この日の参加者は18名である。
『もう少し多いかと思ったけどねっ』
目黒駅前でこの日のコースなどを説明。
駅前の地図で自然教育園への道順を確認し、
9時48分、自然教育園目指して出発!
先頭は、いつものTKさんだ。
目黒通りを進み、
自然教育園を目指す。
頭上を首都高速2号目黒線が走っている。
自然教育園へ。
ポツポツと雨が降ってはいたが、傘を差すほどでもない。
『そのうち晴れるんじゃないっ』
東京都庭園美術館前を通過し、
9時56分、庭園美術館の40mほど先にある自然教育園に到着した。
正式には、国立科学博物館附属自然教育園という。
入園料は310円だが、65歳以上は無料となっている。
窓口で身分証明書を見せるか誕生年を告げれば入場OKである。
10時1分、自然教育園内へ。
ぞろぞろ固まって歩くのも何なので、30分間の自由時間を設けた。
順路脇の路傍植物園には、名前が表示されたいろんな植物が生えている。
『名前があるから解り易いよねっ』
『知らない植物がたくさんあるんだねっ』
砂利道を進む。
えのきに張り付いたきづた
『凄いわねっ ビタっと張り付いてて』
『共存共栄なんだろうねっ』
椎の大木
『椎ってこんなに大きくなるんだぁ』
この土塁は、今から400~500年前、白金長者と呼ばれる豪族によって、
外敵や野火を防ぐために築かれたと考えられています。
土塁は、園の周辺や館のまわりに築かれ、その上に椎の木を植えたと云われています。
自然教育園の池や沢の水は、北側にある土塁の下を通って外へ流れますが、
この出口を閉じると上流部が大きな池になるように作られています。
(説明板)
時折薄日が差してきて、雨の心配はなくなった。
ひょうたん池の案内表示
園内を進む。
『とても都会のど真ん中とは思えないわよねっ』
物語りの松
この老松は江戸時代松平讃岐守の下屋敷の面影を伝えるものです。
近くのひょうたん池などとともに、回遊式庭園であったと思われます。
(説明板)
物語りの松の少し先にひょうたん池が静かな佇まいを見せている。
時折、カワセミが姿を見せるそうだ。
水生植物園内へ。
木橋を渡り、
水生植物園内を進む。
水生植物園
『自然で良いねぇ』
緩やかな坂道を上ると、
約300m ”森の小道を経て武蔵野植物園へ”の標識が。
標識に従って武蔵野植物園へ。
緩い上り坂の森の小道を進む。
いつもは先頭を歩くTKさんだが、この日は最後尾を努めている。
『たまには最後尾も悪くないねっ』
武蔵野植物園付近
武蔵野植物園辺りは高木の落葉樹が多く見られる。
福寿草だ。
『可愛らしいわねっ』
武蔵野植物園
そろそろ出口を目指す時間だ。
『こっちへ行けば良いのかなっ?』
右手に水生植物園の池と東屋が見えて来た。
左手の木々の間から高層ビルが見えた。
『やっぱりここは都会の真ん中なんだねっ』
水生植物園の池を見ながら出口を目指す。
『さっきは池の向こう側を歩いたんだよねっ』
出口へ向かう。
物語りの松を通過
『やっぱりでかいよな~っ』
椎の巨木の林を抜け、
10時34分、管理棟に到着した。
各自自由行動としていたが、ずっと一緒に歩いた感じで、ほとんど時間差なく到着した。
30分間というのはほぼ妥当な時間だったと思う。
展示されていた自然教育園の航空写真を見て、あらためて都心であることを実感させられた。
『よく今まで残せたよねっ』
10時44分、自然教育園を後にして、
目黒通りを戻り、再び目黒駅方面へ。
八幡神社前を通過
目黒通りを目黒駅方面へ。
目黒駅が見えて来た。
写真中央の高層ビルは、三井住友ビルと思われる。
目黒通りを横断し、
三井住友ビル横を行人坂方面へ。
これが行人坂なのか?
『いやぁ これは随分急な坂道だね~っ』
坂道の途中に行人坂の説明板があった。
寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めました。
次第に多くの行人が集まり住むようになったので行人坂と呼ばれるようになったと言われています。
(行人:仏道を修行する人。行者)
目黒区教育委員会
行人坂の説明板の横に目黒川架橋供養勢至菩薩石像が祀られていた。
台座の前面と両側面に、江戸中期における目黒川架橋のことを語る銘文が刻まれています。
銘文によると、宝永元年(1704)に西運という僧が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、
往復の途中江戸市民の報謝をうけ、両岸に石壁を築いて、雁歯橋を架けたことが分かります。
目黒川架橋の史実を物語る貴重な資料です。
目黒区教育委員会
10時58分、大円寺に到着した。
大黒天の幟も見える。
『七福神も祀られているようだねっ』
松林山大円寺
寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切り開き、大日金輪を祀って
祈願の道場を開いたのがその始まりと伝えられている。
明和九年二月(1772)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出したが、
その供養のため造られた釈迦三尊・十六大弟子、五百羅漢の像等の「大円寺石仏群」が
建てられている。
大円寺石仏群は都指定文化財になっている。
本堂前に鎮座する全身金色の大仏如来像
『どんな御利益があるんだろうねっ』
『凄くたくさん石仏が並んでるわね~っ』
左右に文殊菩薩・普賢菩薩を配した釈迦三尊像を
十大弟子と十六羅漢が囲み、
背後に四九一基の羅漢像が並ぶ。
明和九年(1772)、江戸市中を焼く大火があり、火元と見られたのが大円寺であった。
この火事は「行人坂の火事」と呼ばれ、明暦三年(1657)の「振袖火事」、文化三年(1806)の
「車町の火事」と並び、江戸三大火事との一つに数えられている。
大円寺から上がった火の手が強風に煽られ、三日三晩燃え続け江戸の町の三分の一を
焼き尽くしたそうである。
五百羅漢は、その時の犠牲者(約14,700余人)を供養するために建立されたものとある。
東京都教育委員会
都郷土資料「大円寺石仏群」碑
大円寺境内の梅が見頃を迎えていた。
『きれいだねっ』
大円寺を後にして、目黒不動尊を目指す。
11時6分、ホテル目黒雅叙園前を通過。
『いやぁ 凄く立派で大きな建物だねぇ』
太鼓橋は1700年初頭に木喰上人が造り始め、後に江戸八丁堀の商人達が資材を出し合って、
宝暦十四年(1764)から6年の歳月を経て完成した。
広重はこの太鼓橋を浮世絵に描いており、こうしたアーチ形の石橋は江戸の中でも他に例がなく、
目黒の欧風文化の第一号とさえ言われたが、大正九年(1920)9月1日に豪雨により石橋が
濁流にのまれたため、昭和七年(1832)架設された。
現在の橋は、目黒川流域の都市整備計画により、平成三年(1991)11月に完成した。
(現地説明板)
『上からじゃ分からないけど、下はアーチ形になってるんだろうねっ』
目黒川
『最近は桜で有名だよねっ』
『一度桜の時期に歩いてみたいわねっ』
太鼓橋を渡り、
目黒不動尊へ。
高架橋で山手通り(首都高速中央環状線)を横断。
高架橋を渡って、
右に折れ、小さな道を目黒不動尊を目指す。
目黒不動尊の案内標識が
標識に従って進むと、正面に鳥居のようなものが。
しかし、扉は閉まっていてここから中へは入れない。
”この先80mに入口あります”とある。
標識に従って進むと、目黒不動尊の裏手に出た。
11時24分、目黒不動尊大本堂に到着した。
『いやぁ 立派な不動尊だねぇ』
お参りを済ませた。
目黒不動尊大本堂
『変わった形の鳥居だねぇ』
この形状は「山王鳥居」と云い、山王一実神道の独自の形式、とのこと。
神仏習合の形を今も留めている。
山王鳥居を潜って石段を下りた先に、
楼門形式をした仁王門がある。
仁王様(阿像)
(金網の目が小さいため仁王様の顔がよく見えない。
ストロボでは反射してなお見えない。やっかいな金網である)
目黒不動尊を後にして、次の目的地安養院へ。
感を頼りに目黒不動尊前の商店街の路地を進んで行くと・・・
11時36分、突然目の前に安養院が現れた。
『意外と近くにあったんだぁ』
安養院の狭い参道を進むと、六地蔵などが迎えてくれた。
『こんな狛犬初めてだねっ』 『見慣れないねぇ』
これは狛犬ではなく、中国獅子だそうである。
『随分顔がでかいんだねぇ』
中国獅子は、ほとんどが「阿-阿」で、両方とも口を開いているのが特徴、とのこと。
さらに参道を進む。
参道の両側は墓地になっており、参道には手入れされた花木が植えられている。
門を潜ると、
正面に高層ビルが。
安養院は、「臥龍山安養院能仁寺」という密教系寺院、とのこと。
本堂はビルの5階にあるそうだ。
引き返す途中、梅の木に小鳥が集まっていた。
メジロである。
花の蜜を吸っているようだ。
安養院を後にする。
成就院はすぐ近くにあったが、門は閉じられていた。
『中には入れなさそうだねっ』
と思ったら、
門の直ぐ左隣に成就院の駐車場があり、そこからは自由に境内に入ることができた。
たこ薬師
「ありがたや 福をすいよせる たこ薬師」
たこ薬師の本堂正面に回ってお参りを済ませた。
『どうか福がありますように』
成就院を後にして、東急不動前駅へ
不動前駅へ向かう途中、お昼の食べ物屋が気になりだした。
『おっ トンカツ屋だぁ』 『トンカツが食べたいねぇ』
スーパーオオゼキ前の信号を横断。
『お蕎麦屋さんも良いわね~っ』
『牛丼も良いけど久し振りの外食がファストフードじゃねぇ』
まぐろ丼の幟も見える。
『この辺りにはいろんな店があるんだねぇ』
12時2分、東急目黒線不動前駅に到着。
ちょうどお昼時なので、この日はここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
解散した後、残った数人は最後に近くの氷川神社へお詣りすることにした。
『この日訪れたのは寺院ばっかりだったからねぇ』
不動前駅から来た道の反対側へ少し進むと、”氷川神社参道”の案内表示が見えた。
12時10分、氷川神社に到着
『意外と立派な神社だったんだねっ』
氷川神社に参拝!
氷川神社に参拝を済ませ、先ほどのトンカツ屋が気になっていたので、
トンカツ屋を目指すことにした。
『JR目黒駅周辺よりも空いてて安いかもねっ』
不動前駅を通過し、
12時30分、トンカツ屋「八千代」に到着
店内は予想通り空いていた。
先ずはビールで、
『いやぁ ウォーキングの後はやっぱり美味いっ』
かつ丼(850円)を注文した。
皆さんはロースかつ(850円)だ。
『けっこうボリュームがあるよっ』
JR目黒駅はそんなに遠くないので、食後の運動も兼ねて目黒駅まで歩くことにした。
ホテル目黒雅叙園前を通り、
急坂の行人坂を上る。
『最後が一番きついよねっ』 『いやぁ 堪えるね~っ』
何とか目黒駅前に出た。
正面に見えるのはAtre1だ。
13時32分、Atre1向かいの目黒駅に到着し、山手線で品川へ。
品川から常磐線始発に乗り換え、帰路に就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
自然教育園から目黒不動尊まで散策した。
この日のコースは、2009年2月24日に「KDD遊歩会」の定例ウォーキングで歩いて以来なので、
10年ぶりとなる。
自然教育園は、10年前と全く変わっておらず、まるで別世界、都心のオアシスである。
機会があれば、また訪れてみたい。
その時は隣の庭園美術館も同時に訪れたい、と思う。
この日の万歩計は、13,000歩を少し超えていた。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第36回(2019年第8回)、「自然教育園から目黒不動尊散策」ウォーキングに参加した。
荒川沖駅7時59分発の電車を待っているところ。
終点の品川駅で山手線に乗り換え、9時41分、目黒駅に到着
この日の参加者は18名である。
『もう少し多いかと思ったけどねっ』
目黒駅前でこの日のコースなどを説明。
駅前の地図で自然教育園への道順を確認し、
9時48分、自然教育園目指して出発!
先頭は、いつものTKさんだ。
目黒通りを進み、
自然教育園を目指す。
頭上を首都高速2号目黒線が走っている。
自然教育園へ。
ポツポツと雨が降ってはいたが、傘を差すほどでもない。
『そのうち晴れるんじゃないっ』
東京都庭園美術館前を通過し、
9時56分、庭園美術館の40mほど先にある自然教育園に到着した。
正式には、国立科学博物館附属自然教育園という。
入園料は310円だが、65歳以上は無料となっている。
窓口で身分証明書を見せるか誕生年を告げれば入場OKである。
10時1分、自然教育園内へ。
ぞろぞろ固まって歩くのも何なので、30分間の自由時間を設けた。
順路脇の路傍植物園には、名前が表示されたいろんな植物が生えている。
『名前があるから解り易いよねっ』
『知らない植物がたくさんあるんだねっ』
砂利道を進む。
えのきに張り付いたきづた
『凄いわねっ ビタっと張り付いてて』
『共存共栄なんだろうねっ』
椎の大木
『椎ってこんなに大きくなるんだぁ』
この土塁は、今から400~500年前、白金長者と呼ばれる豪族によって、
外敵や野火を防ぐために築かれたと考えられています。
土塁は、園の周辺や館のまわりに築かれ、その上に椎の木を植えたと云われています。
自然教育園の池や沢の水は、北側にある土塁の下を通って外へ流れますが、
この出口を閉じると上流部が大きな池になるように作られています。
(説明板)
時折薄日が差してきて、雨の心配はなくなった。
ひょうたん池の案内表示
園内を進む。
『とても都会のど真ん中とは思えないわよねっ』
物語りの松
この老松は江戸時代松平讃岐守の下屋敷の面影を伝えるものです。
近くのひょうたん池などとともに、回遊式庭園であったと思われます。
(説明板)
物語りの松の少し先にひょうたん池が静かな佇まいを見せている。
時折、カワセミが姿を見せるそうだ。
水生植物園内へ。
木橋を渡り、
水生植物園内を進む。
水生植物園
『自然で良いねぇ』
緩やかな坂道を上ると、
約300m ”森の小道を経て武蔵野植物園へ”の標識が。
標識に従って武蔵野植物園へ。
緩い上り坂の森の小道を進む。
いつもは先頭を歩くTKさんだが、この日は最後尾を努めている。
『たまには最後尾も悪くないねっ』
武蔵野植物園付近
武蔵野植物園辺りは高木の落葉樹が多く見られる。
福寿草だ。
『可愛らしいわねっ』
武蔵野植物園
そろそろ出口を目指す時間だ。
『こっちへ行けば良いのかなっ?』
右手に水生植物園の池と東屋が見えて来た。
左手の木々の間から高層ビルが見えた。
『やっぱりここは都会の真ん中なんだねっ』
水生植物園の池を見ながら出口を目指す。
『さっきは池の向こう側を歩いたんだよねっ』
出口へ向かう。
物語りの松を通過
『やっぱりでかいよな~っ』
椎の巨木の林を抜け、
10時34分、管理棟に到着した。
各自自由行動としていたが、ずっと一緒に歩いた感じで、ほとんど時間差なく到着した。
30分間というのはほぼ妥当な時間だったと思う。
展示されていた自然教育園の航空写真を見て、あらためて都心であることを実感させられた。
『よく今まで残せたよねっ』
10時44分、自然教育園を後にして、
目黒通りを戻り、再び目黒駅方面へ。
八幡神社前を通過
目黒通りを目黒駅方面へ。
目黒駅が見えて来た。
写真中央の高層ビルは、三井住友ビルと思われる。
目黒通りを横断し、
三井住友ビル横を行人坂方面へ。
これが行人坂なのか?
『いやぁ これは随分急な坂道だね~っ』
坂道の途中に行人坂の説明板があった。
寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めました。
次第に多くの行人が集まり住むようになったので行人坂と呼ばれるようになったと言われています。
(行人:仏道を修行する人。行者)
目黒区教育委員会
行人坂の説明板の横に目黒川架橋供養勢至菩薩石像が祀られていた。
台座の前面と両側面に、江戸中期における目黒川架橋のことを語る銘文が刻まれています。
銘文によると、宝永元年(1704)に西運という僧が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、
往復の途中江戸市民の報謝をうけ、両岸に石壁を築いて、雁歯橋を架けたことが分かります。
目黒川架橋の史実を物語る貴重な資料です。
目黒区教育委員会
10時58分、大円寺に到着した。
大黒天の幟も見える。
『七福神も祀られているようだねっ』
松林山大円寺
寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切り開き、大日金輪を祀って
祈願の道場を開いたのがその始まりと伝えられている。
明和九年二月(1772)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出したが、
その供養のため造られた釈迦三尊・十六大弟子、五百羅漢の像等の「大円寺石仏群」が
建てられている。
大円寺石仏群は都指定文化財になっている。
本堂前に鎮座する全身金色の大仏如来像
『どんな御利益があるんだろうねっ』
『凄くたくさん石仏が並んでるわね~っ』
左右に文殊菩薩・普賢菩薩を配した釈迦三尊像を
十大弟子と十六羅漢が囲み、
背後に四九一基の羅漢像が並ぶ。
明和九年(1772)、江戸市中を焼く大火があり、火元と見られたのが大円寺であった。
この火事は「行人坂の火事」と呼ばれ、明暦三年(1657)の「振袖火事」、文化三年(1806)の
「車町の火事」と並び、江戸三大火事との一つに数えられている。
大円寺から上がった火の手が強風に煽られ、三日三晩燃え続け江戸の町の三分の一を
焼き尽くしたそうである。
五百羅漢は、その時の犠牲者(約14,700余人)を供養するために建立されたものとある。
東京都教育委員会
都郷土資料「大円寺石仏群」碑
大円寺境内の梅が見頃を迎えていた。
『きれいだねっ』
大円寺を後にして、目黒不動尊を目指す。
11時6分、ホテル目黒雅叙園前を通過。
『いやぁ 凄く立派で大きな建物だねぇ』
太鼓橋は1700年初頭に木喰上人が造り始め、後に江戸八丁堀の商人達が資材を出し合って、
宝暦十四年(1764)から6年の歳月を経て完成した。
広重はこの太鼓橋を浮世絵に描いており、こうしたアーチ形の石橋は江戸の中でも他に例がなく、
目黒の欧風文化の第一号とさえ言われたが、大正九年(1920)9月1日に豪雨により石橋が
濁流にのまれたため、昭和七年(1832)架設された。
現在の橋は、目黒川流域の都市整備計画により、平成三年(1991)11月に完成した。
(現地説明板)
『上からじゃ分からないけど、下はアーチ形になってるんだろうねっ』
目黒川
『最近は桜で有名だよねっ』
『一度桜の時期に歩いてみたいわねっ』
太鼓橋を渡り、
目黒不動尊へ。
高架橋で山手通り(首都高速中央環状線)を横断。
高架橋を渡って、
右に折れ、小さな道を目黒不動尊を目指す。
目黒不動尊の案内標識が
標識に従って進むと、正面に鳥居のようなものが。
しかし、扉は閉まっていてここから中へは入れない。
”この先80mに入口あります”とある。
標識に従って進むと、目黒不動尊の裏手に出た。
11時24分、目黒不動尊大本堂に到着した。
『いやぁ 立派な不動尊だねぇ』
お参りを済ませた。
目黒不動尊大本堂
『変わった形の鳥居だねぇ』
この形状は「山王鳥居」と云い、山王一実神道の独自の形式、とのこと。
神仏習合の形を今も留めている。
山王鳥居を潜って石段を下りた先に、
楼門形式をした仁王門がある。
仁王様(阿像)
(金網の目が小さいため仁王様の顔がよく見えない。
ストロボでは反射してなお見えない。やっかいな金網である)
目黒不動尊を後にして、次の目的地安養院へ。
感を頼りに目黒不動尊前の商店街の路地を進んで行くと・・・
11時36分、突然目の前に安養院が現れた。
『意外と近くにあったんだぁ』
安養院の狭い参道を進むと、六地蔵などが迎えてくれた。
『こんな狛犬初めてだねっ』 『見慣れないねぇ』
これは狛犬ではなく、中国獅子だそうである。
『随分顔がでかいんだねぇ』
中国獅子は、ほとんどが「阿-阿」で、両方とも口を開いているのが特徴、とのこと。
さらに参道を進む。
参道の両側は墓地になっており、参道には手入れされた花木が植えられている。
門を潜ると、
正面に高層ビルが。
安養院は、「臥龍山安養院能仁寺」という密教系寺院、とのこと。
本堂はビルの5階にあるそうだ。
引き返す途中、梅の木に小鳥が集まっていた。
メジロである。
花の蜜を吸っているようだ。
安養院を後にする。
成就院はすぐ近くにあったが、門は閉じられていた。
『中には入れなさそうだねっ』
と思ったら、
門の直ぐ左隣に成就院の駐車場があり、そこからは自由に境内に入ることができた。
たこ薬師
「ありがたや 福をすいよせる たこ薬師」
たこ薬師の本堂正面に回ってお参りを済ませた。
『どうか福がありますように』
成就院を後にして、東急不動前駅へ
不動前駅へ向かう途中、お昼の食べ物屋が気になりだした。
『おっ トンカツ屋だぁ』 『トンカツが食べたいねぇ』
スーパーオオゼキ前の信号を横断。
『お蕎麦屋さんも良いわね~っ』
『牛丼も良いけど久し振りの外食がファストフードじゃねぇ』
まぐろ丼の幟も見える。
『この辺りにはいろんな店があるんだねぇ』
12時2分、東急目黒線不動前駅に到着。
ちょうどお昼時なので、この日はここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
解散した後、残った数人は最後に近くの氷川神社へお詣りすることにした。
『この日訪れたのは寺院ばっかりだったからねぇ』
不動前駅から来た道の反対側へ少し進むと、”氷川神社参道”の案内表示が見えた。
12時10分、氷川神社に到着
『意外と立派な神社だったんだねっ』
氷川神社に参拝!
氷川神社に参拝を済ませ、先ほどのトンカツ屋が気になっていたので、
トンカツ屋を目指すことにした。
『JR目黒駅周辺よりも空いてて安いかもねっ』
不動前駅を通過し、
12時30分、トンカツ屋「八千代」に到着
店内は予想通り空いていた。
先ずはビールで、
『いやぁ ウォーキングの後はやっぱり美味いっ』
かつ丼(850円)を注文した。
皆さんはロースかつ(850円)だ。
『けっこうボリュームがあるよっ』
JR目黒駅はそんなに遠くないので、食後の運動も兼ねて目黒駅まで歩くことにした。
ホテル目黒雅叙園前を通り、
急坂の行人坂を上る。
『最後が一番きついよねっ』 『いやぁ 堪えるね~っ』
何とか目黒駅前に出た。
正面に見えるのはAtre1だ。
13時32分、Atre1向かいの目黒駅に到着し、山手線で品川へ。
品川から常磐線始発に乗り換え、帰路に就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
自然教育園から目黒不動尊まで散策した。
この日のコースは、2009年2月24日に「KDD遊歩会」の定例ウォーキングで歩いて以来なので、
10年ぶりとなる。
自然教育園は、10年前と全く変わっておらず、まるで別世界、都心のオアシスである。
機会があれば、また訪れてみたい。
その時は隣の庭園美術館も同時に訪れたい、と思う。
この日の万歩計は、13,000歩を少し超えていた。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。