ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

旧甲州街道を歩く 第三回 高井戸宿から府中宿へ

2016年06月26日 | ウマさんの「旧甲州街道」を歩く
2016年6月26日(日)

今年(2016年)の4月で「特選街道を歩く」が終わったことを受けて、仲間の皆さんから
『今度はどこを歩くの?』という声が上がり、甲州街道を歩くことにした。
日本橋から内藤新宿までは、「特選街道を歩く」第二回目(2015年2月22日)で歩いているので、
内藤新宿から信州の下諏訪宿までを予定している。

「甲州街道を歩く」第三回目は、高井戸宿(京王線仙川駅)から府中宿(京王線府中駅)
までの約10Kmを歩いた。
なお、甲州道中としては、『深大寺の蕎麦を食べることは外せないだろう』という声が
多数を占めたことから、途中約5Kmほど余分に歩くことになった。

京王線新宿駅
8時19分発の電車に乗り込む。


この日の参加者は、9名である。
Mさんは久しぶりの参加だ。


8時45分、この日の出発地仙川駅に到着


駅前の地図で甲州街道への道を確認し、


8時47分、仙川駅を出発!


甲州街道(国道20号)だ。
『今日も良い天気だねっ』


仙川一里塚
甲州街道5番目の一里塚だ。
仙川駅入口のコンビニの前に、小さな碑が建っているだけである。


仙川駅入口交差点から500mほど行くと甲州街道は2つに分かれている。
細い道なので見過ごし易い。


その分岐点に瀧坂旧道の道標があった。前回見落とした所だ。
(草に覆われて見え難かったので、手で草を除けてもらって撮影した)
前面に瀧坂旧道、側面に馬宿川口屋と刻まれている。


瀧坂旧道の道標から数十m先の道端に薬師如来像が鎮座していた。
『前回ここを通らなかったから、見つからなかったんだぁ』


瀧坂旧道をさらに200mほど進むと、


再び甲州街道(国道20号)と合流した。


甲州街道沿いの中仙川遊歩道を抜けると、


金子の大銀杏がある。
稲荷社前の一対の銀杏は、目通り幹囲4.09mと1.97mで太いほうが雄木、
細いほうの雌木が実をつける。
ここは、私有地なので、傍まで行って見れないのが残念。


前回参加出来なかった2名のため、あらためて金龍寺へ参拝することにした。


金龍寺山門
真っ赤な山門を潜ると、


境内には、ひときわ目を引く閻魔像が鎮座しているほか、


十八羅漢の像があちこちに置かれている。


金龍寺の創立は、建永元年(1206)の古刹である。


金龍寺へのお参りを早々に済ませ、再び甲州街道へ戻り、


次の目的地、常性寺を目指す。


9時35分、野川に架かる馬橋を渡る。
後ろに見えているのは調布警察署


野川は、東京都を流れる多摩川水系多摩川の支流である。


9時38分、野川を渡った道端の木陰で、一息入れる。


旧甲州街道は、調布警察署の先で国道20号と分岐している。


旧甲州街道に入った辺りは、両側に歩行者用グリ-ン帯があったが・・・


いつの間にか歩行者用グリ-ン帯はなくなり、代わりに歩道になった。


道端にお堂があり、中には石像らしきものが刻まれた碑が建っていた。
相当な年月が経っているためか、何が刻まれているのか判断できなかった。


古い形の家
これまでの旧甲州街道では珍しく古い家である。


”映画のまち調布”の幟が目立って増えてきた。
現在、調布市内には、日活調布撮影所・角川大映スタジオをはじめ、高津装飾美術㈱・東映ラボテック㈱・
東京現像所など数多くの映画映像関連企業が集まっている、とのこと。
昭和30年代の日本映画全盛期は、大映・日活に加え独立プロダクション系の調布映画撮影所の3か所で、
映画が制作されるという活況を呈し、調布は「東洋のハリウッド」に例えられた、そうだ。


10時1分、圓福寺に到着


圓福寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で、正式名称は本誓山無量寿院園福寺と称する。


境内には百年記念の碑や地蔵がある。


10時12分、常性寺に到着
常性寺は、正式には「医王山長楽院常性寺」と称し、鎌倉時代に創建された由緒ある寺院で、
不動堂には、成田山不動尊を勧請した不動明王が祀られている。


本堂には、薬師如来座像が安置されている。


「吾(われ)唯(ただ)足(た)るを知る」と読む。
自分の身分をわきまえて、むさぼりの心を起こさぬこと、という意味だ。


小橋馬頭観音塔
境内にある馬頭観音は近隣の馬主が協力して、文政七年(1824)馬の供養に建立したもの。


一願地蔵堂
お参りの際、一度に沢山のお願い事をするのではなく、願いは一つだけ。
そういうところから一願地蔵と呼ばれている。
堂内には、お地蔵さまがずらりと並んで安置されている。
壮観である。


10時19分、常性寺を後にして深大寺を目指す。
『美味い蕎麦を食べたいねっ』


国道20号(現甲州街道)を横断し、


10時33分、野川に架かる榎橋を渡る。


『この木は変わってるねぇ』
コンクリートの塀にぴったりと纏わりついているこの木はツツジだろうか?


中央高速道が見えてきた。


10時44分、中央高速道下を通過すると、


深大寺東参道があった。


深大寺東参道を進む。


深大寺界隈は週末ともなれば、寺をとりまく自然や、名物の深大寺蕎麦に惹かれ、
家族連れ、老若男女で大いに賑わいをみせる。
話し声から、中国語らしき声があちこちから聞こえてくる。
『へぇ~っ こんな所にも中国人が来るんだぁ』 と感心しきり。


深大寺界隈には、蕎麦屋が多い。
この日は日曜日のためか、11時前にも関わらずどの店もたくさんのお客が入っていた。
我々も早くお参りを済ませて蕎麦を食べに行こう。


元禄八年(1695)の普請で境内最古の建物と云われる深大寺山門を潜り、


深大寺本堂に参拝
ご本尊は、宝冠阿弥陀如来像である。


続いて、深大寺における厄除け信仰の中心と云われる、元三大師堂へお参り。
賓頭盧(びんずる)尊者像が祀られていた。
賓頭盧尊者は、お釈迦さまの弟子の十六羅漢の筆頭で、「おびんずるさん」と親しまれており、
病人が患部と同じところを撫でると病気が治る、と云われている。


深大寺釈迦堂に奉安の銅造釈迦如来倚像は、国の重要文化財に指定されている。
東日本一の白鳳仏であり、七世紀頃に奈良で造られたという。


お参りも済んだことだし、近くに蕎麦屋「一休庵」があったので、入ることにした。
店内はまだそれほど混んではいなかった。


MさんとOさんは『かんぱ~いっ』
まだ行程の半分以上も残っているので、歩き終わってからにしよう。
ここは、ぐっと我慢。


江戸時代、深大寺の北の台地は米の生産に向かないため、小作人はそばを作り、
米の代りにそば粉を寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが、
深大寺そばの始まりと伝えられている。


ざる蕎麦(800円)は細麺で美味しかった。


ざる蕎麦だけではちょっと物足りない感じだったので、そば饅頭(120円)を買った。
甘さ控えめの餡が美味しかった。


水車館(無料)があったので入ってみた。


水車小屋内部


水車館の中には石臼や昔の農機具などが陳列されていた。
『昔使ったことがあるよっ 懐かしいわね~っ』
我々の年代なら大方の人は見覚えのある農機具だ。


間もなく12時、行列が出来る蕎麦屋も・・・


武蔵境通りを旧甲州街道へ向かう。


御塔坂橋(おとさかばし)から野川を覗き込む。


『何かいるのっ?』
覗いて見たが、魚などは見えなかった。


12時5分、中央高速道下を通過


旧甲州街道を目指す。


12時20分、再び旧甲州街道に戻った。
常性寺から深大寺を目指してちょうど2時間が経過していた。


臨済宗建長寺派の寺院、金剛山源正禅寺を通過


12時35分、近藤勇と関わりが深いと云われる西光寺に到着。


山門の脇に新選組局長近藤勇の像が建立されていた。
調布市「近藤勇と新選組の会」は、近藤勇没後130年を記念し、近藤勇座像建立委員会を設け、
近藤勇に関わる史実と史跡を末永く伝えるとともに、調布市の観光事業の一助になることを願い
甲陽鎮撫隊所縁の地、西光寺に座像を建立することとした。(近藤勇座像建立委員会)


西光寺仁王門の仁王像(吽像)


本堂は修理中だった。


Oさんから『うちで採れたやつだけど』 とびわの差し入れが。


西光寺の境内で一休み。


仁王門に腰を下して食べたびわは格別だったようだ。
『このびわ甘くて美味しかったぁ』 『ごちそうさま~っ』


12時56分、西光寺を後にする。


中央高速道下を通過すると、


飛田給駅入口交差点を過ぎて直ぐのところに薬師堂があった。
堂内には、飛田給石造瑠璃光薬師如来像が安置されている。
この石仏は、「飛田の原の石薬師」と言われ、庶民信仰の対象となっている。
江戸時代初期、貞享年間(1684~87)に元仙台藩士の松前意仙により造立された。
像身は140Cmの立像で、市の有形民俗文化財に指定されている。
(調布市教育委員会)


境内の隅には石仏類が集められて置かれていた。


府中宿を目指す。


13時14分、府中市に入った。
大化の改新後の律令時代に武蔵国の国府が置かれ、この地方の中心地であるところから、
府中と名付けられた所である。


13時21分、観音院に到着


観音院の門の左横に馬頭観世音が建立されていた。


門の右横には石仏群が安置されていた。


天台宗寺院の観音院は、神明山金剛寺と号する。
本尊は、正観音で、多摩川三十三観音霊場の21番札所となっている。


観音院の門の脇に「下染屋」地名の由来碑があった。
それによると、「下染屋集落は、もともと多摩川のほとりにあったが、度重なる洪水を避けて、
現在の甲州街道沿いの白糸台三丁目辺りに移ってきたと云われている。
地名の起こりは、俗説として調布(てづくりぬの)を染めた所とか、
鎌倉時代に染殿のあった所とかいわれ、染屋の名は南北朝時代の資料にも見えている。
古くは染屋という一つの村落だったものが、その後、上染屋と下染屋の集落に分かれたもので、
寛永十二年(1635)の検地帳には下染屋の名が記録されている」とある。


西武多摩川線の線路を渡る。


13路40分、染屋不動尊に到着


本尊の「金銅阿弥陀如来像」は国指定重要文化財になっている。
新田義貞が鎌倉攻めの時に、陣中の守仏とした、とのこと。


「上染屋」地名の由来碑
古くは染屋という一つの村落だったものが、その後、上染屋と下染屋の集落に分かれたもの。


府中大國玉神社を目指す。


13時55分、常久の碑に到着
常久は、現在の若松町1丁目の一部(旧甲州街道沿い)に集落の中心があった村落。
地名の由来は、人名によるようで、古くは常久(恒久あるいは経久とも)
という人を名主とする名田であったようである。


常久公園で一休み。


間もなく京王線府中駅だ。


京王線上り列車の通過を待って踏切を渡ると、


左側にまた別の踏切があった。
京王競馬場線だ。


競馬場線列車が直ぐ横を通り過ぎていく。
かなりの人が乗っていた。


国府八幡宮への道を確認している間に、八幡宿碑前で一休み。


八幡宿は、現在の八幡町1・2丁目の一部(旧甲州街道沿い)に集落の中心があった村落。
もともと八幡宿は、国府八幡宮の周囲に発達した村落だが、
甲州街道が開設(慶安頃1648~52年)されたのに伴って街道筋に移動した。
宿場町のような村名だが、八幡宿は農業を中心とした村落である。


八幡宿碑の直ぐ先に国府八幡宮への参道があった。


長い参道を通り、競馬場線線路を渡ると、


国府八幡宮の正門だ。


国府八幡宮
聖武天皇(724~748)の頃、一国一社の八幡宮として創建された。


国府八幡宮は、大國魂神社の末社である。
境内には杉の老木が保存樹木として残っている。
訪れる人もあまりいないようで、境内はひっそりと静まり返っていた。


目指す大國玉神社は、府中競馬場駅の先である。
競馬場線線路に沿って行けば近道になるだろう。
府中競馬場駅は、見えている。


14時36分、府中競馬正門駅に到着
ぞろぞろと人が降りてくる。


駅改札の近くに、世界に3,500頭しかいないとされる黄金の馬(アハルテケ)の像があった。


駅改札の正面が競馬場への専用通路になっている。


東京競馬場が見える。
『せっかくだから、本物のレース見てみたいわねっ』 との声が女性陣から上がったが・・・
また別の機会にしてもらおう。


大國玉神社の少し手前に京所(きょうづ)の碑があった。
京所は、現在の宮町の一部、二丁目に集落の中心があった村落。
この村落は、六所宮(大国魂神社)の社領で、八幡宿に属している。
地名の起こりは、経所(きょうしょ)が転訛したものと云われており、
ここに国府の写経所のような施設があった名残だと伝えられている、とのこと。


大国魂神社の北の鳥居を通過すると、


14時45分、大國玉神社に到着した。
大國玉神社は、武蔵国の総社で六社を合祀しており、特に格式の高い「東京五社」の一つとなっている。
「大国魂神社」とも表記される。
源頼朝が妻の安産祈願をし、また源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝祈願をするなど、由緒ある神社。


左に1回、右に1回、そしてもう1回茅の輪を潜って、


無事到着を報告・感謝して参拝を済ませた。
本殿は寛文7年(1667)の建立と伝えられている。
例大祭は、関東三大奇祭の一つである”くらやみ祭り”として有名だそうだ。


宝物殿
日本一大きい太鼓を展示中という看板に誘われ覗いてみた。
太鼓の他に神輿も見える。
都指定文化財の木造狛犬一対は鎌倉期の運慶作、とのこと。


境内では「わんぱく相撲東京都大会府中場所」の真っ最中だった。
小学生のようだが、立派な体格をしている。


土俵では、女子の部の熱戦が繰り広げられていた。


参道には何本もの幟がはためく。


わんぱく相撲の幟の反対側にはずらりと提灯が並んでいた。


こちらは盆踊りで盛り上がっている。
『6月に盆踊りかぁ これも悪くないねぇ』


大鳥居を潜って府中駅へ向かう途中、


源義家の像があった。
「八幡太郎」の名で知られる源義家が、父頼義とともに奥州で起きた乱(前九年の役1051~1062)を鎮めた。
その帰途、康平五年(1062)戦勝祈願成就の報賽として、けやきの苗1000本を大國魂神社に奉納したことが、
けやき並木のはじまりと伝えられている、とのこと。


けやき並木


『いやぁ これはなかなか素晴らしい並木だねぇ』


15時14分、この日のゴール府中駅に到着


『ビールでも飲みましょうっ』 ということで、7Fレストラン街へ。


やきとり屋のつまみメニューは16時からのため、中華料理店「白玉蘭」へ。


『かんぱ~いっ』
『お疲れさまでしたぁ』


『今日はビールが美味しいわね~』


京王線・山の手線と乗り継ぎ、上野駅から常磐線で帰路についた。
皆さん、ちょっとお疲れの様子。


『また来月が楽しみだねっ』

『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「旧甲州街道を歩く」第三回目(高井戸宿~府中宿)を終わった。
京王線仙川駅から、途中深大寺へお参りし、再び旧甲州街道に戻り、
府中駅まで歩くというちょっと長い距離だったが、最後まで歩くことができた。
梅雨の晴れ間にも恵まれたのは、幸いだった。
次回(7月)は、府中宿から日野宿(約8.5Km)を予定している。
今から「旧甲州街道を歩く」が楽しみである。

この日の万歩計は、26,000歩を計測していた。

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