虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

嬉しいメールが届きました・・・

2014-05-20 | 塾長日記
20年前の教え子になるだろうか・・・。いやそれ以上だろうな。
嬉しいメールが届きました。
本人の承諾を得て、掲載させていただきます。
名前はイニシャルにて記載いたします。

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上野先生。お久しぶりです!!
感激です。Iです。上野塾の塾生ではありませんでしたが、
新岐阜駅近く、岐阜予備校でお世話になりました。
先生と一緒にオレゴン・ワラワラへホームステイ行きましたね。
先日、実家に10年ぶりに帰った際(なんと親不孝なことか)
上野塾のサインが気になって・・・。
と言うのも私の実家は芥見の南山なんですよ。
バローのちょっと先にあるのですが、中学生の当時は岐阜バスに乗って、
南山から岐阜予備校に通っていました。

ご縁とは不思議ですね。
たまたま気になった上野塾についてネットで検索したら、
あの剣道着の上野先生ではないですか!何と感激したことか!
今、鳥肌が立っています。
と言いますのも、私は上野先生のお陰で今、
充実した人生を送ることができているのです。

私は今、千葉に住んでおり、
お陰様で結婚もでき4歳になる息子も元気に育ってくれています。
私の人生は上野先生の英語の授業でしごかれ、
オレゴンでの経験もさせて頂き、高校卒業後にアメリカフロリダの大学に進学し、
ディプロマを習得。シアトルにて通訳の仕事を経験し、
岐阜に戻り小学校にて非常勤の英会話の講師ならびに、
自分の英会話教室を開講し、10年過ごしました。
そして、昔からの憧れであった航空会社に就職。
それも当時はノースウエスト航空だったのですが、
現在はオレゴンに行った際に皆で利用したデルタ航空になりました。
カスタマーサービスとして、毎日世界中のお客様の対応をしました。
そして、そこで現在の妻と出会い、私は退職、
妻は今でも成田空港にてデルタ航空で働いております。
私はデルタを退職し、アメリカンエキスプレスのコンシェルジュを経験し、
現在、ヒルトンホテルワールドワイドにて働いております。
アメリカ本社と日本のヒルトンの橋渡しの仕事ですので、
上司はもちろんアメリカ人。仕事もほぼ英語です。

英語が一番苦手で、岐阜予備校でも一番下のクラス。
そんな、英語嫌いな私が、上野先生の不規則動詞を呪文のように唱えて
竹刀でビシビシ頭に叩きこまれていた自分が英語で仕事をするなんて、
当時は思いもしませんでした。
上野先生、本当に人生はチャンスと出会い、そして運ですよね。
上野先生に出会い、英語の楽しさを厳しいなかでも教えてもらい、
アメリカンドリームのような夢が現実になりました。

感謝の気持ち、どうお伝えしてよいのか今、分かりませんが、
本当にありがとうございました。
上野先生が元気に今、私の地元の芥見でたくさんの生徒に
昔と変わらないであろう厳しい中にも愛のある英語の授業をされておられるとは。
本当に嬉しい限りです。今すぐに岐阜に戻って、この気持ちを伝えたいですよ。

上野先生にとっては今まで何千人も教えてきた、生徒の一人である自分ですが、
私にとっては人生の最大の恩師であると思っております。
岐阜に戻る際には是非お会いしましょう。
今の私が居るのはまさしく上野先生のお陰です。
先生の教え子の一人として、先生に続いて英語に携わることができている今に感謝しております。
あまりの嬉しさに取り乱し、思いのまま文章にしてしまいましたので、
何が伝えたいのか不明なまとまりのない文章になってると思います。
申し訳ございません。

先生!!
僕は胸を張って上野先生の教え子で良かったと叫びたいです!!!! 
感謝。

※添付の写真は私の妻と息子です。
 ハワイ島ワイコロアにあるヒルトングランドバケーションに
 今年行った時に撮りました

IY

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Iへ

覚えていますよ。
嬉しいです。
立派になった。
自立したな。
それが私の一番嬉しいことです。

綺麗な奥様、
可愛いお子さん、
家族が人生で一番の中心核です。
家族を大事にできない男は仕事も大事にできません。
不完全な者同士が互いを認め合って、
家族が目指す唯一無二の形を創って行くのです。
私も感動しました。奥様に宜しく。



お蔵入りしていた20年前のその当時の写真





2000稿まで、残り25稿

コメント (5)
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