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何か違う企画でうき特製のお菓子をお送りします♪



11日に想うことなり~







今日であの震災から13ヶ月、今朝、「今日で1年と1ヶ月だね」と言いましたら、「何の日だっけ?」だって。
オイオイ、震災からだよ。
「あんた、それでも日本人かい!」
「そんなん言われてもなぁ。『僕達が最初にデートした記念日から1ヶ月』って言われるみたいなもんじゃん」
「いやいや、それを言うなら『最初に手を繋いだ記念日』くらいだよ。そのあとに『一緒に旅行した記念日』とか『親に挨拶した記念日』とか続くわけよ」
と朝っぱらから本筋から逸れたどうでもいい会話をしてしまった。
しっかし、何だろうねぇ、この時期に大飯原発の再稼動って。
そら、地元の事情もわかるし、経済のことを考えると難しいところなんだけどさぁ、このまま突き進んでいいのかのう。
ガレキ受け入れのことではあんなに反対の声が大きく聞こえるのに、再稼動反対の声ってそんなに聞こえてこないんだよねー。
なんでだろ?
子供達の”未来”のことを考えるなら、このことこそ声を上げるべきなんじゃないのか?
今度こそ「騙された」とか「知らんかった」って言い訳でけへんねんで。
よくわからんわ。
「檻の扉が開いているときにライオンを檻の中に入れないと、機会を逃すんじゃないか。いつまでも檻の扉が開いてるとは限らないんだから」
と言っていたけど、ほんまにそう思いますわ。
扉が閉まってしまったら、チャンスは2度と来ないかもしれないのに。
言うても私らの将来なんて長くてもあと30年、便利で豊かな生活と安全を天秤に掛けたら悩むところやけど、子供達は違うやんなぁ。
「親として」と言うなら、目先のことだけでええんかのう。
ふふふ、険がある言い方でしょ?(笑
「親として」つうのには、本当にうんざりしてるのよ。
だって、何かあると「未来ある子供を持つ親の気持ちをわかって」と感情に訴える人達がよ、ガレキの受け入れ問題では、
「『痛みの分かち合い』だの『絆』だの感情に訴えるな」
↑私自身、実態が伴わない口先だけの言葉は使いたくないし嫌いだけど。
って平気で言うんだもん。
自分達が感情に訴えられたくなかったら、自分達も感情に訴えないでよ。
聞いてる方が恥ずかしくなる。
それで私は思ったの。
ああ、感情を排除していいんだ、もうこの人達の不安や心配に思いを馳せる必要はないんだ、ってね。
そしたら、気が楽になってねー。(笑
「『理解出来ん』で片付けられる」と開き直ることが出来たのよ。
正直、震災以来ずっと理解したい気持ちと、私のポリシーの鬩ぎ合いでモヤモヤしてたのよ。
私にはとても正しいとは思えないけど、子を持つ親なら当然考えることなのかもしれない、いや、例え子を持つ親の気持ちだとしても人として違うだろ。
と気持ちは行きつ戻りつ・・・
ときに矛盾や怒りが爆発しそうになって、自分でもこの感情をどう処理していいかわからなくて苦しかったのよ。
だけど、ようやく解放されました。
「この選択は未来の子供達にとって正しい選択なのか?子供を持つ親なら、こういうときどう思うだろう?」
なんていちいち私は私の感情に訴えなくてもいい。
私はただ怒るだけでいいんだって。
本当に助かったわ。
だって、この1年、加害者の1人として(原発がいかに危険か薄々感じていながら何もしてこなかった)、どこか後ろめたさがあったんだもん。
これから私は自分が正しいと思うことをして、大切と思うものだけを守っていけばいいのよね。

さて、お誕生日ネタはまだまだ続いております。
今日はブログ友miwasukeさんからゾウの観葉植物が届きました。
わかるかなー?真ん中の方にちょこんと鼻が付いてます。(笑
miwasukeさんには3年前にも「ゾウの観葉植物」をもらっています。
ウチはマンションで庭がないから癒されますのう。
やっぱり部屋の中に緑があるというのはいいよねー。
彼女はこのゾウだけじゃなくて、ゾウペットボトルホルダーセロテープ、そして、私の大好物の「竹風堂」の栗羊羹も贈ってくれました~。
キャー!!、ここの栗羊羹、大好きなのよ。
よく覚えていて下さいましたね!
めちゃくちゃ嬉しいですよ。
私ったら、すごい食いしん坊みたいかしら。(恥
ありがとう~。
今年の誕生日も皆さんからの素敵な贈り物を頂いて、私は幸せ者です。
これも一重に私の人徳かしら。ホホホ~。


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