パリスに持たせた手作りブーケ
1週間ほど鬱でした
治療後に経過でレメディを処方してもらうはずだったホメオパスの先生には1ヶ月以上ぶりで連絡しました
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「しばらく連絡出来ませんでしたが、パリス今朝亡くなりました。
これまで飼ってきた犬猫の中で一番、悲惨な最期でした。明け方だったので動物病院での安楽死もできませんでした。
身体を拭いて表情を直して、私も5日ぶりに布団で昼寝しました。明日の午後荼毘に付します。
なんでこんなことになったのか、今後の自分の課題にします。
少し落ち着いたら、他の猫のセッションか私のセッションをお願いすると思います。
レメディ処方分の差額はその時に精算してもらえますか?
色々ありがとうございました。
私も少し休んで整体でも行ってきます。5日ほど床で寝袋で寝てたので背中や腰が。。
またご連絡します」
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8月17日にスキオセラピーの治療を受けて、それでも水も飲まず、呼吸も荒くて、毎日・「今日で終わりか」という状態で、ほぼノニジュースだけで1ヶ月以上、生きました。もうレメディとか言ってる場合じゃなかったです。
それでも食事の時間になると、みんなが食べる気配で自分も食べなくちゃ、と思うようで台所に歩いてきて、そこで倒れるという毎日。ノニを2時間おきに小さじ1とか、4時間おきに小さじ2とか。調子がいいとちゅ〜るのささみ味を少し食べました。それも私が食べさせてたんですが。
猫組のみんなもパリスを心配してずっと付き添ってました。
今日は3時間ほど外出しても大丈夫だろうかという毎日で、確実に死に向かってるというのは分かるんだけど、本人も1日でも1時間でも生きていたいという。野生動物じゃないから人間化してて、食べさせてもらうのも慣れてるし、死ぬのが怖い、という気持ちがあるんです。
寝たきりでも、ゴハンの時は起き上がって台所まで来ました。みんなと同じことがしたいので、みんなのゴハンが終わって私が食器を洗うまでは一緒に台所でした。それがすごく嬉しいみたいで、目を閉じて音を聞いてました。
それが14日以後、危篤状態の様になり、それでも途中で「中治り」の時間があって、ああ、次にハァハァしだしたら、もう逝くんだな、とその穏やかな時間に自分も一緒に寝るんですが、起き上がるとトイレに向かって、自力でトイレをしました。
オムツをしたのは最後の2日だけ。ずっと寝てたい草の座布団にお漏らしをして、悲鳴のような声を上げてハウスによろよろと入ったんです。それでオムツにしたけど、それでもなんとか自分で行こうとして行けなくて、泣きながらオムツに失禁してるという状態で
「あのね、パリスはこれまでさっきの座布団と2月に具合悪い時に私の膝で失禁した2回しかトイレ失敗したことないんだよ。すごくいい子だよ。無理しないでオムツにして大丈夫だよ。いい猫いい猫〜」と撫でると笑顔になりました。
床にエクササイズマットとその上に寝袋を敷いて、パリスに顔が見えるように。片手で撫でながら話しかけて眠るまで。パリスは私を迂回してトイレにも行ったので、大変だったな。。
アガタは:「アンタはパリスがこんな状態でも昨日は来なかったわね。立ち会わないつもりそういう冷たい猫は、アンタが死ぬ時もだれーも付き合わないよ?」と怒ったら、15 日からはずっと一緒でした。パリスも「お?アガタ?」と驚いてたな。。
もうダメなんだ、と思って泣いてたら、「あ。泣いてる。。クスッ」とパリスがからかうような顔をして、私の手に頭をこすりつけてたり頰をこすりつけようとしました
眠ってしまって、朝日でハッと目を開けると、パリスと目が合って:「あ。生きてる」と思ったら、パリスが「生きてます。。」と照れくさそうな顔をしました。寝る前にさんざん「パリス、色々お世話になってありがとね。パリスは本当にいい猫だね。ライトとオスカルとノエルによろしくね。みんないるから大丈夫だよ」とか言ってたんでね。毎日、言ってたかも。。
金曜日の夜中、土曜日になったくらいから(危篤が)始まって、朝7時頃かな、と思ってたら、壮絶なことになったのでした。
あまりの苦しさに泣きながら寝返りを打つ、歩いては倒れる、ついにはケージにしがみついて背中から倒れる、
「殺してっ」と言われたと思います。その時、「それは出来ない。これはプロセスだから」とアニマルコミュニケーションしました。
他の3匹も立ち会ってましたが、みんな呆然としてました。
終わった(臨終)時、オムツを外そうとしたら、苦しそうに呻かれました。喉に空気が残ってたんですね。まだ触覚もあったのか。。
1分ほどは声も聞こえるし感触も分かる、と聞いていたので、ずっと撫でて話しかけてました。AM8:20でした。
重曹温水にセージとユーカリのオイルを垂らして身体を拭いて、目をつぶらせて、口を閉じて硬直が始まるまで固定しました。
11:40:自分もシャワーを浴びて髪を洗って、5日ぶりに布団で少し寝て、起きてみんなにゴハンをあげて自分も食べて、ペット火葬の予約を次の日の日曜日にして。。
パリスは台所にはもう来ない、と泣きながらも少し食べました。最後にパリスとゆっくり過ごせたのがせめてもの。。なんて言うんでしょうか。。
パリスは7歳になったばかりくらいのはずで、人間でいえば44歳とかです。
3日は花粉症のように瞼が分厚くて重くて眼が閉じてしまうような感覚でしたが、徐々に眼が開く様になりました。食欲は2日目から少しづつ。
ただ急に泣き出したりするので、外食は1週間は控えました。行きつけのお店で心配のメールをくれた所も再来週くらいには顔を出せるかもです。
しょうがない。必要なのは時間と手間のかからないレトルト食材。それでも久しぶりに友人と夕食の約束をしました。
パリスの写真も選んだのでプリントしてもらいます。