年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

浴恩園あと

2011年11月14日 | 築地市場にて
大名庭園の放送を見ていたら、見慣れた浜離宮公園が出ていた。ここは木村 芥舟(きむら かいしゅう)や中島三郎助の三男・中島与曽八が生まれたところです。築地中央卸売市場の地は、かつて天下の名園とうたわれた浴恩園があったところです。市場正門わきの浴恩園跡とあったが気にはしていなかったが寛政四年(1792年)白河藩松平定信が一万七千余坪の地を得て隠居した浴恩園と言う大名庭園であるという。いま白河藩の幕末を調べていると、白河戦争は戊辰戦争の節目の戦いであった。幕末二本松藩が一時的に白河領を管理していて、複雑な政治抗争を病弱な藩主に代わって重役が処理していたようである。銃器の進歩が刀の時代からほんの12歳ほどの少年でも武器が扱えるようになり、戦争に参加させるようになった。二本松少年隊の隊士の年齢をみると今の中学生程の年齢である。
 明治になって生き残った福島県民の中で心の中に薩長だけでなく同志を裏切った事から複雑な地域間心情が今でも残っている気がする。戊辰戦争150周年で終りとなるのだろうか震災処理と心情処理。
コメント
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