年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

新聞雑誌発生事情 興津要著から

2011年11月05日 | 福神漬
新聞雑誌発生事情 興津要著から
三遊亭圓朝は明治2年南茅場町宮松亭に出演していた。今の中央区茅場町1丁目から2丁目付近にあった。明治5年にできた両国の立花家の出演問題から圓朝は旧来の色々な道具を使用した話しを捨て、扇子一本の素噺に転向したと言われる。
 この南茅場町の3年間で付近に三菱東京店(明治3年)ができ、花香恭次郎は町内のどこかの商店で慣れない仕事をしていた。

明治2年ならば函館で戦争が終わったか終わらないかの時期だし、江戸が東京となった頃かも知れないがまだ生活も落ち着いていない時代に落語を聞いていたとは。江戸の治安を維持していた南茅場町の与力・同心はそのまま引き続き東京の治安を維持していたようでまだこの時期は西軍幹部との軋轢が少なかったかもしれない。
コメント
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