年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

不謹慎とは思いつつ

2011年11月30日 | 福神漬
今日の検索ランキングを見ていたら、セクハラ関係が上位であった。
幕末、鳥羽伏見の戦い後、大垣藩で右往左往したのは藩重臣小原鉄心だけでなく藩主の戸田氏正も大変だった。結局藩主が人質のような形で官軍方になった。この結果が岩倉具視の子女極子と氏正5男氏共が婚約した。戸田家はまだ幼かった極子を江戸時代と違った洋風で社交的な教育を行い、鹿鳴館の華となったという。江戸時代は奥さまという言葉が示すように高貴な女性は人前に出る事はなかった。従って、明治になって社交の場に女性が出ることに慣れていなかったので芸者さんが妻となる必要性があったという。この極子が明治20年の鹿鳴館で伊藤博文にレイプされたと報道され、新聞弾圧となった。この件を調べたのが福島の自由民権運動を弾圧した三島通庸であるという。事実関係はどうだか不明だが少なくとも明治20年代の風俗界では結構な話題となったと思われる。明治の30年頃までの日本女性のファッションリーダーは芸者さんであった。当時の上野周辺の男達は福神漬を酒のつまみとして芸者とうわさ話をしていたのだろうか。
 明治18年に下谷茅町で亡くなった岩崎弥太郎の枕元にあった金庫には芸者の写真が多数あったという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする