年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

江馬細香詩集 『湘夢遺稿』

2011年11月27日 | 福神漬
江馬細香詩集 『湘夢遺稿』
大垣藩の小原鉄心の序文があるという江馬細香の詩集を図書館で読む。この本は明治3年に出された詩集を読みやすくした本だった。日本三大女流詩人の一人と言われる江馬細香の漢詩を初めて読んだ。和歌に相聞歌というのがあるが漢詩で日本人がラブレターというものを書いていた人があったとは驚く。三従無の一生涯を江戸時代に宣言していたとは大変だっただろう。
 さて問題の小原鉄心の序文は中身から判断すると江馬細香の周りで趣味的に詩文をやっていた気がする。鳥羽伏見の戦いで一時幕府軍として参加した大垣藩を彼の人間関係から官軍(西軍)と幕府に心情的に傾く大垣藩論をどのように説得したのだろうか。またこの官軍に寝返ったことが大垣の人達や二本松藩の人達に当時はどのように伝わっていたのだろうか。二本松市史では鳥羽伏見の戦いの情報は徳川慶喜が江戸に戻った頃、二本松に伝わり、幕府方の勝利と一時伝わっていると記述されている。東北諸藩は京都が遠く、情報が少なかったようだ。
 大垣藩から二本松丹羽長国に嫁いだ大垣藩戸田氏正の娘のもとには和解の要請はなかったのだろうか。あっても二本松には小原鉄心のような人物がいなかったのだろうか。新しい二本松市史ではこの時代の二本松藩に対して実に厳しい見方をしている。房総で異国船警備の任にあったっていたにも関わらず、戦国時代の兵装備で幕末を迎えたという。戊辰戦争の戦火で二本松市は長い間荒廃した。そして心の傷は明治の二本松周辺の人の中に残っていた。福神漬命名の周囲を探っているとこの様な事例が多い。
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