山形の森 保守醒論

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曽野綾子・産経オピニオン「貰うから与えるへ」の示唆

2008-12-26 16:17:55 | Weblog
12.26産経新聞・曽野綾子のオピニオン「貰うから与えるへ」のなかの、「人は自分が他人に与える立場にいるという自信を持つ限り、自暴自棄になることはない」「(現在の)日本人の精神の方向性を、貰う期待から与える姿勢に転換すれば、この閉塞的な空気(経済状況など)の重苦しさを解決する場面は多い」とのフレーズから、社会主義施策について考えさせられることがあった。
先日施行された寒河江市長選挙で「中学校給食の実施」が両候補者の公約として掲げられた。
これまで「中学校給食をすすめる会」を設立した市民団体が請願活動を行ってきているという。毎日新聞の取材に対して、会の太田代表(共産党員)は「共働きの家庭は多く、弁当を作るのは大変。ぜひやってほしい」と述べている。正直と言えばまさにそのものなのだろうが。
学校給食の始まりは、1889(明治22)12.24、当時の山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、貧困児童を対象に無料で、おにぎり・漬物・焼き魚を出したのが日本で最初とされている。
戦後も食事情に厳しい1946.12.24にGHQの援助をうけ、副食物として試験的に再開、翌年から全国に実施展開された。
ともに12.24のクリスマスイブであることは偶然であろうが。
いずれにしても、学校給食の基本理念は発育途上の子供たちに不足する栄養補給分を、副次的に与える政策であるべきではなかろうか。
およそ、親が「弁当を作るのが大変」などの理由で実施される施策ではないはずだ。
それでもと言うなら、自分の子供にお金を与えコンビニ弁当でも買ってと言えば済む話だ。
太田代表は共産党県本部幹部の妻君であると聞き及んでいるが、社会主義施策を重ねて共産主義社会を目標とする思想が根本にあるのであろうが、曽野氏が訴えかける「貰うから与えるへ」の本義からすれば、たとえ献立内容はいかほどでも、親が早起きして作ってくれた愛情弁当の味は親子(家族)の絆を量るうえで拭えない終世の記憶として残ることと考える。
最近とみに思うのだが、社会主義施策はある意味で「薬」と言えるのでは、と考えるようになった。
人間は病に罹る。そして老いる。だからこそ「薬」は必要とされるが、加減を間違えれば“良薬も悪薬”に「クスリ」に頼らざる情況に陥り、幾ばくかの延命こそすれ、健常者として復帰することはより難しくなる。
社会主義施策は時限的に範囲も限定して行ってこそ、人間(生物)の生きる天祐の能力を発揮させることができるものだろう。
今日、一律特別給付金に対する賛否が議論されている。
こういった施策発想の理念がどこにあるのか、しっかりと見極め、政治の方向性がどのようにあるのかを国民は判断すべきである。
たとえ財政が豊かであったとしても、野放図に使い道を誤ると人間は“貰う”に慣れて、生きる術を喪失してしまう。
女優三田佳子は息子に月50万の小遣いを与えていた。
学卒初任給で20万程度のいま、(親のバラマキで)それだけで息子は自分で生きる術を見いだせなくなったことだろう。

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