山形の森 保守醒論

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斎藤茂吉作・1952年の講和祝典歌「日本のあさあけ」

2010-04-28 16:37:50 | Weblog
4.28は58年前の1952年に講和条約が発効した、敗戦後の占領下(6年8ヶ月)からの独立記念日でもある。
この記念すべき講和条約発効を祝した講和祝典歌「日本のあさあけ」が、山形県が誇る歌人斎藤茂吉によって作られている。
前年の秋(1951.11)に文化勲章を受章した茂吉であったが、新宿区大京町の自宅で病に伏せる身の中で、天野貞祐文相の依頼に応えて書き上げたのが、講和祝典歌「日本のあさあけ」であった。
作曲は「海ゆかば」(1937)の作でも知られる信時潔である。
茂吉は翌年の2.25に心臓喘息で亡くなっているので、私的な歌以外では晩年最後の労作であったことであろう。
この講和祝典歌は、(1952)5.3の講和条約発効の独立式典と新憲法施行5周年記念式典の共催として、昭和天皇の詔書を戴いて、皇居前広場で披露された。
事前に朝日新聞が祝典歌の記事を掲載したことで、社会・共産両党などから「言葉の意味が難解だ。復古調である。」などと国会の場で議論(4.3参・文部委員会)にもなった。
そしていわゆる先頃までの「君が代」と同様に、国民に歌うことを強制はしないなどとの言質をたてに、奉祝式典の披露歌としてのみで収束してしまったようだ。
最近になって、講和発効の意義と国家の独立の認識を新たに、(4.28を)主権回復記念日とする国民運動が、ささやかながら展開されてきている。
多くの国民が、茂吉作の講和祝典歌「日本のあさあけ」を理解し、歌えるようになることが、さらなる国民運動の推進につながるものと考える。
また、この4.28こそ、先の大戦で散華された英霊に敬礼し、日本国首相が靖国神社に参拝すべき日ではなかろうかと思う。
講和条約と日米安保条約の調印は1951.9.8~9であるが、この条約締結の承認を得る国会(10.18講和・安保特別委員会)で、吉田首相は「いつまでも外国によって、その安全を守ることは国民のプライドが許さない。国力が許せば、将来は自ら守る力を持つことは当然である」と述べた。
この委員会終了後に、吉田首相は各閣僚・衆参両院議長とともに、戦後初の靖国神社例大祭に赴き、首相として6年ぶりに公式参拝を果たし、英霊に講和の報告を行ったのである。

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