山形の森 保守醒論

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阿信県行旅、(1983)昭和58年3月15日、おしんは伊勢から故里山形へ回顧の旅に出る。

2014-03-14 10:35:48 | Weblog

       (ドラマシナリオ上で)1983.3.16に訪れ、最上川上流を見つめる吊橋「大平橋」(白鷹町)    

阿信県行旅、(1983)昭和58年3月15日、おしんは伊勢から故里山形へ回顧の旅に出る。(ドラマシナリオ上で、1983.3.15~84.3.18)
同夕刻に、銀山温泉(尾花沢市)に着き、旅館「銀山閣」に滞在する。
二日後の17日に生家を訪れ、以後、回顧の旅の展開と同時に幼少期からの回想が折り込まれていく。
山形、東京、佐賀を巡り、翌4月末に伊勢に帰宅して、翌年(1984)、彼岸の入りの3月18日に田倉一家揃って墓参するところで(ドラマは)終了する。
NHK放送は、1983.4.4~84.3.31(50週、全297回)、平均視聴率52.6%(瞬間最高62.9%)の国内最高を記録した。 現在も破られていない。
1984年秋、シンガポールでの海外初放映(視聴率が80%に達する大ヒット)を皮切りに、タイ(81.6%)、北京(75.9%)、イラン(90%超)、メキシコ(89.0%)等々世界68の国と地域で放映され、世界中で日本の首相以上の知名度を誇っている日本人像が「おしん(阿信)」と言える。
ウズベキスタンの反政府武装グループさえも「おしん」を知っていたエピソードがある。
1999.8、日本人鉱山技師らが武装グループに拉致された事件で、救出交渉に臨んだ中山恭子大使は会談のなかで「おしん」の共通話題から説得を行い、人質解放に成功したと言われる。
このような、誇れる「世界のおしん」を活かせずにきたことは、発想無策な県当局による大きな無形損失と言えよう。
なにより、山形県民の理解の浅さには、発信力に乏しい県民性を表しているようだ。

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