山形の森 保守醒論

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2013年秋公開予定、庄内映画村「おしん」製作発表でのキャスティング考

2013-02-11 18:15:02 | Weblog
2013年秋公開予定、庄内映画村での撮影開始を前に「おしん」の製作発表がなされた。
どうしても、最高視聴率を記録し、世界的に好評を博してきた30年前のNHK朝ドラの出演者と比較してしまう。
子役おしん役(8歳の浜田嬢)については、小林綾子が演じた時点(1983.1~3収録)と比べて、1歳半ほど年少のようである。
実際少女期の奉公編は7~10歳設定であるので、無理はないのであるが、愛らしさと気丈さを合せ持った小林おしんの「眼ヂカラ」を感じさせる芝居をどう見せてくれるのか。
上戸彩の母ふじ役であるが、7人(2男5女)の子供を産み育て(末妹スミは生後まもなく養女に)、女丁持ちとして(山居倉庫から港へ)米俵を担ぐ体丈夫さを発揮する場面がある。
果してアイドル歌手上戸彩の体躯から原作上の強躯な母親役をどう演じるものか。
橋田ファミリーの泉ピン子が演じる加賀屋の大奥様八代くに役。
長岡輝子の醸し出すあの貫禄と品性をピン子がどう表現するものか、役者としての幅を見せられるか注目される。
いささか、話題優先のキャスティングのきらいがあるが、世界中を感動させたNHK「おしん」を越えるのか、及ばないのかで日本イメージの正否が掛かっていると言ってよい。
それだけに期待と不安が入り混じる。
おしんに魅せられたものとして、ポリシーの違いと言って良いだろうが、原作シナリオで一部異論がある。
日露戦争旅順戦闘の最中に詠んだとされる、与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」を反戦歌として、ストーリー構成されていることだ(旅順口包囲軍、1904年明星9月号掲載)。
5連になるこの歌は、「(兄たちが逝って)堺の旧家を継ぐのは末弟のおまえしかいなくなった。名誉の戦死などと考えずに必ず生きて帰って、母の待つ実家を守ってくれ」との強い思いが主であり、非常事態にあっても現実の戦闘行為を短絡的に反戦として詠ったわけではない(とブログ子は読み解く)。
「君死にたまふこと勿れ」そのものを、直接的に「必ず、生きて帰って来てくれ(祈って居るよ)!」と詠ったものである。
橋田とNHKスタッフは、1982.3にシナリオハンティングとしてドラマの全体構成つくりに山形入りしている(この時、橋田は初めて銀山温泉を訪れたと見られる)。
6月に第一回台本が上がるまで、合宿を重ねてシナリオ全体を練っている。
協議のなかで「君死にたまふこと勿れ」を反戦歌と位置付けたものと理解するが、あと10年後(1989.ソ連解体、ベルリンの壁崩壊の後)であったなら、別の展開になっていたのではと思いたい。
NHK放送は1983年で、まだマルクス主義史観が罷り通ってたころだから。
与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」を反戦歌として見るか否かは、歴史観における左右派見極めに格好のリトマス試験紙になると思う。
庄内映画村「おしん」製作発表でのキャスティング考から、現代の歴史観を考えて見た。
いじめ・暴力などに負けずに、2013年「君死にたまふこと勿れ」。

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