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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の長州藩(毛利家)と、山形・大江家(安仲坊)の鎌倉幕府別当・大江廣元家系

2015-01-06 13:40:25 | Weblog
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の放送が始まり、舞台となる長州藩(毛利家)の萩市をはじめとする山口県は、幕末懐古の歴史観光客で賑わうことだろう。
吉田松陰と松下村塾に学んだ幕末の志士たちが、明治維新の主役に登場することも、藩主毛利家の理解のもとであるから、長州藩の維新気風は山口全県として語り継がれてきている。
この毛利家は、鎌倉幕府政所別当・大江廣元の4男大江季光が相模国毛利荘(森荘、厚木市付近)を所領し、毛利氏を名乗った発祥の地に始まる。
さらに、季光の4男経光が安芸吉田荘を相続、時親(経光次男)が安芸毛利家の始祖となった。
豊臣・徳川の東西戦争(関ヶ原の戦い)に西軍方として敗れた毛利家(毛利輝元)は、120万石から37万石に減封、長州萩に移封となって幕末を迎える。
長州藩(毛利家)にとっては、徳川倒幕は徳川家康に減封移封された、約260年余にさかのぼる(対徳川)リベンジ戦でもあった。
さて、別当・大江廣元の子息たちは、長男大江親廣(出羽国寒河江荘)・次男長井時廣(出羽国長井荘)・3男那波宗元(上野国那波荘)・4男毛利季光(相模国毛利荘)・5男海東忠成(尾張国海東荘)・6男大江尊俊(寒河江荘の慈恩寺別当)をそれぞれ分割相続された。
嫡男親廣を筆頭に、次男長井時廣、6男大江尊俊の3人が出羽国(山形県)と地縁を持ち、さらに5男海東忠成の末裔筋に鶴岡の酒井家(庄内藩主)があるとされている。
鎌倉幕府成立は、初めての武家政権として明治維新政府までの約700年の始まりでもあった。(皮肉にも、明治維新は(初代別当・大江廣元の)大江家系筋の手による徳川倒幕という武家政権の終焉でもあった)
さしずめ政所別当・大江廣元は、源頼朝政権の官房長官役とでも言えようか。
この大江宗家として嫡男家系を約800有余年に亘って守り続いてきている、寒河江大江氏(安仲坊)42代目の大江君は、ブログ子と寒河江高校(桜二三会)の同級生である。
歴史探究好きの小生にとっては格好の友人で、時々会って調べあげたことを語り合っている。
維新の戊辰戦争で、山形県諸藩は31藩と奥羽越列藩同盟を結び、幕府軍に与して敗れた。
新政府軍は山形・寒河江を通って庄内藩征討に向かう途中に、吉川村の安仲坊にも立寄った。
官軍兵士は(安仲坊)屋敷門に記された(長州藩毛利家と同じ一文字に三つ星の)家紋に驚き、家人に尋ねた。
「(安仲坊)大江家は、鎌倉幕府別当・廣元公の嫡男親廣公を祖とする大江宗家である」との説明に、兵士隊は畏まり平伏拝礼していったされる。
この官軍の安仲坊立寄りは、ブログ子の推定ではあるが、会津藩が新政府に降伏した前日(明治元年新暦で11.5、旧暦9.21)あたりのことだと考えられる。
ドイツのビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言った。
大河ドラマ「花燃ゆ」に湧く山口県(長州藩)の幾ばくかでも、山形県で(隠れた)歴史文化資源を活かす知恵者はいないものかと残念に思う。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の長州藩(毛利家)に通じる、鎌倉幕府政所別当・大江廣元に繋がる山形・寒河江大江家(安仲坊)約800有余年42代の誇れる家系。
大江廣元公繋がりで、寒河江市(西村山含む)と山口県萩市、鎌倉市との友好関係でも考えれば、地域起こしの新たな展開が見えてくるのではと思いあぐねているのだが・・・・・?。

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