山形の森 保守醒論

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山崎豊子の「大地の子」は、開明派の胡耀邦総書記が在任のときだから取材執筆できたものであろう。

2013-10-03 20:32:05 | Weblog
社会派小説家の山崎豊子が、9月29日に心不全のため死去された。88歳。
ほとんどの著作に魅かれて映画、テレビドラマを視聴してきた。
そのなかでも、「大地の子」は特にお気に入りで、ビデオも全巻所有している。
山崎は執筆取材で、1984年から訪中、85年、86年と当時の胡耀邦総書記と3度の会見をされている。
8年に亘る大作「大地の子」は、胡総書記の全面協力のもとに完成することができた。
1986年秋、山崎豊子が、胡総書記と3度目の会見を果たしたとき、胡は「今後は、おそらくお会いする機会はないでしょう。来年山崎さんが訪中した時には、私がここにいるかどうかは分かりませんが、作品が完成したら一部送ってください」と語り、政治権力闘争の渦中、翌1987.1の政治局会議で解任され失脚した。
1989.4.15の胡耀邦元総書記死去から、5.20の天安門動乱勃発で戒厳令が敷かれ、後任の趙紫陽総書記も失脚に追い込まれることになる。
小平は「(民主化運動に)譲歩したら、中国(共産党)はなくなってしまう」と民主化運動阻止を指示、軍隊を出動させた。
この天安門事件で、民主化運動の多数の若者が弾圧され死亡している。
NHKは一人の死者もでていないと報道してきたのだから、北京政府(中国共産党)のコントロール下にあると言ってよいだろう。その後の訂正もない。
CCTV(中国中央電視台)日本支局がNHK放送センターに同居して、日本人視聴者を情報操作しているのだから、日本反日協会(NHK)と呼ぶことにもなる。
「大地の子」は、文藝春秋1987.5.~1991.4月号に連載され、1995.11~12月にはNHKでドラマ化された。
1991.6月、山崎は出版されたばかりの「大地の子」単行本を持って江西省共産党青年城へ赴き、故人となった胡耀邦の墓前に跪いて黙祷を捧げた。
胡総書記と首脳同志の関係にあった中曽根康弘首相は、権力闘争で攻められる胡総書記を気遣い、(正月)春夏秋と毎年続けてきた靖国神社参拝を譲歩(中止)した。
この宥和判断が、その後の靖国参拝問題の愚かな火種となっている。
中曽根には鬼籍に入るまえに、この誤った判断の取り消しと善処をキチンと成し遂げて貰わねばならない。
2007.6月訪中の中曽根元首相は、胡錦濤総書記と会談。故胡耀邦元総書記の墓参(江西省の共青城)を希望したが、それすらも受入れられなかった。
ドラマ化された「大地の子」は、中国側の撮影協力を得て完成したにも拘わらず、いまだ中国国内で放映はなされていない。
日本での放映でも文化大革命のシーンを削除されたなどと言われるが、天安門事件につながる胡元総書記の協力のもとでの作品として、民主化され、胡耀邦の名誉回復が成されるまで中国放映は無理だと言うことであろう。
山崎の「大地の子」取材は、開明派の胡耀邦総書記が在任のタイミング良いときだったからこそ、完成出来たものと思われる。
山崎豊子の逝去に合掌。

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