田辺誠元社会党委員長は、北朝鮮とのパイプを持ち、1990.9の金丸・田辺自社合同代表団訪朝を実現した。
竹下内閣発足を機に、田辺は自社国対の盟友で竹下の後見役・金丸信との関係から、北朝鮮の意を受けて日朝国交正常化を模索する。
「自民党・社会党と北朝鮮労働党の3党がまず交渉し、それ以後に政府間交渉へと移行する」という手順で合同代表団訪朝となった。
田辺の初訪朝は、国会議員になる直前(群馬地労評議長)の1960.8の日朝協会使節団員として、寺尾五郎(共産党・元宮本顕治秘書)団秘書長率いる総勢24名の一人だった。
この中に、石田次郎・国労山形支部委員長(県帰国協力会幹事長)が参加している。
国労は長らく組合員給与から天引きして、北朝鮮支援を続けてきたズブズブの関係にある。
(国労の)岩井章・元総評事務局長の北朝鮮パイプは朝日新聞も頼るほどの太いもので、よど号犯や拉致事件等の関連で、遠藤忠夫(国労・元宮城県共産党委員長)鈴木市蔵(元国労副委員長・共産党参議院議員)は岩井の命を受けて行動している。
ブログ子は1990.9合同代表団訪朝のとき、羽田へ特別機の見送りに出向いた。
そして外務省から随行される川島裕アジア局審議官であると紹介を受けた。
川島氏はその後、外務次官まで務めるが、加藤紘一と1964同期入省で、(?人道的)コメ支援などで吉田猛(在日で工作担当、95.3与党訪朝団で加藤紘一事務所の名刺を持つ)を野中広務と加藤に繋ぐ役割を果すことになる。
この加藤(佐藤三郎)・吉田ラインでコメ支援はキックバック利権と化した。
(本当は現金が欲しい北朝鮮の意向から)出航したコメは海洋船上で転売換金され、その間リベートが発生したと言われる。
北支援を声高に叫ぶ政治家とはこんなもんだ。
中国支援も同じ売国稼業なんだよなァ。
竹下内閣発足を機に、田辺は自社国対の盟友で竹下の後見役・金丸信との関係から、北朝鮮の意を受けて日朝国交正常化を模索する。
「自民党・社会党と北朝鮮労働党の3党がまず交渉し、それ以後に政府間交渉へと移行する」という手順で合同代表団訪朝となった。
田辺の初訪朝は、国会議員になる直前(群馬地労評議長)の1960.8の日朝協会使節団員として、寺尾五郎(共産党・元宮本顕治秘書)団秘書長率いる総勢24名の一人だった。
この中に、石田次郎・国労山形支部委員長(県帰国協力会幹事長)が参加している。
国労は長らく組合員給与から天引きして、北朝鮮支援を続けてきたズブズブの関係にある。
(国労の)岩井章・元総評事務局長の北朝鮮パイプは朝日新聞も頼るほどの太いもので、よど号犯や拉致事件等の関連で、遠藤忠夫(国労・元宮城県共産党委員長)鈴木市蔵(元国労副委員長・共産党参議院議員)は岩井の命を受けて行動している。
ブログ子は1990.9合同代表団訪朝のとき、羽田へ特別機の見送りに出向いた。
そして外務省から随行される川島裕アジア局審議官であると紹介を受けた。
川島氏はその後、外務次官まで務めるが、加藤紘一と1964同期入省で、(?人道的)コメ支援などで吉田猛(在日で工作担当、95.3与党訪朝団で加藤紘一事務所の名刺を持つ)を野中広務と加藤に繋ぐ役割を果すことになる。
この加藤(佐藤三郎)・吉田ラインでコメ支援はキックバック利権と化した。
(本当は現金が欲しい北朝鮮の意向から)出航したコメは海洋船上で転売換金され、その間リベートが発生したと言われる。
北支援を声高に叫ぶ政治家とはこんなもんだ。
中国支援も同じ売国稼業なんだよなァ。
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