山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

オリンピック日本代表第一号は初代山形県令・三島通庸の5男弥彦

2011-02-17 16:45:24 | Weblog
視界定まらぬ迷走ねじれ国会がオロオロと蛇行している中で、与野党仲良く共同しての議員立法を目指している「スポーツ基本法案」がある。
(明治44)1911.7.10に設立された大日本体育協会(現日本体育協会)が、ちょうど創立100周年を迎える記念年という機運の盛り上がりから、政局波乱がなければ通常国会で成立。
7月10日には基本法成立と100周年の祝賀式典ともなろうはずだが、自己保身最優先の政治屋どもには一寸先は闇の世界、はたしてどうなるものやら・・・。
この体協設立は国際オリンピック委員会から、日本政府に翌1912.8開催予定の第5回ストックホルム大会への参加のお誘いがあり、その参加母体として設立されたのが大日本体育協会で、講道館柔道の嘉納治五郎が会長に就任、日本代表団の団長として日本のオリンピック初参加となった。
前年の1910.8には「日韓併合条約調印」がなされており、国際社会はこの条約を正当なものと承認、友好国たる扱いを受けたのである。
日本初のオリンピック選考会は11.18~9に羽田(現国際空港)で行われ、東京帝大の三島弥彦(短距離)とマラソンの金栗四三の2名を日本代表とした。
この三島弥彦こそ初代山形県令・三島通庸の5男で、(1886.2)警視総監の時に権妻(?)との間にできた男児である。
三島は警視総監在任中の1888.10、53歳で亡くなる。生後2年半余の弥彦には父通庸の記憶はないことだろう。
マラソン代表となった金栗四三は関東学連主催の箱根駅伝創設者として今日まで語り継がれるに至り、最優秀選手に金栗杯(賞)が送られている。
初代山形県令三島通庸の御縁もあるので、我が山形県で毎年の国際大会出場者の中から最優秀選手を選考して三島賞の創設でも考えたら如何か。
本県の遠藤利明代議士が法案提出に尽力されているようだが、三島家の理解を得られれば山形県にとって大きなパワーとなるはずだ。
三島家は大久保家(利通)、平田家(東助・米沢藩、山縣有朋家)を通じてパナソニックの松下家らと繋がる日本有数の名家ともなっている。
吉田茂・麻生太郎も・・・。「三島賞」創設、美栄子さん、金森さん、一考の価値はあるはずだ。
オリンピック日本代表第一号は初代山形県令・三島通庸の5男弥彦。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 汚沢を濾過できずして、国民... | トップ | 永田洋子死刑囚の死去、赤化... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事