新渡戸稲造は著書「武士道」の中で、「恥はすべての徳、善き道徳の土壌である」と述べている。
細川護煕は細川家18代当主にも係わらず「武士道精神」が備わらない、公家の近衛家の血筋が強くでているようだ。 心耳に聞く器量無し。
親兄弟といえど人格はそれぞれであり、同種非難するにも憚られるのだが、歴史に学ぶことも無くあまりにも祖父近衛文麿と同様な行動に走るので述べてみたくなる。
先の大東亜戦争における日本側の戦争責任の筆頭は、近衛文麿首相であろう。
次いで近衛の盟友で後任首相に東條英機を指名した木戸幸一内大臣(河上肇に私叔)。
アメリカ側の筆頭は、F・ルーズベルト大統領であり、共にコミンテルン工作の最高ターゲットであった。
以下、開戦までの経緯と近衛文麿・木戸幸一、
1930.10、木戸幸一、近衛文麿の推輓で内大臣秘書官長(牧野伸顕内大臣)
1931.1.16、近衛文麿、貴族院副議長、1933.6.9~37.6議長
1932.5.20、独語版コミンテルン機関紙「インプレコール」に出た「1932テーゼ」を、河上肇(本田弘蔵)は、在独の国崎定洞から受取り、翻訳して共産党(風間丈吉委員長)に提出
(満州事変後の日本の「国家権力」を「絶対主義的天皇制」と規定し、「封建地主とブルジョアジーの同盟」に対し、「労働者・農民・都市貧民」の「天皇制打倒」の同盟で対抗)
1932.7.10付、赤旗特別号にコミンテルンの「日本における情勢と日本共産党の任務に関する1932年テーゼ」を掲載(天皇制打倒を戦略目標の第一に据えよ、河上肇・村田陽一の翻訳)
1932.8.~9.、コミンテルン第12回総会決議、米英仏日独といった「帝国主義列強を互いに対立させ、戦争に追込め」という戦略指令、①日本を米国との戦争へ追込め、②日本がソ連を攻撃するのを阻止せよ。
1932.12、リヒャルト・ゾルゲ、上海から横浜に立ち寄り、ウラジオストーク経由でモスクワに帰国(諜報・工作密命)
1935.7.25~8.21、最後のコミンテルン第7回世界大会(モスクワ、参加65ヵ国・510名)、人民戦線戦術採択(フロント・反ファシズム統一戦線で、社会民主主義団体その他勢力との統一戦線を樹立、天皇を戴いた強力な社会主義国家建設の理論展開で全面戦争に追込む)、天皇親政派を利用した謀略戦術
1935.9、リヒャルト・ゾルゲが来日、本格的『謀略戦術工作』に、朝日新聞記者(朝日コミンテルン)と内通
1936.5、「東方会」結成(中野正剛総裁)、元朝日記者で国家社会主義、南進論提唱
1936.11、昭和研究会正式発足(朝日コミンテルン多数参加)、1940.11大政翼賛会結成で発展的解消
1937.6、第一次近衛内閣、風見章内閣書記官長(元朝日記者)
1937.7.7、北支事変勃発(盧溝橋事件)、八路軍の謀略⇒日中戦争
1940.6、木戸幸一内大臣~1945.11、1930.10(近衛の推輓で)内大臣府秘書官長就任、近衛と共に京都大で河上肇教授(マルクス主義)に私叔
1940.7、第二次近衛内閣、風見章司法相・尾崎秀実参与(元朝日記者)
1940.10、大政翼賛会結成、中野正剛顧問・風見章常任顧問・赤松克麿企画部長・・・
1941.12、太平洋海戦(大東亜戦争)・中野正剛は開戦の報にバンザイを叫ぶ、10.18東條英機内閣成立
以上の、近衛文麿を照準にした朝日コミンテルン工作により、日米開戦へと進んだ。
1945.2.14に、近衛文麿が天皇宛て「近衛上奏文」で、「つらつら思ふに・・・・、背後より操りつつある左翼分子の暗躍に御座候」などと、愚かにも第三者的に振り返っているのである。
自らの周辺に(朝日コミンテルン)工作員を抱えながらも、まったく気付かないできた呆れた宰相である。
細川護煕もまったく同様である。1994.2未明の国民福祉税発表と撤回、佐川急便からの一億円借入問題は広く知られているが、迫る危機管理で逃げ惑う事態にあったことは余り知られていない。
1994.3.18、南北協議(韓国・北朝鮮)で、「戦争になれば、ソウルは火の海になるだろう」と対立、クリントン政権は北朝鮮・寧辺核基地のピンポイント空爆を検討する非常事態にあった。
このとき、小沢一郎(新生党)は、集団的自衛権行使の可能性検討を側近に指示している。
細川退陣(9ヶ月のバカ殿政権)の決定的要因は、有事危機に対応できなくオロオロして投げ出した事態にあったと当時の官邸内部通の話がある。
災害危機管理体制に、何の識見ももたないで為政者になろうなどでは、子どもの学級委員なみである。
生き写しの祖父近衛文麿が、国民に齎した愚かな行動による惨禍に頭を垂れて永蟄居されるのが、後世へのせめてもの償いではなかろうか。
朝日コミンテルンに踊る、同根の近衛文麿と細川護煕両愚相に見る戦争責任。 「S級戦犯・スパイに与する共犯罪」に該当。
近衛兵は元首を警衛する役にある。コミンテルン工作に直ぐ乗ってしまうパーな尻軽兵では困りものである。
細川護煕が知事選出馬となれば、都民有権者の正常感覚が問われる選挙となる。
さらに横須賀の単純一郎、水沢の腹黒一郎と並び立ったなら日本が世界中から笑われる。
細川護煕は細川家18代当主にも係わらず「武士道精神」が備わらない、公家の近衛家の血筋が強くでているようだ。 心耳に聞く器量無し。
親兄弟といえど人格はそれぞれであり、同種非難するにも憚られるのだが、歴史に学ぶことも無くあまりにも祖父近衛文麿と同様な行動に走るので述べてみたくなる。
先の大東亜戦争における日本側の戦争責任の筆頭は、近衛文麿首相であろう。
次いで近衛の盟友で後任首相に東條英機を指名した木戸幸一内大臣(河上肇に私叔)。
アメリカ側の筆頭は、F・ルーズベルト大統領であり、共にコミンテルン工作の最高ターゲットであった。
以下、開戦までの経緯と近衛文麿・木戸幸一、
1930.10、木戸幸一、近衛文麿の推輓で内大臣秘書官長(牧野伸顕内大臣)
1931.1.16、近衛文麿、貴族院副議長、1933.6.9~37.6議長
1932.5.20、独語版コミンテルン機関紙「インプレコール」に出た「1932テーゼ」を、河上肇(本田弘蔵)は、在独の国崎定洞から受取り、翻訳して共産党(風間丈吉委員長)に提出
(満州事変後の日本の「国家権力」を「絶対主義的天皇制」と規定し、「封建地主とブルジョアジーの同盟」に対し、「労働者・農民・都市貧民」の「天皇制打倒」の同盟で対抗)
1932.7.10付、赤旗特別号にコミンテルンの「日本における情勢と日本共産党の任務に関する1932年テーゼ」を掲載(天皇制打倒を戦略目標の第一に据えよ、河上肇・村田陽一の翻訳)
1932.8.~9.、コミンテルン第12回総会決議、米英仏日独といった「帝国主義列強を互いに対立させ、戦争に追込め」という戦略指令、①日本を米国との戦争へ追込め、②日本がソ連を攻撃するのを阻止せよ。
1932.12、リヒャルト・ゾルゲ、上海から横浜に立ち寄り、ウラジオストーク経由でモスクワに帰国(諜報・工作密命)
1935.7.25~8.21、最後のコミンテルン第7回世界大会(モスクワ、参加65ヵ国・510名)、人民戦線戦術採択(フロント・反ファシズム統一戦線で、社会民主主義団体その他勢力との統一戦線を樹立、天皇を戴いた強力な社会主義国家建設の理論展開で全面戦争に追込む)、天皇親政派を利用した謀略戦術
1935.9、リヒャルト・ゾルゲが来日、本格的『謀略戦術工作』に、朝日新聞記者(朝日コミンテルン)と内通
1936.5、「東方会」結成(中野正剛総裁)、元朝日記者で国家社会主義、南進論提唱
1936.11、昭和研究会正式発足(朝日コミンテルン多数参加)、1940.11大政翼賛会結成で発展的解消
1937.6、第一次近衛内閣、風見章内閣書記官長(元朝日記者)
1937.7.7、北支事変勃発(盧溝橋事件)、八路軍の謀略⇒日中戦争
1940.6、木戸幸一内大臣~1945.11、1930.10(近衛の推輓で)内大臣府秘書官長就任、近衛と共に京都大で河上肇教授(マルクス主義)に私叔
1940.7、第二次近衛内閣、風見章司法相・尾崎秀実参与(元朝日記者)
1940.10、大政翼賛会結成、中野正剛顧問・風見章常任顧問・赤松克麿企画部長・・・
1941.12、太平洋海戦(大東亜戦争)・中野正剛は開戦の報にバンザイを叫ぶ、10.18東條英機内閣成立
以上の、近衛文麿を照準にした朝日コミンテルン工作により、日米開戦へと進んだ。
1945.2.14に、近衛文麿が天皇宛て「近衛上奏文」で、「つらつら思ふに・・・・、背後より操りつつある左翼分子の暗躍に御座候」などと、愚かにも第三者的に振り返っているのである。
自らの周辺に(朝日コミンテルン)工作員を抱えながらも、まったく気付かないできた呆れた宰相である。
細川護煕もまったく同様である。1994.2未明の国民福祉税発表と撤回、佐川急便からの一億円借入問題は広く知られているが、迫る危機管理で逃げ惑う事態にあったことは余り知られていない。
1994.3.18、南北協議(韓国・北朝鮮)で、「戦争になれば、ソウルは火の海になるだろう」と対立、クリントン政権は北朝鮮・寧辺核基地のピンポイント空爆を検討する非常事態にあった。
このとき、小沢一郎(新生党)は、集団的自衛権行使の可能性検討を側近に指示している。
細川退陣(9ヶ月のバカ殿政権)の決定的要因は、有事危機に対応できなくオロオロして投げ出した事態にあったと当時の官邸内部通の話がある。
災害危機管理体制に、何の識見ももたないで為政者になろうなどでは、子どもの学級委員なみである。
生き写しの祖父近衛文麿が、国民に齎した愚かな行動による惨禍に頭を垂れて永蟄居されるのが、後世へのせめてもの償いではなかろうか。
朝日コミンテルンに踊る、同根の近衛文麿と細川護煕両愚相に見る戦争責任。 「S級戦犯・スパイに与する共犯罪」に該当。
近衛兵は元首を警衛する役にある。コミンテルン工作に直ぐ乗ってしまうパーな尻軽兵では困りものである。
細川護煕が知事選出馬となれば、都民有権者の正常感覚が問われる選挙となる。
さらに横須賀の単純一郎、水沢の腹黒一郎と並び立ったなら日本が世界中から笑われる。
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