山形の森 保守醒論

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NHK「坂の上の雲」放送で、知ってほしい佐藤鉄太郎海軍中将(鶴岡市出身)

2009-12-12 17:15:04 | Weblog
NHKドラマ「坂の上の雲」は、秋山好古・真之兄弟と正岡子規を主人公に捉えた司馬遼太郎作品の待望のドラマ化である。
日露戦争の日本海海戦におけるロシア・バルチック艦隊との砲撃戦は対露戦勝利を決定づけることになる。
この連合艦隊の司令長官は東郷平八郎であるが、司令部の第1艦隊参謀が秋山真之で、第2艦隊参謀は佐藤鉄太郎という両俊才参謀を擁した結果として勝利することができた。
砲撃戦の真相として、バルチック艦隊の旗艦の急転回に対し、東郷司令長官が判断を誤ったため、第1艦隊はバルチック艦隊を逃がしてしまう。
この時、佐藤参謀がその判断が誤りであることを見抜き、第2艦隊がその高速性を生かしてバルチック艦隊を猛追撃し、戦艦相手に至近距離での砲撃戦を行い、第1艦隊の方向へバルチック艦隊を追い込み、結果的に挟み撃ちに持ち込んだことが日本海海戦の完全勝利(日露戦争)を確定させたとされる。
秋山と佐藤は海軍の名参謀としてライバル関係にもあった。
佐藤鉄太郎参謀(鶴岡市出身)は海兵14期で海軍中将まで昇進、加藤友三郎大将(海兵7期、後の第21代首相)との国防戦術の相違と確執から予備役となるが、1934.7から勅選の貴族院議員として生涯(1942.3没)国家に尽くされた。
佐藤が海軍大学教官時代(1907~08)に、石原莞爾(士官候補生)が同郷の先輩と言うことで、佐藤を訪れ付合いを持ったようである。
佐藤の海洋国家日本における「海主陸従」の国防理論(帝国国防史論)は、陸軍の石原の「(国防)最終戦争理論」にも大きな影響を与えた。
「坂の上の雲」放送で、知ってほしい山形県が誇れる佐藤鉄太郎海軍中将(鶴岡市出身)の逸話である。
また、佐藤の3女が岡田啓介(海兵15期、海軍大将で2.26事件時の第31代首相)の長男と婚姻関係にあることから、終戦時(鈴木貫太郎内閣)の迫水久常内閣書記官長、関東軍作戦参謀・瀬島龍三(現在フジテレビ放映の「不毛地帯」主人公・壱岐正モデルで、1978.伊藤忠商事会長)にも繋がる華麗なる縁戚関係の系譜にもある。
佐藤鉄太郎の「海主陸従」の国防理論は、現在の米国海軍教書にも取り上げられるほどの秀逸書である。

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