山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

「まさか」でなく「またか」、“オッ!挫割る”の一郎政局

2007-11-05 17:27:52 | Weblog
「まさか」でなく「またか」の一郎政局、「剛腕」ならぬ「傲慢」で“オッ!挫割る”の真骨頂発揮。
福田首相と小沢党首の「大連立会談」は、政界雀を歓舞させている。
そもそも二院制であることは、「衆参ねじれ政情」が十分想定されることにある。
が、55年体制下、労組天下り政党の社会党が、国対政治に安住して「ネズミを獲らない猫」の如く、国民政党として存在出来なかったことから、政党・メディアに国民有権者も「ねじれ国会」での対症療法(政策協議の間合い)を、素直に受容れられない感覚に陥って仕舞っている。
国民生活の向上と政官の信頼回復は、政党を問わず、総ての国民が望む国益である。
その意味において両党首会談は喜ばしいことではあるが、小沢のこれまでの言動には、政局最優先の姿勢があり、政策協議を越えて、一挙に「大連立政局会談」に及んだことへの驚きと不信感は大きい。
小沢の「連立申入れは、福田首相から」の言い分には、両人の人物評と背景を覗えば、すぐに解かることだ。
「独断専行」が罷り通る小沢民主と、総裁と言えど組織判断に独断は許されない福田自民の違いは国民の見るところである。小沢党首が、自ら率いる民主党について「政権担当能力がない」「次期衆院選は厳しい」と酷評したことは、仮にも客観的事情と考えても、発言には時と場所があるだろう。謙遜にも至らない。
天国の寅さんも、「イチロー。それを言っちゃあ、おしまいよ。」と嘆いていることだろう。  予てより、ブログ子は小沢一郎の人間性に疑問を抱いてきた。
「またか!」にすべてが凝縮されるが、政権交代可能な政党誕生を期待するとしても、この期に及んで、小沢党首慰留を役員決議せねばならぬとは、「政権担当能力不足の未熟政党」と民主党自体が認めたに他ならない。
「連立政局」の本音が、守屋前防衛次官問題の(小沢周辺に波及の)消化活動だったとしたら、重ねて国民を欺くものである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自衛隊に、ロボット技術を駆... | トップ | 小沢政局は、民主脱党(新党)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事