先頃、友人と酒を酌み交わしながら議論した際に、「8月15日は何の日だ」と振った。「そりゃあ、終戦記念日だろう」の返答。これが、多くの日本人の普通理解だろう。が、正確には、「ポツダム宣言受諾の詔勅の日は、日本側の戦闘停止表明」であり、戦争自体が終了した訳では無い。ソ連は、日ソ中立条約を踏みにじり、日本側の降伏宣言を無視して、一方的な攻撃を続け、9月2日のミズーリ号でのポツダム宣言調印(停戦協定)後も侵攻し続けた。北方領土の占領は、その後のことで、これこそ侵略以外の何者でも無いだろう。戦争の開始と終了は、(1907ハーグ国際平和会議の条約で)宣戦布告から停戦後処理を経て講和条約締結で戦争全体の終了(終戦)となる。従って、国際法上、正式な終戦記念日は講和発効の昭和27年4月28日と解釈される。東京裁判のA級戦犯は(停戦中であるが)戦時継続状態での(自然死でない)刑死であるから靖国神社に祀られるとの判断だ。東京裁判の正当性が問われている点は色々あるが、当時、国際法では「侵略の定義」が確立されておらず、「個人を裁く法制度」も無いままに、勝者による敗者を裁く不当裁判が執行されたことを、日本人は忘れてはならない。今後折々に、自論を述べて行きたい。
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