保守政治の捉え方にも視点により多様であるだろうが、9.4「テレビ朝日・フロントライン」での、MC藤原帰一東大教授が野田新政権を保守政権と言い切ったことに、戦後民主主義なる進歩派メディア、学者諸侯が積み重ねてきたトリックを感じ取ってしまう。
加藤紘一と同じ坂本義和ゼミの愛弟子とすれば、その感覚軸から「さもありなん」なのだが。
朝日新聞を始めとしてほとんどのマスメディア(政治ジャーナリスト)、識者は戦後政治の系譜(派閥)のなかで、「吉田(茂学校)政治の継承者を保守本流」と主張してきている。
ここで同日(9.4、産経新聞・佐々木ワシントン支局長)の「日曜日に書く」で、自民党宏池会の流れをくむ田中六助元幹事長が遺稿「保守本流の直言」(1985.1中央公論社)で定義した、保守政治家とは派閥の系脈などではなく、(議員個々の)『言行』でこそ評価すべきものだとして、(1)議会制民主主義の政治、(2)市場経済主義、(3)日米同盟堅持の外交・安保-を掲げる政治家であるとの六助論を紹介。
また、田中は同著の中で、エドマンド・バークの「フランス革命の省察」の記述から、「良きものを維持するためには(漸進)改革すること」が、保守本流だとも指摘している。
小沢一郎が民主党代表に就任した際(2006.4)、映画の「山猫」を見て感銘を受けたとして引用した、革命に身を投じた青年がおじの公爵に「生き残るためには変わらねばならない」と迫ったシーンのセリフは、バークの言葉と通じるものである。
新政権の面々からは、とても保守政権とは言い難い。
なによりも野田首相が就任最初の記者会見で、靖国神社参拝を他の閣僚も含めた参拝自粛に言及したことは、菅前政権の主権放棄の外交姿勢踏襲に他ならない。
独裁政権の中国・北朝鮮はもとよりであるが、先般の訪韓自民党議員に対する退去処置は、およそ民主主義・法治国家として疑問視される国であることを韓国自ら証明したことである。
このような理不尽な蛮国・近隣地域の言い分を是認するかのような政治判断は、とても民主主義政治を希求する保守政治家の範疇に入るものではないだろう。
日頃重ねた『言行』から見極めれば、にわか似非保守はすぐに見破れる。
およそ素人左派閣僚揃いの野田内閣を保守政権などと言い切る視点は、基本軸そのものがズレていることを認識すべきである。
吉田茂を保守本流に見ることはできる。宏池会を創立した池田勇人・大平正芳までは保守の枠内として良かろうが、宮沢喜一の言行はリベラル派と見るしかない。
加藤紘一・河野洋平に至っては親中左派に分類すべきだろう。
朝日新聞の本流トリックは、宮沢喜一と東大同級(新人会入会)で、広岡知男社長体制に追従した後藤基夫常務の存在が、宏池会会長が変われど吉田系譜から保守本流=宏池会を利用した巧妙な積年の朝日トリックにあると分析する。
さらに藤原帰一・北岡伸一・御厨貴・姜尚中などの東大教授陣が、宏池会=保守本流の左傾化(リベラル)を自民党軸に置き、マスメディアと伝播させてきた結果として、歪んだ現状保守論を造り上げてきたものと受け留められる。
菅直人が東工大時代に、永井陽之助が吉田ドクトリン(軽武装・経済重視)と書した、1965「平和の代償」の政治に魅せられたとしている。
が、吉田は前年(1964.10.15、東京オリンピックの最中)の中国初の原爆実験成功を受けて、自らが敷いた国防問題(所謂吉田ドクトリン)の反省を認識して、(再軍備問題や憲法改正の政治課題の)後事を佐藤栄作(と三木武夫幹事長)に託す書簡を送っている。
故に吉田政治の系譜を保守本流と見るならば、この吉田の反省をも含んだ筋立てでなければ、吉田政治継承の保守本流とは言えない。
吉田の反省後にも係わらず、永井陽之助の吉田ドクトリン論がまかり通り、マスメディアは(吉田反省の)真相取上げをサボタージュし、反日米同盟勢力に与する報道がなされてきた。
素人左派「NOだ!」内閣を、保守政権と言い切る藤原帰一(政治ジャーナリストたち)のメディアトリックにも、同様に「NOだ!」を訴える。
加藤紘一と同じ坂本義和ゼミの愛弟子とすれば、その感覚軸から「さもありなん」なのだが。
朝日新聞を始めとしてほとんどのマスメディア(政治ジャーナリスト)、識者は戦後政治の系譜(派閥)のなかで、「吉田(茂学校)政治の継承者を保守本流」と主張してきている。
ここで同日(9.4、産経新聞・佐々木ワシントン支局長)の「日曜日に書く」で、自民党宏池会の流れをくむ田中六助元幹事長が遺稿「保守本流の直言」(1985.1中央公論社)で定義した、保守政治家とは派閥の系脈などではなく、(議員個々の)『言行』でこそ評価すべきものだとして、(1)議会制民主主義の政治、(2)市場経済主義、(3)日米同盟堅持の外交・安保-を掲げる政治家であるとの六助論を紹介。
また、田中は同著の中で、エドマンド・バークの「フランス革命の省察」の記述から、「良きものを維持するためには(漸進)改革すること」が、保守本流だとも指摘している。
小沢一郎が民主党代表に就任した際(2006.4)、映画の「山猫」を見て感銘を受けたとして引用した、革命に身を投じた青年がおじの公爵に「生き残るためには変わらねばならない」と迫ったシーンのセリフは、バークの言葉と通じるものである。
新政権の面々からは、とても保守政権とは言い難い。
なによりも野田首相が就任最初の記者会見で、靖国神社参拝を他の閣僚も含めた参拝自粛に言及したことは、菅前政権の主権放棄の外交姿勢踏襲に他ならない。
独裁政権の中国・北朝鮮はもとよりであるが、先般の訪韓自民党議員に対する退去処置は、およそ民主主義・法治国家として疑問視される国であることを韓国自ら証明したことである。
このような理不尽な蛮国・近隣地域の言い分を是認するかのような政治判断は、とても民主主義政治を希求する保守政治家の範疇に入るものではないだろう。
日頃重ねた『言行』から見極めれば、にわか似非保守はすぐに見破れる。
およそ素人左派閣僚揃いの野田内閣を保守政権などと言い切る視点は、基本軸そのものがズレていることを認識すべきである。
吉田茂を保守本流に見ることはできる。宏池会を創立した池田勇人・大平正芳までは保守の枠内として良かろうが、宮沢喜一の言行はリベラル派と見るしかない。
加藤紘一・河野洋平に至っては親中左派に分類すべきだろう。
朝日新聞の本流トリックは、宮沢喜一と東大同級(新人会入会)で、広岡知男社長体制に追従した後藤基夫常務の存在が、宏池会会長が変われど吉田系譜から保守本流=宏池会を利用した巧妙な積年の朝日トリックにあると分析する。
さらに藤原帰一・北岡伸一・御厨貴・姜尚中などの東大教授陣が、宏池会=保守本流の左傾化(リベラル)を自民党軸に置き、マスメディアと伝播させてきた結果として、歪んだ現状保守論を造り上げてきたものと受け留められる。
菅直人が東工大時代に、永井陽之助が吉田ドクトリン(軽武装・経済重視)と書した、1965「平和の代償」の政治に魅せられたとしている。
が、吉田は前年(1964.10.15、東京オリンピックの最中)の中国初の原爆実験成功を受けて、自らが敷いた国防問題(所謂吉田ドクトリン)の反省を認識して、(再軍備問題や憲法改正の政治課題の)後事を佐藤栄作(と三木武夫幹事長)に託す書簡を送っている。
故に吉田政治の系譜を保守本流と見るならば、この吉田の反省をも含んだ筋立てでなければ、吉田政治継承の保守本流とは言えない。
吉田の反省後にも係わらず、永井陽之助の吉田ドクトリン論がまかり通り、マスメディアは(吉田反省の)真相取上げをサボタージュし、反日米同盟勢力に与する報道がなされてきた。
素人左派「NOだ!」内閣を、保守政権と言い切る藤原帰一(政治ジャーナリストたち)のメディアトリックにも、同様に「NOだ!」を訴える。
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