走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

こんにちは赤ちゃん

2009年12月15日 22時29分11秒 | 職場の出来事
 番町公民館の森公民館主事に待望の赤ちゃんが生まれました。
 男の子です。

 本当におめでとう。

 結婚五年目にしての快挙(?)です。
 よかったですね。

 森君と話したのですが、とてもうれしそうでした。
 あまり表情に出ない森君の目が緩んでいました。

 母子ともに健やかだそうです。

 どことなく、父親の顔になってきている森君が頼もしく見えました。

クリスマス・ソング

2009年12月15日 20時36分40秒 | つぶやき
 先日、夢・紙芝居事業で道後に行っていて、帰りに職場まで路面電車で帰ってきました。
 そのときに、信号で停まっていると隣の車から石原裕次郎の懐かしい歌が聞こえてきました。
なぜか、その歌が郊外電車の社内に流れるBGMのように聴こえたのは私だけだったと思うのです。

 そのときにフッと思いついたのは、観光客が路面電車や坊っちゃん列車(まちの中をアミューズメント施設の中だけでしかのれない列車に乗れるのは松山だけです)の中で、昔懐かしい歌謡曲なんかを流してみてはどうかなと。
 でも、運行法みたいな規制が恐らく障害になるのかもしれない...
なんて勝手に想像したのですが、でも、この松山で「ホッ」とする思いを抱いてもらうためには必要だなと思ったわけです。

 そういえば先日、麻田浩(あさだ ひさし)さん(音楽プロデューサー)の文の中に次のようなくだりがありました。

 一昔前だったら「ジングルベル」や「ホワイト・クリスマス」が街に流れてくると「そろそろクリスマスだな、師走だな」という感じがしたのだが、最近、街でクリスマスソングを耳にする機会が減ってきたと思う。
騒音防止法などの規制の影響もあるが、もう一つには音楽が個人的な好みで聴かれるようになったからかもしれない。
季節が感じられる音楽が街に流れなくなったのは寂しい気がする。

 私もそのとおりだと思いました。
 中学生か高校生のときに映画「ホワイト・クリスマス(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD8281/comment.html)」の中でビング・クロスビーが歌う同名の「ホワイトクリスマス」に胸ときめかしたものであります。
 そして時代とともに、エルビスプレスリーの「ブルー・クリスマス」もよかったし、山下達郎の「クリスマス・イブ」も捨てたものじゃない。
これらの季節を感じさせる音楽がいつのまにか街から消え、個人の中だけにとどまってしまうというのは、まさに現在のコミュニティの本質を突いているような気がしました。

 人の心に音楽があり、街中に音楽がある、そんなまちづくりがあってもいいかなと思いました。

悲報

2009年12月15日 01時02分08秒 | つぶやき
 選挙管理委員会時代の上司の悲報の連絡があった。
 ひょっこりひょうたん島の「ドンガバチョ」のような風体で、どこか憎めなくて、大好きだった。
プライベートなことを話すのが苦手だった私に、優しく声をかけてくれて、気がつくといろいろと相談していた。

 年齢的には兄に近かったのだが、どちらかというと父親のように温かく包んでくれた。
生意気な私を包み込むにはそれなりの包容力が必要だったと思うが、安心感があり部下の気持ちをよく察してくれた。

 飲みに行くときには、安月給だったのでいつもせびっていたような気がする。
 
 とにかく人のために働く人で、ボランティア活動のお世話をよくしていた。
 奥さんがよく出来た人で、ご主人のわがままを受けとめて、なおかつ包み込んでいたので一枚上手だったような気がする。

 本当に残念である。
 まだまだ若く、遣り残したことがたくさんあったのではないか。

 退職のときに小指の爪を伸ばしていた理由を話してくれた。
 「若い頃、喧嘩ぱやくって、大変なことをしてしまったことがあり、それ以来戒めとして爪を伸ばすことにしたんよ。そしたら爪が邪魔になって、少なくとも手出しできなくなるけんの」
 そんな気配微塵も感じられなかった。

 藤方隆一郎さん。
 大好きな元上司が、逝ってしまった。
 ご冥福をお祈りいたします。