走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

「ゆとり」教育からの転換

2009年02月03日 23時31分04秒 | その他
 教育ジャーナル2009 3月号を読んでいて教育ジャーナリスト勝方信一氏(元 読売新聞編集委員)が寄稿していた「教育の課題」~第3期に試行錯誤を続ける教育界/格差社会のセーフティーネットとしての学校の役割り~を読んでいてそのとおりだと思った箇所があるので抜粋して紹介します。


 「ゆとり」教育には、さまざまな要素が混在していた。
教育界からは、詰め込み学習からの脱却、自ら学び考える力の育成への願い、経済界からは、グローバル競争に打ち勝つ創造的な人材育成への期待が示されていた。
学校での授業時間、学習内容が減る分だけ、子どもの自発的な学び、学校外での学習が重視された。
家庭、地域の責任が強調され、学校機能縮小論も主張された。
素朴な子ども中心主義と、競争と自己責任を柱とする新自由主義的な考え方が混然一体となっていた。
 理想は高かった。
だが、理想通りにはいかなかった。
時宜を失してもいた。
受験加熱時代は既に終わり、受験が学習のモチベーションにはなりにくくなっていた。
 貧困や忙しさなどで親に構ってもらえない子どもは、学習習慣や学習意欲をなくし、学力の二極分化が進行した。
経済面で、富裕層、中間層、貧困層のうち、中間層から貧困層へ流れる人が増え、富の二極分化が進行したのと同じだった。

 (中略)

 授業時間と学習内容増加の戦後当初の30年、その後の削減の30年、そして再び増加に転じたいま。
戦後教育の流れの変わりようは、社会状況、人々の意識の変化を如実に反映する。
新しい酒は新しい革袋に入れなくてはならない。
だが、教育行政は新しい時代に対応したロジックとスキルを確立できず、もがいている。
教育現場も、大分の教育採用汚職に象徴されるように、前の時代の負の遺産を清算し切れないでいる。
過渡期の試行錯誤が続いている。
 時代の変化を鋭敏にとらえなければならない。
いま、アメリカ発の金融危機を迎え、世界を席巻していた自由競争、自己責任、市場原理重視の新自由主義が見直されている。
自由競争、自己責任に委ねる「小さな政府」ではなく、雇用創出や社会保障の整備などを担う「大きな政府」が求められている。
 教育においても同じことが言える。
学校の機能を縮小し、家庭格差を学力格差に直結させてしまった「ゆとり」ではなく、格差拡大社会のなかで格差是正を図る役割が学校には求められている。
富の二極分化に対応するかのように学力二極分化が進むいま、学校は格差社会のセーフティーネットとしての役割が求められている。
そうでなくては、子どもに格差が再生産されてしまう。


 以上のような内容ですが、抜粋なので作者の本旨から逸脱しているかもしれません。(スミマセン)
 しかしながら、最近、以上のような内容をさまざまな機会を通じてお話させていただいております。

 放課後子ども教室を一生懸命取り組み始めるきっかけになったのは、上記のような考え方が私自身の根底にあったからです。
世の中の動きはますます早くなるでしょう。
だからといって教育は時間をかけるものの意識に立ち、世の中の動き無視し、世の中が求める人材を育てなくてもいいのでしょうか。
国が繁栄するためには、優秀な人材を輩出することであり、その人材が活躍すれば国民も恩恵を受けるはずです。
 社会教育の立場にいて、学校教育だけにその任を背負わせるのではなく、私たちもこのことをしっかりと受け止め、できるところから始めようと思います。