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走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

豊かな心を育てる

2008年12月07日 23時33分49秒 | その他
 神谷中学校の教育方針

 今日の日本テレビ系の番組「バンキシャ」で東京都北区の神谷中学校が新たな学校経営手法として紹介されていました。

 紹介しますと、平成14年4月に現在の中村文隆校長が赴任するまで、同校は手がつけられない、いわゆる「荒れた学校」だったそうです。
もともと中村校長は体育科出身の硬派で鳴らした先生でしたから、誰もが厳格な指導をするだろうと期待していたようです。
 しかし、中村校長はまったく反対の行動にでます。
まず生徒の人格を重んじ、どんなときにも生徒を呼び捨てしないようにするとともに、そのことを先生方にも徹底させたそうです。
 そうしたからといって、すぐに子どもたちが変わったかというと、そうではなかったようです。
ただ、会話ができるようになったそうです。

 そして、子どもたちの心を落ち着かせ、集中力を高めるために、毎朝、読書の時間を設けました。
内容は、何を読んでもいいという方針です。

 また総合学習の時間を活用して、農業をどっぷり体験させる教育プログラムを作ってしまいます。
収穫だけの喜びだけでなく、生きるということを体感させる、師匠と呼びたくなるような企画です。

 そして、神谷中学校は徐々にこういった積み重ねによって落ち着いていきます。
 しかし学校の学力は一向に上向かなかったといいます。

 そこでまず、教科関係なしに先生たちが放課後居残り学習を始めます。
当然、専門外の教科を教えるわけですから、時に先生は悲鳴をあげ、虎の巻に頼るわけです。
でもそれを観ている生徒たちは嘲笑すらしない。
先生たちが必死で自分たちの学力を上げようと汗をかいているということを目の当たりにすれば、子どもたちだって理解してくれるのです。

 そして、ユニークなのは高校生によるボランティア教師の活用です。
恐れ入りました。
なかなか、この中村校長先生はしたたかさとしなやかさを有しておられます。

 また、このような学校の取り組みを見ていた保護者から炊き出しのボランティア活動が生まれます。
 そして、今では保護者の学校行事の参加率が80%を超えるといいます。
 究極の学校経営と言われる所以がここにあります。

 来年、3月に定年退職ということですが本市に嘱託で来ていただけませんかね。
まあ、無理でしょうが....
 その中村校長の人柄と教育理念がわかるあいさつ文が、神谷中学校のホームページに掲載されていたので以下に引用させていただきます。

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 教育テーマ「豊かな心を育てる」

        -やさしさ・思いやりあふれる学校、家庭、地域-

 「徳心なきところに学ぶ心花開かず」
 あまりに悲しくむごい出来事が後を絶ちません。
 一方では、給食費ばかりか保育料の未納問題も報じられてます。
 今、大人の考え方や生き方が、深く問われています。

 学問は、人間のあり方や生き方に思いをめぐらせる力や、弱者をはじめとする、人の為に働く知識や行動力を身につけるために励むもので、見栄や競争心を高めたり、金儲けやえらくなるためではないと思っていますし、えらくなるより、よく生きる力を育てる学校経営を推進します。

 今年度は、8校の小学校から70名の新入生を迎えましたが、来年につなげる教育の改善・充実にさらに努力してまいります。

 とくに、弱者を視点とする人権教育の研究ならびに発表会を、生徒・保護者と共に成功させるといった大きな夢の実現に向けた年となります。

 学校経営方針や外部評価に目を通して頂き、心が萎える苦情や批判より、意欲や行動力につながる創造的なご意見や協力員等での具体的な協力を頂くことをお願いし、ご挨拶と致します。

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素敵なあいさつですね。  


とことん年忘れ

2008年12月06日 22時14分49秒 | その他
 課の忘年会

 年に一度の課の忘年会。
 当然、無礼講。
 日々、現場で苦労をかけている部下たちのはじけてくれる姿を頼もしいと思う私は変?
 今年一年、本当に苦労をかけました。
 そして、それに期待以上の成果を出してくれた君たちに心から感謝するとともに、誇りに思います。
 来年も駄目な上司ですが、見捨てずよろしくお願いします。
 また、彼らを支えていただきましたご家族に心からお礼を申し上げます。
 

 歌って解説できる謎の仮面男爵


 異様な雰囲気のメンバーが突然断髪式を始めちゃいました


 最後のバリカン入れは特別ゲストの菅・市公連会長でした。
 課長が坊主だからといって同じにしなくてもええのに....


 あっと驚く白鳥ダンサーズも登場!!


 無礼講と無礼もんはちがうんぞと言ったら、いきなりの土下座。
 かなり酔ってます

※まだまだ凄い写真があるのですが、お見せできません。

寒風の中

2008年12月05日 22時00分24秒 | その他
 今日は、風の強い中、放課後子ども教室の進め方について中島(松山・高浜港からフェリーで一時間ちょっとの距離の島)に、事業の説明に行ってきました。
風が強く波も高く、白波が立っていました。

 到着すると3つの小学校の校長と教頭先生が集まってくれていました。
中島は来年小学校が統廃合になるため、来春早々からの放課後子ども教室の開設は難しいかなと思いながら訪れたのですが、先生方の熱意が伝わってきて、少しでも早く開設したいと思っています。

 当然、新しい小学校になってからの開設という事になると思いますが、年度当初はいろいろとあると思いますので、そのあたりも見ながらの開設です。
格差社会の到来は、所得格差だけでなく地域間格差も含まれます。
 教育に関するさまざまなことがどうしても人が多く住むところに集中するのは致し方ないかもしれませんが、それを放置しておくことはできません。

 私たちは、私たちのできる範囲で最大限のことを果敢に取り組んでいきたいと帰りの船の中で自分に言い聞かせていました。

忘れていた記憶

2008年12月04日 18時59分33秒 | その他
 原爆被爆二世という現実

 先日、健康診断を受診するよう案内の文書が届きました。
内容は、原爆被爆二世を対象としたものでした。

 そうなんです。
私は、母が広島で原爆を受けていますから被爆二世なのです。
でも、普段はそのようなことを意識もしていないし、困ったこともありませんから、私の記憶の中からは消え去っていたのです。

 なにしろ、母が被爆して11年後に生まれたわけですから関係ないのではと、つい思うのは私だけでしょうか。
また、原爆投下から60年以上も経ていますからなおさらです。
でも、診てやるというのですから素直に従いました。

 直接被爆に会われた方々の悲惨さは、小さいときから母に聴かされて育ちました。
子ども心に、その悲惨な光景を想像するだけでも怖くてたまりませんでした。
ひどいときは、夜中にひとりでトイレにいけなくなったこともあります。
首がないわが子をさかさまにおぶって、狂ったようにさまよう母親...
灼熱地獄の中で水を求め川に飛び込み、みるみる血の池地獄のようになる話は、本当に子どもの心に強烈に残りました。

 戦争は、絶対にしてはならないということ。
語り部の必要性は、小さなうちから、してはいけないことをしっかりと教えておくことにあると思います。

 そして、そのことをつなげていくのは、私たち大人の責任だと改めて思いました。

何をなすべきか

2008年12月03日 22時42分43秒 | その他
 米百俵の精神

 今日ある先輩から、「最近、お前のブログ優しくなったなあ。」と指摘されました。
自分としては、何も意識していなかったのですが、自分の中の意識の変化とともに変わってきたのでしょうか。
 その変化について自己分析をすると、一時もてはやされた「米百俵」の話に行き着くのです。

 この話は「米百俵の精神」という言葉になり、小泉純一郎内閣総理大臣が第一次内閣を組閣した後の国会での所信表明演説で引用し有名になりました。
 当時は経済関係の部署にいましたから、「教育」の重要性を今ほど実感をもって理解していなかったと思うのです。

 この話は、司馬遼太郎氏の「峠」という話よりも後の話であります。

 そこでどのような内容だったかフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から以下のとおり引用させていただきます。

 戊辰戦争で敗れた長岡藩は7万4000石から2万4000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。
このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。

 藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。
藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、

 「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

と諭し、自らの政策を押しきった。

 この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であった。
また、この学校は士族によって建てられた学校であるが、一定の学力に達した庶民の入学も許可された。
洋学局と医学局が設置され、洋学局が現在の長岡市立阪之上小学校と新潟県立長岡高等学校、医学局が長岡市内にある長岡赤十字病院とその付属の看護学校が後身となっている。

[小林虎三郎とは?]
 文政11年(1828年)、現在の新潟県に長岡藩士小林又兵衛の三男として誕生。
長岡藩校崇徳館で学び、若くして藩校の助教を務めるほどの学識深い俊英だった。

 23歳の時に藩命で江戸に遊学をし、当時兵学や砲学、洋学で有名な佐久間象山の門下に入り、長州藩士の吉田寅次郎(吉田松陰)と「象門の二虎」と称せられるほどに学問に秀でていた。
また、象山に「天下、国の政治を行う者は、吉田であるが、わが子を託して教育してもらう者は小林のみである」と言わせるほど、虎三郎は教育者だった。

 戊辰戦争が始まり、新政府軍が越後高田藩に至るという報が入ると、長岡藩では小林が起草した嘆願書を提出することを決定する。
この嘆願書の内容は、当時としては珍しく法学の理論から徳川慶喜の赦免を訴えたものである。すなわち、新政府の「王政復古(=天皇親政)」のスローガンを逆手に取り、(天皇親政時の法規範である)律令に照らせば、慶喜の罪は八虐のうちの「反」にも「叛」にも当たらず、むしろこれまでの徳川氏の功績も含めて考えると六議のうちの「議功」に当たるので、律令に沿って慶喜を寛典に処してほしいというものである。
 しかし、往来の騒擾のため使者をなかなか出立させることができず、そのうち江戸より河井継之助が帰藩し、嘆願の無意味を主張して取り消させたため、結局この嘆願書が提出されることはなかった。

 明治元年(1868年)長岡藩大参事となる。
官軍との開戦を反対していたのが、抜擢の理由の一つだともいわれる。開戦に反対したことだけであれば、長岡藩の家老首座の地位を連綿としてきた稲垣平助も同様であるが、稲垣は、合戦の直前に、逃亡して長岡城をめぐる北越戦争には参加せず、終戦後になって、また長岡に戻ってきたため、藩内に信望がまったくなく、彼や彼の惣領を大参事に推す空気はなかったという。
家老次席の山本帯刀は、開戦派であり刑死していた。

 虎三郎は明治4年(1871年)、「病翁」と自ら名を改めているが、リウマチ、腎臓病、肝臓病などさまざまな病を患っていた。しかし廃藩置県後も、情熱が失せることなく郡役所に対して、教育行政をはじめとする諸案件について、陳情・嘆願を繰り返しおこなったが、郡役所から疎まれたらしく、静養に専念するよう命じられた。

 明治10年(1877年)、湯治先の伊香保で熱病に罹り、8月24日に東京府東京市内にあった弟の雄七郎宅で死去。享年50歳。

 本当にすごい人がいたものであります。
 目の前の経済も大事なのですが、その基盤を築くためにはしっかりとした教育が何よりも大切であると説いた小林虎三郎のような人に近づけるよう、がんばらないといけないと冬の夜長を過ごしながら改めて思ったのであります。


ふたこぶ駱駝(らくだ)

2008年12月02日 22時56分24秒 | その他
 格差社会の影響

 ある会議の中で子どもたちの中間学力層の減少を危惧する意見が出ました。
このことについて学校教育に問題があるのではないかという意見もあったのですが、個人的には格差社会の進展がもたらした影響ではないかと思うのです。

 所得の高い層の家庭の子どもたちは高い教育費をかけることができますから、高額の塾などに通えるわけです。
しかし一方で、低所得層の子どもたちはそういった機会が少なくなるのです。

 そして、世の中はますます景気が悪くなり、負の悪循環に入り始めていると言われています。
ということは低所得層の方が増えるわけですから、より一層子どもたちの学力が低下する可能性があります。
そうなると社会全体として、安心で安全で、明るく健全な社会の方へ向かっていくかというと、その反対に向かう可能性が高くなるのです。

 大事なことは、そのベクトルを反対方向へ向けるような取り組みを始めなければならないということです。
そして何よりも、子どもたちに平等に教育の機会を地域社会が一体となって創ることだと思うのです。

 子どもたちの可能性を私たち大人がつぶすようなことをしてはならないのです。
 子どもたちの夢を私たち大人がこわすようなことをしてはならないのです。

 子どもたちには平等に教育を受ける機会をつくるという使命を、私たち大人が改めて自覚しようではありませんか。
その機会をいかせられるかどうかは、子どもたち自身の努力です。
 でも、その前に少しでも多種多様な教育を受けられる環境を、私たち大人が子どもたちに提供しようではありませんか。

 お願いです、地域活動の中で何でも結構です。
 いつでも、どんな小さなことでも結構です。
 子どもがキーワードになった地域活動にご参加いただけませんか。

 なにとぞ、よろしくお願いいたします。m(_ _)m






新たな社会システムづくりのアイデア

2008年12月01日 21時35分48秒 | その他
 チャリティープラットフォームとスタバのコラボ

 NPOユニクリ(正式名称「ユニバーサル・クリエート」http://enmusubi.biz/uc/)の活動を高く評価していただき、応援をしていただいていますチャリティープラットフォーム(http://www.charity-platform.com/)の名前を意外なところで目にしました。

 スターバックスのキャッシャーの横です。
それが写真の大きなスタバの紙コップ型貯金箱の横のプレートです。
気になったのでスタッフの方に聞いてみました。

 すると、スタバ推奨商品を注文すると自動的に代金の中から一定金額寄付されるというのです。
 なるほど、なるほどであります。
 お客さんは通常通り注文をするだけで知らない間に社会貢献をしている。
 企業の社会貢献だけでなく、上手に個人を巻き込みながら個人の社会貢献も達成しています。凄い!!

 しかも、ちゃんと寄付用の貯金箱も置いてあります。
それも目を引くように、スタバロゴの入った心憎い貯金箱。

 これだけさまざまな人たちがかかわり始めてくれているのですから、応援していただいているNPO団体の方もがんばらなくっちゃと、ついつい思ってしまいました。

東雲校区芸能祭

2008年11月30日 21時12分35秒 | その他
 本日、第二弾は東雲公民館で催されていた芸能祭に出かけてきました。
東雲公民館は東警察署の南隣にあり、駐車場がないために大きな行事ができないのが悩みの種です。
 そんな中、地域のさまざまな芸能活動をしている人たちを集めての芸能祭は意義深いものです。
 

 カラオケサークルの唄です。このほかに、詩吟や踊り、相撲甚句などなど。


 一生懸命音響担当をする清川公民館主事

味酒地区文化祭

2008年11月30日 20時49分59秒 | その他
 今日は、味酒公民館で行われていた文化祭に出かけてきました。
 ここも年々参加者が増えているようです。元気な地域づくり、少しづつですが形になってきているのでしょうか。


 オープニングは味酒小学校水軍太鼓クラブの演奏でした。


 つづいて、みさけコール(混声合唱隊)のみなさんによる「この街で」の合唱


 愛媛県公民館連合会長表彰伝達、そして地域に貢献された皆さんに功労表彰がありました。


 展示物①


 展示物②

ふるさとの山河の愛し方

2008年11月28日 23時50分45秒 | その他
 愛するためには知ること

 最近、地域の絆が薄れる要因の一つとして、住民の地域に対する帰属意識の希薄化があげられます。
自分が生まれ、育った地域に対する愛着心がなくなってきているのです。

 ふるさと納税もなかなか集まらない理由の一つに、故郷を愛する人たちが少なくなっているからではないでしょうか。
 自分たちが生まれ育ったところを誇りに思い、感謝する気持ちを持っていただけないのは、行政に携わる者として力のなさを感じます。

 そして、今日、立岩の立体地図を見て、そのヒントをいただいたような気がします。
この地区では、さまざまな人たちの力を借りて、一年という歳月をかけ、立体地図を作りました。
それが、どんな意義があるのか、最初はわかりませんでした。
 しかし、完成した地図を見て気づきました。
それは、単に精巧にできた地図ということだけでなく、子どもたちに立岩のお米がなぜ美味しいのかを、この立体地図を見せながら説明できるのです。
凄い!!
自分たちが生まれ、育った山河が一望できるのです。

 人の心を変えるのは確かに難しいことですが、その方法を難しく考えすぎてはいけないというお手本でした。


 完成した立体地図を感慨深げに見ている松田公民館長


 余りの精密さに驚いている天崎ブロック担当


 どうです、この精密さ。水田一枚一枚までわかります。


 完成発表会に地元の人たちがたくさん集まってくれました。


 完成までの苦労をわかりやすく説明する大北公民館主事


 報告会の後に、歴史講座が催されていました。

またまた、嫌な時期

2008年11月27日 21時47分50秒 | その他
 主査試験

 明日、本市では主査試験が行われます。
 主査試験というのは、他の自治体でいう係長試験にあたるものです。
 昇任に試験制度が導入されてから、随分と組織風土が変わってきたと思います。

 どのような制度にもいい点と悪い点がつきものですから、是非については何も申し上げませんが、当課のように部下が多いと試験を受ける対象者は当然多くなります。
 公民館の仕事は職員が一人しかいませんから、自由に勉強する時間があるだろうと思われがちですが、一日中窓口業務があり人の目がありますので仕事中の勉強はまず無理です。
 また、夏祭り、体育祭、文化祭といった大きな事業がつながっており、その間に小さな事業がいっぱいあるため、家に帰るとおそらく勉強などする余力が残っていないと思います。

 しかし、他の職場の対象者もそれほどちがいはないかもしれません。
 このハードルを越えなければ、次のハードルに進めなくなっているという現実から逃げないで下さい。
 おそらく明日も寒いことでしよう。
 でも、最後まで最善を尽くしてください。

 

適材適所

2008年11月25日 20時30分56秒 | その他
 老巧は宝なり

 ある中堅の電気工事会社の話を聴きました。
 その会社では、毎日二人一組の五班体制で電気工事に出かけるそうです。

 ある時、そのチームの中で定年退職を向かえようとしていた男性Aさんに社長が声をかけました。
 「Aさん、定年後あてはあるのかい?」
 「なんにもないよ。」
 「よかったら、そのまんまうちの仕事を手伝ってくれないか。」
 「わしゃあ、若いもんと同じようには、もうやれんよ。」
 「だからさあ、若い奴が出て行くときの道具の準備を手伝ってもらえんかなあ。」
 「そのくらいなら、手伝えるか...」
 「な、無理はせんでぇええけん。」

 そして、Aさんは定年後もバックヤードの担当として引き続きその会社に勤めました。
 するとどうでしょう、毎日、忘れ物や道具を間違えたために工事が中断するなどトラブルが耐えなかったすべてのチームが見ちがえるようになったのです。
その要因は、どうやらAさんの力だったようです。
Aさんは、長年、実践の中で工事の内容によって何が必要で、どういう道具がよく忘れられるといった細かいことまで熟知していたのです。

 当然、その会社は仕事の効率がアップしましたから、嘱託のAさんの人件費など吸収し、それ以上の利益を生んだというのです。

 まさに「老巧は宝なり」です。
私たちは、時に表面(形式)的なことだけを見て本質を見抜けず、気づかないうちに損をしているのかもしれません。

 この会社の社長さんは、卓越した人事管理能力をお持ちのようで...
 

意識のちがい

2008年11月24日 21時35分52秒 | その他
 実践教育の重要性

 友人と話をしていて、ドライバーと同乗者の意識の違いについての話になりました。
 同じ車で行くのですから、当然目的地は同じなのですが、帰路やもう一度その目的地に行く場合に同乗者に運転を替わったとしましょう。
するとどうでしょう、道に迷ったりわからなくなったりする場合があります。

 こういったことが起こる最大の原因は、おそらく運転手と同乗者の意識の違いが上げられます。
最近、私はこの意識のちがいを痛感することがあります。
同じ目的地に向かって進んでいたと思ったのに、そうではなかったと。
自分の身勝手さから後ろを見たら誰もいなかったということはあるなとわかっていたつもりなのですが、同じ車で同じ目的地に着いたのだから運転を替わっても大丈夫だろうと思っていました。

 でも現実はそうではなかったのです。
確かに何も意識せず同乗しているだけなら、途中の景色も目に入っていないでしょうから目印の一つも覚えていないでしょう。
つまり、同じ時間と環境を共有しただけで、なぜその目的地に行くのかという説明と、運転を交替するということを最初に話すことを怠ったために同乗者は自信を喪失する可能性があります。
ということは運転手である私が悪いのです。
ですから運転手は、自らの運転技能を高めるだけでなく、後継者を育成するという観点から「ここはこの目印で右にまがるんだよ。」と、ときどき説明をするということが必要だと思うのです。
そこまでしなくてもいいだろうと思われる方もおられるとは思いますが、自分が未経験の同乗者とした場合、どうでしょうか。
「最初に言っといてよ。」とか「それなりに、きちんと教えておいてよ。」と思うにちがいありません。

 そして、大事なことは必ず運転をさせるということです。
道に迷ったら、まず任せましょう。
仮に間違ったら、迷った場所までもどり、もう一度挑戦させてみましょう。

 どのような場合にも障害はつきものです。
その障害は、自らが乗り越えていかなければ自分のものになりません。
そして、乗り越えるたびに自信とやりがいを積み重ねていくことになるのです。 





 

堀江地区収穫祭

2008年11月23日 21時00分09秒 | その他
 勤労感謝の日の収穫祭

 今日は堀江地区の収穫祭に出かけてきました。
 オープニングは内宮中学のブラスバンドの生徒さんたちの演奏ではじまり、「ふるさとほりえ賛歌」も紹介されました。
 収穫祭の意義や歴史などについて久保田公民館長から説明があり、展示物も農業の大切さが学べるものばかりでした。
 そして、それを通して「生きる」ことの大切さや勤労の大切さを学ばしたいんだろうなと、勝手に思ってしまいました。


 子どもたちによる米作りの年間スケジュール表


 堀江地区で作っていた農作物の歴史や今作付けしている農産物の紹介一覧


 昔の農機具(その①)


 昔の農機具(その②)


 餅まきもありました

新たな旅立ち

2008年11月19日 22時54分14秒 | その他
 今月いっぱいで仕事を辞める若者がいます。
 彼は、ずっと秘めたるものがあったのですが、ご両親のすすめで自分の思惑とはちがう職場に一旦勤めていたのですが、どうしても自分の夢を捨てることができず、今回新たな道を歩むことにしたそうです。
 なかなか優秀な若者で、やめるに際して「なぜ?」と異口同音に言われたそうですが、彼のこと(寡黙なタイプ)ですから詳しい説明はしませんでした。

たった一度の人生ですからなんて甘いものではなく、決断してからも揺らぐ自分に不安でいっぱいだそうです。
でも、それは経済的不安というよりも、あまりにも若さと実績の少なさゆえの不安のようです。
でも、彼は同年代の若者と比べると、その行動は誠意あるものであり、何を大切にしなければならないかという本質を見抜く目を持っています。

 そして、彼はいきなりある組織のトップに立たされ、そこを任されるようです。
経営管理だけでなく、マーケティングから人事管理すべてをマネージメントする立場に立たされ、それを上手に運用していかなければならないそうです。

 きっと、それは茨(いばら)の道よりも、もっともっと厳しいものかもしれません。
 でも、そのしんどさの中に、彼のことですからきっと、やりがいや生きがいを見つけてくれることでしょう。

 そんな彼に何もしてあげられませんが、一言だけ

  「君なら絶対にできるよ。自分を信じて。」

 彼のすごさは、高みの時には謙虚に、底の時には粘り強く最後まで諦めないところです。