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走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

夢はかなえるためにある

2009年01月08日 22時15分27秒 | その他
 坂本流「人生グラフ」

 先日、深夜のBSテレビを観ていると再放送の「課外授業 ようこそ先輩」をやっていました。
前からこの番組の大ファンで、久しぶりに見入ってしまいました。
この番組は、各ジャンルの一線で活躍している著名人が母校を訪ねるというもので、自身の専門分野や生き方について講義するものです。

 今回は、演歌歌手の坂本冬美さんが母校の和歌山県の小学校を訪ね、先生になるるというものでした。
私は、てっきり子どもたちに歌の唄い方について教えるのかなと思っていたのですが、まったくの的外れでした。

 テーマは、「私の夢」について作文を書いてくださいというものでした。
このテーマを選ばれたのは、幼い頃から歌が好きだった坂本さんが、5歳の時から「大きくなったら歌手になる」と周囲に宣言し、何度かの挫折を繰り返しながら、その後も夢を持ち続け、19歳のときに「あばれ太鼓」でデビューを果たし、夢が果たせた自分の経験から子どもたちに夢を実現する方法を教えるというものです。

 具体的な方法は、第一ステップとして出生から現在までを振り返り、人生グラフに落としていくというものでした。
うれしかったこと、悲しかったこと、そして記念日をそれぞれ異なる色の付箋に書きグラフに貼り付けていくというやり方です。

 そして、第二ステップは自分の夢を具体的に定め、そうなるためにはどんな学校に進み、どんな資格を取らなければならないかを子どもたち自身が調べ、それをまた人生グラフに追記していくというやり方でした。
 また、坂本さんは夢を定める時に子どもたち一人ひとりと話をして、夢を実現するための目標設定基準が低くないかをアドバイスしていました。
中には、そのことを指摘され怒りだしたり、やけになる子もいました。

 そのグラフが完成したら、いよいよ作文を書き始めます。
でも、人生グラフを完成していると書くのも楽です。

 そして、完成した作文は参観日にその決意表明を披露するという念の入れようです。

きっと坂本さんは子どもたちに「夢はただ見るためにあるのではなく、かなえるためにある」ということを伝えたかったのでしょう。

 そういえば、ロボットスーツHALを作られたつくば大学の山海先生は、小学校の時に作文でサイボーグを創ると世間に公表し、その公約を守るためにがんばってきたと言われていたのを思い出しました。

 夢は諦めず、がんばれば必ずかなう。

はばたけ教師の卵、全国初!!

2009年01月07日 23時52分03秒 | その他
 今日、愛媛大学の教育学部3年生を対象にした「スウェーデン式いじめ予防のためのスキンシップ手法について」の講演がありました。
講師は、スウェーデン人のビョーン二神さん(松山市在住)
とても上手な日本語で、時にジョークを交えながら充実した1時間半でした。
 恐らく国内の大学でこのことを学んだのは愛媛大学が始めてでしょう。

 講演内容は、ビョーン二神さんの自己紹介から始まって、スウェーデンのデータ説明、更には本日のテーマについてのスウェーデン事情といったような説明へと展開し、最後は受講生に体験実習を二人一組のペアになってもらって体感してもらいました。

 今日の受講生は、将来、先生になる卵のみなさんです。
その人たちに、いつかぶつかる可能性のある「いじめ」について、できるだけ発生する確率を低くするための考え方や手法を学んでいただきたいという思いでありました。
このブログでも何回か紹介もさせていただきました。
それを読んでいただいていた白松先生からのオファーでした。
とても感謝、感謝であります。
 対処療法も大事なのですが、根治療的なことに取り組むことの大事さを知っていただき、行動することを学んで欲しいという思いもありました。
白松先生にはこのことを十分理解いただいていたようで、今日、それが実現しました。

 そして、体験実習では、最初ぎこちない動きをしていた受講生がそのよさがわかってきたようで、真剣な目つきに変わってきていました。
ビョーン二神さんの説明資料もよくできていて、わかりやすくするために映像ビデオを織り交ぜたり、体験実習ではスウェーデンの音楽をBGMに使うなど効果的でした。

 今回の目的は、相手の人格を尊重し、人を思いやる心の醸成でありました。
 その手法として、今回のようなやり方が一つあると。
ビョーン二神さんの言葉を借りるなら、「スキンシップ手法を行った手は、人を叩かない」
 名言だと思いました。


 本日の趣旨説明をされる白松准教授


 本日の主役(講師)、ビョーン二神さん


 体験実習の様子①


 体験実習の様子②

娘の旅立ち

2009年01月05日 23時09分25秒 | その他
年末25日から娘が帰ってきています。
月日の立つのは早いもので今春で2年がたちます。
歌を学びたいと東京に行き2年がたちました。

この2年で彼女がどれだけ進歩したのか、親の欲目で見てもまだまだだと思います。
そんな彼女が、あと2年時間が欲しいと言ってきました。

親として悩みました。
娘の意思は固いようです。
条件としては、自己責任でやること。
このことを娘がどれだけ重く受け止めているのか、不安です。
でも、やらせることにしました。

そして、今日、成人式の前撮り写真館で娘の着物姿を見ていて感慨にふけってしまいました。
七五三の三歳の時、写真館で恥ずかしいくらい大泣きをした娘が、いっぱしのことを言ってくれる。
一人で大きくなったと思っている。

ついつい甘やかして育ててしまった分、これからの娘の人生は苦難に満ちているような気がする。
それもこれも私のせいである。
できうるなら、傷つかず、順風満帆な人生を歩んで欲しかった。
でも娘は、自ら厳しい生き方を選択した。

ただただ、見守るしかない。
親の手からは既に巣立っている娘が、幸せになりますように見守るしかない。


人づくりのコツ

2009年01月03日 15時08分50秒 | その他
 今、埼玉西武ライオンズの渡辺久信監督の人材育成の手法にスポットライトが当たっています。
まだ監督というよりは、西武のエースだったというイメージの方が強い渡辺監督。

 渡辺監督は、西武のエースとしての黄金時代を経験しながらも、追われるようにヤクルトへ移籍。
さらにそのヤクルトも、わずか一年で自由契約。
その後は、台湾に渡り選手兼コーチ。
 コトバの伝わらない異国の地でコミュニケーションの大切さを知る。
 そして、エースまで登りつめ、そこから辛酸(しんさん)を嘗(な)めたからこそ、その経験が生かされた。
そこで、渡辺監督の人づくりのコツを紹介しよう。 

 1 結果論で物事を語らない
 2 管理・叱咤より対話を重視する
 3 指導方法は目線を下げ、教え方はとにかく丁寧に
 4 目標と責任を与えて、あとはじっくりと見守る
 5 失敗を取り返す環境を整える
 6 以心伝心に頼らず、言葉にして相手に伝える
 7 部下の立場に立って、客観的に現状を認識する
 8 プライドはへし折らない。挫折した者を放置しない

 日本一の監督になったのがよくわかりました。
 そして、ワールドベースボールの監督も早々と断った時に、私は少し嫌悪感を覚えたのを恥ずかしく思いました。

 でも渡辺監督、あなたは主役は選手なんだと思っておられるからですね。

今年の職場づくり

2009年01月01日 21時18分11秒 | その他
 やさしさに心が揃えば

 明けましておめでとうございます
 今年の元旦は、松山ではあいにく雲がかかり初日の出を見ることができませんでした。
 今年の自分を物語っているようで不吉な感じもするのですが、ここはポジティブに精進すれば必ずやいいことがあると自分に言い聞かせて、今年もがんばろうと思います。
 年の初めに、今年の職場づくりをどのようにするか考えてみました。
 そこでその参考になるコラムを見つけましたので紹介します。

 THE 21 2009 01号(PHP研究所)
 金平 敬之助(コラムニスト)
 ~やさしさに心が揃えば~ より

  その中学校では、秋になると校内陸上大会が開かれる。
 ハイライトは学級対抗リレー競技。クラス全員でバトンをつなぐ。
 アンカーは当然、足の一番速い生徒だ。
 でも、2年1組は違った。
 走る順番はクラス37名の話し合いに任せた。
 結果、アンカーはO君。
 走るのが一番遅い生徒だ。
 なぜか。
 担任のY先生は、「やさしさに心が揃ったから」という。
 「O君は運動が苦手。1番でゴールした経験はないはず。
  よし、1位になってテープを切らせよう。
  だから、みんながんばろう」というわけだ。

  予行演習では6クラス中4位。
 でも、走る順番は変えなかった。
 大会本番。
 序盤は4位くらい。
 次第に順位を上げていった。
 途中で女子が転倒。
 バトンを落としそうな子もいた。
 が、ついに1位でアンカーにバトンタッチ。
 O君は走った。
 顔を真っ赤にして必死に走った。
 その姿にクラス全員が大歓声。
 ついには、全校生徒と保護者も総立ちで声援。
 そのなかで、O君は1位でテープを切った。
 運動場は大興奮に包まれた。

  この素敵な思い出と感動。
 Y先生は「任せてよかった」と思い、
 「やさしさに心が揃えば、組織は思わぬ力を発揮する」と悟った、という。

 どうです素敵な話でしょう。
 今年の職場づくり、こんな感じでいこうと思います。

死ぬまでこき使ってやる!!

2008年12月29日 20時38分23秒 | その他
 今日テレビを見ていて、今話題になっている製造業の解雇問題が取り上げられていました。
不思議に思ったのは、コメントをしている人たちの話の内容であります。

 どう考えても労働者派遣法に基づく派遣社員と季節契約社員を混同しているなと思ってしまいました。
そして、話の流れの中で労働者派遣法の改正により派遣できる職種を広げた国の姿勢を断罪していました。
 それを観ていて、本当にこの国は大丈夫なのかとつい思ってしまいました。

 なぜなら、雇用問題を論じる前に戦後、我が国の労働力がどのように移転してきたのか紐解きながら考えるべきではないのかと思ったからです。
 戦後、我が国は敗戦国から世界の列強国の仲間入りをするためには、武器を捨て、技術力を高める道を選択する必要がありました。
 また、国策として国民に平均的な所得を保証するためには、自然災害の少ない表日本側に工業地帯を指定し、製造業の核となる地域を複数確保したのです。
そして、裏日本側から労働移転を促進したのです。
そこに、季節契約社員が生まれたのです。

 さらに、第二次産業の雇用の創出・拡大は爆発的に伸び、その不足分が第一次産業からの労働力の移転につながったと思うのです。
 そして、我が国が生産する商品は、いずれも高品質・低価格商品を全世界に提供することになったのです。

 我が国の政策は順風満帆のように思えましたが、歯車が狂う出来事が起こりました。
それは、1989年11月9日のベルリンの壁の崩壊です。
私は、この時点から労働政策を一国の政策から世界的視野に基づく労働政策に転換しなければならないターニングポイントでなかったかと思います。
この事件以来、東ヨーロッパとアジア(共産主義国や社会主義国)の低賃金の労働力が欧米や日本を襲うこととなるのです。
そして、目利きの聞く製造業を中心とする企業が低賃金の労働力を求め、それらの国々に進出していくこととなるのです。
それは、単に労働力の流出だけでなく、技術力の流出でもあったのです。

 これにより、私たちは多くのライバルをもつことになるのです。
そのライバルの進展は著しいものがあり、かなり手ごわい存在へと変貌しました。
その防衛策として、工場の自動化、さらにはより低コストの労働力を求め、世界中に工場を造ることとなるのです。
 この結果、我が国の製造業は雇用の面で魅力的な産業から、その座を明け渡すこととなりました。

 一方国は、国際競争力を高めるために労働政策を根本から見直し、終身雇用制度を廃止するとともに、労働者派遣法の適用業種を広げることで、正規雇用の労働力を非正規化の方向に促進し、労働力の流動化とコストを押し下げることで実現しようとしたのではないかと思うのです。
しかし、その政策は本質を見誤ったと思うのです。
 なぜならば本来、労働力が他国に流出しようとした時に何らかの政策を打つべきだったでしょう。
ですから、労働政策を間違ったのではなく、国際的視野が狭かったということと、時機を逸したということに問題があったのではないでしょうか。
しかし庇(かば)うわけではありませんが、この考え方も結果論で、労働政策を世界的視野で捉えて、ビジョンを描くといった考え方は、むしろ我が国にはそぐわない考え方かもしれません。
一国一民族的な考え方が根底にある限り、無理だと思うのです。
それは最近起こった介護分野に蔓延する労働力不足をアジア諸国に求めた事業で移民的な発想を持ち、アレルギーを抱く体質があると報道されていましたが、そういった考え方があるかぎり難しいのではないかと。

 また、単純な発想ですが、今問題にされている雇用問題の関連企業は、自動車業界と電気業界を中心とする、いわゆる消費がたまにしか発生しない商品を製造する企業ばかりであります。
 また、大量雇用を決めた企業の多くはサービス産業が中心であり、日々消費が発生する企業です。

 何がいいたいかと言うと、雇用契約をきりたい企業と介護業界のように、喉から手が出るほど人材を欲しがっている企業が存在するということです。
つまり、労働力にアンバランスな状況があるということを念頭に入れるべきでしょう。
 また、労働力が移転したことにより、ボロボロになった第一次産業を復活させるためには、やはり新たな労働力が必要です。
さらに、これらの産業に共通するのは、仕事に対する魅力が少ない、いわゆる重労働だけれども低賃金であるということです。
このことにチエを絞ることだと思うのです。

 ある中小企業では、定年がないところがあります。
 その企業の社員さんは、みんなイキイキと仕事をしています。
特に高齢者ほどそうです。
 ある老齢の社員さんの言葉が印象的でした。
  
 「社長がね、『死ぬまでこき使ってやる』て言ってくれたんですよ。」

 誰が悪いなんていいません。
 でも、我々が抱えている問題の答がここにあると思いませんか。



読書三昧?!

2008年12月27日 22時19分38秒 | その他
 今年の年末・年始の休みは、年明けに備えてさまざまな資料作りをしようと考えているのですが、その参考になる本を買出しに出かけました。

 なのに、ぜんぜん関係のない本を購入してしまいました。
 紹介すると、

 「覇権の終焉」 中西輝政 著/PHP研究所

 「『脳にいいこと』だけをやりなさい!」 マーシー・シャイモフ 著
                     茂木健一郎 訳/三笠書房

 「国民を元気にする国のかたち」 江口克彦 著/PHP研究所

 この三冊以外に雑誌を三冊買いました。
  
  日経ビジネス/徹底予測2009

  PHP研究所/THE21

  日経ビジネス/Associe

 時間が限られているので、全部目を通すことはできないと思います。
 でも、最初から読みきらないと決めておくと、案外気が楽で、そういうときの方が、ひっかかるフレーズやためになる箇所を見つけられたりするものです。

 主査試験の第一ステージをクリアした人たちにとっては、小論文と面接が残っています。
最後まで油断せず、こんなオッサンでもいまだに本ぐらいは読んでいるのですから、たまには書店を覗いてみてはいかがでしょうか。

仕事納め

2008年12月26日 01時26分45秒 | その他
 今日は例年よりも早めの仕事納めであります。

 今年も色々とありました。
でも、苦しかったこと、辛かったことは、今日ですべて脱ぎ捨てようと思います。
それよりも新しい年を迎えるにあたって、どのようなことを自分の基本において行動するかを考えたときに、昨日、偶然に職場の立石先生からコピーをいただきました。
自分たちが信じ、突き進んでいたことを明確に書いていただいていた文章なので紹介し、来年からの心のよりどころにしたいと思います。


教育改革で格差社会を改造する
千葉大学 明石 要


■放課後は「自由経済」、学校は「計画経済」


 親の経済格差が子どもの教育格差を生む。そして、残念ながら今や経済格差は学力格差だけでなく、体力格差、それから栄養格差をも生むようになっている。

 それはなぜか。「体験量」が格差を生むのである。しかもその「体験量」は学校社会より「放課後の世界」で差が顕著になる。
 学校はよい意味での計画経済である。全国どの学校に行っても「よい教科書」と「よい教師」、それから「よい友達」が保障される。

 また、学校は休み時間と体育の時間、それから部活動を用意し、どの子どもにも体力をつける配慮をしている。

 そして、学校給食はどの子どもにも十分な栄養を提供している。栄養士がカロリー計算して、年間で約200日間給食を提供している。栄養の格差が顕著になるのは給食がなかった40日間の夏休み明けである。
 夏休みに「早ね早起き朝ごはん」の生活リズムをとっている子どもとそうでない子どもとでは栄養バランスが異なる。長期の休みの不規則な食生活が子どもの栄養バランスを崩す。
 9月1日の全校集会の姿を見てほしい。倒れるかしゃがみこむ子どもがけっこういる。15分ほどの話に耐え切れないのである。だから、それを知っている賢明な校長は最初から座らせて話を聞かせている。学校給食は夏休みに家庭で生じた栄養格差を是正している。

 学校は意図的に計画的に設計されている。よい意味で規制があり金太郎飴でもある。だから品質が保証されている。


■「体験量」が格差を生む


 学校はどの子どもにも同じ体験をさせ、家庭で生まれる格差を是正しているのである。
 ところが、放課後の世界は自由経済である。子どもの体験量は親の経済的な「差」を直接に受けているのではないか。
 例えば、年収800万円以上の家庭の子どもは夏は海へ行き、冬はスキーに出かける。そして休日は家族みんなで出かける。さらに塾やお稽古に通い、通信教育も受け、豊かな体験をする。文化的資本を身につける機会を多く持つ。
 逆に300万円以下の家庭(四割弱いる)の子どもは、夏、冬とも親が仕事で忙しいので外に出かけるチャンスが少ない。そして経済的な理由から塾やお稽古も通っていない。放課後は独りで、部屋でテレビと漫画、それからテレビゲームをして過ごす。
 経済的に余裕のない子どもの放課後は貧困になりがちである。

 豊かな体験をしていないので文化資本が乏しく、学習レジネス(作者の勝手な解釈:学習に対するヤル気、向上心の意味だと思います)が身についていない。結果として学力が低くなる。
 それから、放課後の行動半径が狭くなっている。外遊びが減り、室内遊びが主流となっているので体力が身につきにくい。

 また、運動系の部活動に入っている者が中学校系で7割、高校で5割をきっている。部活動はユニフォーム、用具代、それから遠征費とかなり経済的な負担が大きい。経済的な余裕がないと辞めざるを得ない。結果として体力格差が生まれる。
 このように親の経済格差が子どもの放課後の体験量の「差」を生む。学校は計画経済なので家庭で生まれる格差を是正できる。しかし放課後は自由経済なので放っておくと格差は拡大する。

 「格差」問題を論じる時、これまでこうした認識は乏しかった。確かに、学校差や学級差はある。学校が持っている教育力や担任の力量によって子どもの学力は異なる。
 しかし、この「差」は鳥瞰図的な視点から見れば小さいものである。自由経済の放課後で生まれる「差」に比べると取るに足らない。

 学校改革をすすめなければならない。と同時に放課後に生まれる「格差」の現実にも目を向けなければならない。
 自由経済の放課後で取り残された家庭や地域の子どもたちにも、豊かな体験を保証しなければならない。これは社会のあり方を変える社会改造である。

 今全国各地でさまざまな機関・団体が放課後子どもプランを行っている。しかし、それは次のミッションを持っていることを忘れてはならない。

 どの地域のどの家庭の子どもたちにも豊かな放課後の世界を等しく提供する。
それが規制のない家庭や地域で生まれる格差の是正につながり、子どもの未来を切り拓くのである。

日文の「教育情報」 NO.58より

道後の旅館

2008年12月25日 22時55分49秒 | その他
 道後には大小さまざまに旅館、ホテルがたくさんあります。
 今日は、私が隠れ家的に使っているお気に入りの旅館をクリスマスなので、特別に紹介します。
その旅館の名前は、「さち家(や)」。
とても小さな旅館で、奥まったところにあるので目立ちません。
でも、とても家庭的ですが、料理は会席コースなのですが手ごろな値段で味わえます。
しかも、うれしいことに予約をしていればお昼ランチもあります。
 場所は、伊予鉄道後駅を降り、道後商店街に入り、しばらく歩くと右手側にタルト屋さんがあり、その横の細い道を入り、数メートル行くとその「さち家」さんがあります。
要予約ですが、松山らしい旅館に出会えますよ。



 コースの一部を紹介します。料理は月ごとに変わるそうです。前菜


 瀬戸内の魚だけで構成されているお刺身です。


 メインは、地鶏の燻製焼でした。

うれしいカード

2008年12月24日 22時43分13秒 | その他
 ユニークなクリスマスカード

 先輩から詩が書いたカードが送られてきました。
 この先輩には、今もいっぱい迷惑をかけています。

 何よりも、過去に上司と部下であったときの仕事で、その後私が引き継いでからその方が創り上げてきたことを全て壊してしまいました。
その行為は全否定をするようなものでした。

 言葉には出されませんでしたが、かなり怒っておられました。
 偶然お会いしたときも、挨拶さえもぎこちなかったことを覚えています。
私は、心の中では、上下関係のときに徹底して教え込まれたことを実践しているだけだという気持ちでした。
 でも、私に傲慢で慇懃無礼なところがあったような気がします。

 そして、ここ何年かまた近い関係になり、じっくりと変わった私を見ていただいたと思います。
今は、とってもいい関係で、でも相変わらずかわいげのない私を包んでくれています。

 そのカードの詩が勇気づけられたので紹介します。

 作者:富弘

 竹が割れた
 こらえに こらえて倒れた
 しかし竹よ 其の時おまえが
 共に苦しむ仲間達の背の雪を
 払い落としながら倒れていったのを
 私は見ていたよ

 ほら 倒れている おまえの上に
 あんなに沢山の仲間が
 起き上がっている


 このカード、大事にします。

反省二点

2008年12月16日 21時26分10秒 | その他
 最近、自分の仕事にどこか気の緩みみたいなものを感じていて反省しきりであります。

 その一つ目は、ある会議の出席依頼を他部署の方にお願いをしました。
 毎年、何人かにお願いをしていたので、その人たちのリストを見たときには何も違和感を持ちませんでした。

 しかし、そのリストの欄外に、ある人が欠席した場合には、この人にお願いするという内容が追記されていたのです。
 当然、その方からお叱りの電話をいただきました。
 あわてて、そのリストを見返しました。
内心、「うわぁ!!やってしまった。」という思いでした。
つい見落としてしまっていました。
毎年のことなので、油断をしてしまいました。

 すぐに担当者を呼び、その資料についてメール便で送ったかどうか確認したところ、いつものことなので庁内のメール便で送付したとのこと。
その担当者にとっては、毎年のことなので何もワルびれた様子はなく、先方がなぜ怒っているかさえわからなかったようです。

 こちらからお願いをしているにもかかわらず、相手の気持ちや立場に立っていない。
はっきりいって私の指導力不足であります。
 そのリストの作り方、また例外的なことに対する配慮、毎年のことだからと気を抜いた自分の責任であります。
 後日、直接、謝りに参りました。

 一言、「自分がされたらどう思うんや」
 そのとおりであります。
 誠に申し訳ございませんでした。
 深々と頭を下げ帰ってまいりました。
 まだまだであります。


 二つ目は、底冷えのする寒い日の会議でのできごとです。
 この日のメンバーは、組織外の有識者の方々ばかりです。
会議開始前に来られた方からお茶が出ました。

 「え!!」とつい絶句しました。
担当者は、ペットボトルのお茶を茶碗についでお客様に出すよう指示をしていたのです。
しかも、そのお茶は冷蔵庫で冷やしたものでした。
慌てました。
すぐにお茶を下げるように指示し、さらに熱いお茶に切り替えるように指示しました。
お茶の葉がないという返事が返ってきたので、そのペットボトルのお茶を沸かすよう指示しました。
おそらく、担当者たちはそんなまずいお茶を出す方が、お客様に失礼ではないかと思ったかもしれません。

 会議を単に形式的なイベントとして捉えていたのか、それとも会議に集中しすぎて心にゆとりがなかったのか、どちらにしても「お茶程度くらい」という認識だったと思います。
寒い中、私たちのために忙しい時間を割いて出席いただいたお客様に対して、本当に失礼なことをしてしまいました。

 お茶の世界に「一期一会」の精神があります。
 それは、華美なことによるおもてなしではなく、ありのままの姿で心からおもてなしをする精神だと思うのです。
 寒い中、部屋に入ってきたときに熱いお茶でもてなされるだけで、その会議は和やかなものになると思うのですが、そういう考えにいたらなかったのは、やはり私の指導力不足であります。

 私は、平素、気づいてもあまり細かいことは言わないようにしています。
心のどこかに、嫌われたくない上司になりたかったのかもしれません。
そういった不埒な考え方が、今回のようなことを引き起こしてしまったのであります。
平素の何気ないことに気を抜くようでは、大儀をなすことは不可能です。

真剣勝負

2008年12月15日 23時16分03秒 | その他
 現場に出向く大切さ

 今日は来年度計画している新規事業について、地元の協力が欠かせないため、その説明会に行ってきました。
まだ、予算化もできていない中での説明会です。
まず、内部的な合意形成が取れていないということを断った上での協力のお願いですという、一方的なお願いであります。
しかし、協力を取り付けていないと成り立たない事業ですから、お願いするしかありません。

 公民館長さんが、口火を切りました。
 「子どもたちのためになるということはわかるんじゃが、地域のためには
  どのような利点があるのですか?」
 「と申しますと。」
 「例えば、この事業を通してこの地域の名前が売れ、ここで採れる農産物が
  有名になるとか、地域振興につながるとかいったことかいなあ。」
 私たちへの援護射撃であります。
 「そうです。これは、子どもたちの健全育成を目的としますが、この事業を
  通して、私たちはこの地域をアナウンスしようと思っています。そういう
  意味では、過疎化している地域の活性化モデルになりうるかもしれません。」
 「どうじゃな皆さん、この事業にはどうやらこういう切り口もあるみたいじゃが。」
 ナイス・フォローであります。
 そして、この地域の子どもたちのお世話をしているAさんに話を振ります。
 「Aさんは、何か意見はないかな?」
 「そうですね。この事業自体はいいと思うのですが、どういう観点から
  地域の活性化につなげていくのですか?」
 「先ほどもあいさつの中でお話したように、この事業メンバーの中に産直市で
  成功を修めた市について研究をしている大学の先生も支援してくれます。
  その先生からさまざまなノウハウを伝授いただけると思っています。
  私たちは、地域が元気になるためには、経済的に豊かになるという前提が
  あって始めて活気がもどると思っています。もし、この事業をやらせてもら
  えるならば長期的にはこういったメリットがあると思います。」

 (中略)

 「こういう事業は、いつも地元に押付けたり、最後は投げ出したりするのが
  ほとんどじゃが、そこら当たりはどんなんかいなあ?」
 「確かに、今までの事業は、机の上で考え、それを投げっぱなしや押付けて
  いたかもしれません。そういう意味では、今回のお願いの資料は、非常に
  大雑把で、まさに事業決定がなされた後、皆さまと協議をしながら育てて
  いこうと思っています。いい加減な奴らやと言われる覚悟で参りました。
  最初から百点満点をとれるとは思っていません。できればまず合格点を
  目指し、それから百点を取りにいく、まさにそのような事業の育て方を
  したいと思っています。しかし、これは私たちだけでは成功しません。
  今日、参りましたのは、地域の皆さまの力があって始めて実現するという
  ことを理解していただいた上で、協力をお願いしたいということです。
  そういう意味では、私たちは逃げないつもりですし、大学関係者だけで
  なく教育団体の協力も得られる可能性がありますし、担当課としても力を
  入れてまいります。そういう意味では、今までにない新しいチーム編成で
  この事業に望むつもりですから、地元だけに押付けることにはならないと
  思っています。」

 (中略)

 前出のAさん
 「私たちもやる限りは地域の振興につながればとは思いますが、一方でこの
  資料を拝見すると、これはやはり子どもたちのためにやる事業だと思うの
  ですが、この事業を通して子どもたちに何を学んで欲しいのですか?」
 「一言で言うならば、生きることの大切さ、生かされていることの大切さを
  学ぶことができればと思っています。」
 「わかりました。子どもたちのためにする事業なら協力できます。」

 本当に中身の濃い話合いでした。
 そして、確かな手ごたえを得た話合いでした。

花田佳明 先生

2008年12月14日 21時37分50秒 | その他
 お疲れさまでした

 今日の愛媛新聞一面の「道標」に神戸芸術工科大学の花田佳明教授の投稿記事が掲載されています。
先生の投稿は、今日が最終回です。
この記事は、一年間続きました。
本当に残念です。

 先生の記事の中にはさまざまなヒントがありました。
 例えば学生たちとの中間講評会でのやり取りの紹介がのっていましたので紹介します。
 小学校の放課後の過ごし方を充実させるような居場所を計画する。
「それだけを考えていても、結局は子ども用の「カルチャーセンター」になる。
むしろ学校の教育課程にまで踏み込む大胆な提案を考えて欲しい。」

 そのとおりだと思います。
 私自身、放課後の子どもたちの居場所をカルチャーセンターや塾にしてしまってはいけないと考えています。
この機会を利用して、子どもたちの夢をつかむきっかけや近づくための手法をつかんでもらう、そんな空間や時間を創造できればと思っています。

 そして、先生はこう続けます。
 卒業制作は、自らが思いを描く社会の建築や風景を、学生が図面や模型を使って生み出す思考実験と言ってよい。
教員も、その提案が現代社会の空間をどう批評し、変革しようとするのかを、彼らに繰り返し問いかける。
 この連載で書きたかったのは、まさにそういう姿勢の必要性、つまり政治や経済だけでなく、空間が社会を変える可能性を信じることの大切さだ。
どのような場所で僕らは暮らしていきたいのか、そのためには何をなすべきか。
そんな問いに、あらゆる領域の人々が敏感であり続けるなら、まだまだ世界は捨てたものではないだろう。

 と結ばれています。
 先生とは、一度も面識はありませんし、生きている分野も異なります。
でも、随分と学ばさせていただきました。

 本当に一年間ご苦労様でした。

男鹿和雄 展

2008年12月13日 20時50分29秒 | その他
 ジブリの絵職人

 今日、愛媛県立美術館で開催しています「男鹿和雄 展」に行ってきました。

 いやあ、凄いクリエーターだなと驚嘆しました。
 制作意欲の凄さは作品数だけでなく、下書きから完成までの過程が観れる今回の展示内容からみてとれます。

 そして、極めつけは下書きに残されている宮崎監督とのやり取りです。
何気ない下のアングルからの小学校の絵で、コメントは「もう少し運動場を広く」です。
その絵には運動場は描かれているわけではありませんが、小学校の建物が大きすぎたのでしょう。
そのせいで運動場がせまく見えるでしょうということです。
お互いの信頼関係、要求されるものを形にする力。
 凄いです。

 また、幼かった昭和三十年代の日本のどこにもあった原風景を見事に再現してくれています。
 青い空、ため息が出る自然。
 なによりも見えないものを描いています。
 光と影だけでなく、日ざし、火、雨、雨上がり、雲、霧、風、澄んだ空気。
こんなに見事に描けるものでしょうか。

 アニメの背景だとバカにしないで下さい。
 子どもの見るものだと決め付けないで下さい。
 1月18日までやっています。ぜひ、おはこびを。 

東京からの取材

2008年12月12日 20時21分59秒 | その他
 今日、財団法人 地方公務員等ライフプラン協会が発行する「ALPS(アルプス)」誌の方が取材に来られました。

 「なぜ私?」という問いかけに対しては、私のブログを見てということでした。
話を聴くと、シリーズで連載している「風を起こす」というところにぜひ掲載したいということです。
このシリーズは全国のユニークな地方公務員の方を毎回特集しており、今回6回目だそうです。
最初は躊躇したのですが、話を聴かせていただき快諾させていただきました。
またまた「目立ちたがり屋」などと揶揄される可能性はありますが、残り少なくなった職員生活の中で、後輩たちや同じ業界人の参考になればと思ったからです。

 取材内容はかなり突っ込んだものでした。
自分の生い立ちから、奉職してからの業務内容だけでなく、そこから学びとったものまで、丹念な取材でした。
恐らく人生観や価値観というものが、仕事だけから生まれてくるものではないということを理解されておられるからでしょう。
私自身も自分を振り返る絶好のチャンスとなりました。

 このために併せてつくったわけではありませんが、「自分史」なるものを既に準備していたので、かなり役に立ちました。
自分史は自分の過去を振り返るということだけでなく、未来の自分をどのように生かすかを考え始めていた時に、反省も含めてつくりました。

 定年を「終着駅」にするのか、「始発駅」にするのかは、自分自身の思いで決まるだろうと思っています。
私は、人生の最期まで働きたいと思っています。
どんなに周りの人たちに嫌がられようと。

 座右の銘を聞かれ「自分が何をしたかではなく、市民のために何をしたか」ですとお答えしました。
そして、最期まで「人のために何をしたか」を問いかける人生を過ごしたいと思います。