<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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漫才というのは見かけによらず難しい芸。
関西人なら二人揃えば漫才さ、なんていうのはあくまでも冗談でそんなに簡単な話芸ではない。
だから喋り上手いからと言ってすぐに漫才師になれるわけではないし、二人揃ってボケとツッコミができているからと言って漫才かといえばそうとも言えない。

漫才には独特のテンポと雰囲気。
そして稽古され尽くした「芸」としての成熟度と嫌味を感じさせない「知」が要求されるものだ、と私は堅苦しくかんがえるとそうなんだと思っているのだ。

最近の若手の漫才師の芸を見ていて時々こっちが恥ずかしくなってくることがある。
ギャグが滑っているのに本人たちは気づかない。
得てして雰囲気もできていないし、芸も熟れておらず、ひねり出そうとする知が痛々しい。
笑っているのは漫才師と同世代の女の子たちで、アイドルを追っかけるようにお気に入りの漫才師の追っかけているのだろうか。
だから面白くなかっても面白く感じて笑うから、やっている方も自分たちの芸が面白いと勘違いするのかもしれない。

こういう芸人だと賞味期限が非常に短くあっとい間にテレビの消費財として使用され芸が磨かれることもなく消えていくのだ。
安心して楽しむことのできるキャリアのある芸人さんが少なくなった。

レツゴー三匹の長作が亡くなったというニュースを聴いて、
「またまた上手い漫才師がいなくなった」
と寂しく思った関西人は少なくないはず。
私もそういう一人なのだ。
レツゴー三匹は「じゅんでーす、長作です、三波春夫でございます」の出だしで有名だが、この出だしのネタでさえ毎回聴いては笑っていたものだ。
しゃべくりあり、コントあり、歌ありの漫才はテンポよく、雰囲気も抜群で大いに楽しんだものなのであった。
数年前に「じゅんでーす」のじゅんが亡くなり、「三波春夫でございます」のリーダー正児が認知症になったと伝えられ、今回の長作が亡くなったというニュースでレツゴー三匹が完全に歴史の存在になってしまったことは寂しい限りだ。

考えてみればベテラン漫才はネタが同じでも大いに楽しめた。
夢路いとし・喜味こいし、人生幸朗・生恵幸子、横山ホットブラザーズ、やすし・きよし、ラッパ久丸、ダイマル・ラケット、漫画トリオなどなど。
レツゴー三匹はこういう芸人さんたちの一組であったことは間違いない。

面白かったレツゴー三匹。
上方の芸能史にそのピリオドが打たれてしまった。

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先週の土曜日。
カミさんと一緒に出かけた大阪市内中心部は静かでほのぼのとした雰囲気が漂っていた。
大阪ガスの本社近くの有料駐車場にマイカーを預けて御堂筋をぶらぶら中之島方向に向かって歩いていると、側道横に「御堂筋完成五十周年記念碑」なるものが建っているのを発見。
ここは仕事やプライベートで良く歩くところなのだが、この記念碑に気がついたのは初めてなのであった。

「いつ建てたんや、こんなもの」
と見てみると最近建てられたものではまったくなく昭和62年とある。
昭和62年というと阪神タイガースが21年ぶりの優勝し、日航機が御巣鷹山に墜落したあの昭和60年の2年後である。
まったくもって目立たない記念碑なのであった。

御堂筋といえば大阪のメインストリート。
両側に林立するビルの高さがつい数年前まで規制されていて、国内では珍しい建物の高さが揃った大通りなのであった。
それが緩和されたのは大阪維新の会による大改革。
今、この大阪の一等地の幾つかのビルは建て替えが進んでおり、通り側の面は従来通りの高さで、少し奥まったところが超高層というような街に進化しつつあるところだ。

御堂筋はかつては小さな通りでしかなかった。
そんなところを景気対策も兼ねて計画された街の一大プロジェクトが御堂筋建設計画。
地下鉄と並行して作られたことは私のような大阪人の場合、小学校の授業でも習う歴史なのであった。
巷では、
「飛行場作ってどなんすんねん」
というような批判もあったようだ。
当時、御堂筋の1ブロック西側に靭飛行場があったからそういう噂も出たのであろう。
それでも今や御堂筋は無くてはらない大阪の顔でもある。

ところで、この記念碑で最も興味をひいたのは、この御堂筋の建設費が書かれていたこと。
御堂筋の建設費は当時のお金で3375万円であったという。

これって安いのか高いのか。
はっきり言ってピンとこないので換算してみることにした。

今と違って用地買収などで工事期間が延長。
工事費用が膨らんで自治体の財政を圧迫、なんてこともなかったのだろうか。
工事期間は大正15年から昭和12年なので12年間。
旧街地から住民に移動してもらい、取り壊す。
それで新しい道を地下鉄掘りながら作ったわけだから決して長いとも言えないし、短いとも言えない。
何を基準で考えたら良いのか悩んでいたところ、ちょうど同じ頃に建設していた大阪城の現天守閣を思い出した。

大阪城は大阪市民と住友本家からの寄付金で再建されたことはつとに有名で、
「役所の力にだれが頼るか。自分らだけでやらなあかん」
という江戸時代からの浪花の人々の心意気が残っていた時代でもあったわけだ。

で、その大阪城の天守閣の建築費が約50万円。
建設は大林組。
従って、
「大阪城って誰が建てたん?」
との質問に、
「豊臣秀吉〜〜」
「違うで、大工さんや」
という大阪の子供の間で交わされるよくある冗談は正確ではなく、
「違うで、大林組やで」
というのが正しい。
談合があったかどうかは定かではない。

話がそれてしまったが周囲の城壁や城内にあった大阪砲兵工廠などの整備費用と合わせると総工費は150万円であったという。
この50万円を現在の貨幣価値に直すと200億円。
従って御堂筋の建設費3375万円は1兆3500億円。

いつの時代も公共工事はお金がかかるという、という下世話でリアルな現実を確認できた記念碑なのであった。

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