<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



私のランチ予算は毎日500円から800円。
できれば500円以下に抑えたいところだが、そうすると食べられるものが「牛丼」「はなまる」「富士そば」「マクド(全国的にはマック)」「コンビニ弁当」などに限られるので、大体は650円から700円のものを外食するようになっている。

それでも1ヶ月25日間の労働として15000円から20000円もランチに消費しているのだから、ランチ費用は馬鹿にならない。
これで外出してコーヒーなんぞを飲もうとしたら、ドトールレベルで平均一杯200円。
これも月額5000円ほどかかってしまう。

というわけで今時のランチタイムはどうやって費用を抑制するのかにかかっているわけで、一般サラリーマンの苦悩が私には切実な問題としてよくわかるのだ。
小遣いのかなりのパーセンテージを占めるランチ問題は収入支出と直結しており、収入総額が厳しいほど、苦しい毎日を送らなければならないのだ。

私の会社の若手のホープN君などは、限られた小遣いで必死に生きるために、以前一ヶ月間ランチをカップヌードルで過ごす姿を目撃したが、気の毒というよりも体を壊さないか心配になったくらいであった。

で、何が言いたいかというと、消費税率を年内にも10%にしたいのだという。
このようなアホなことを誰が言っているかというと、あの天下御免の無能政府、菅直人の政府が宣っているのだ。

現在の政治家先生は大手企業の御曹司や名門の家柄、つまりお金持ちの面々で構成されていることが多い。
このうえ、有能無能に関わらず、多額の議員報酬が支払われる上に、議員会館の食費は安く抑えられているので、私たちのような一般サラリーマンのような「ランチ問題」は抱えていない。
抱えていないどころか、存在さえ知らないかもわからず、少なくとも彼らが、

「今日は吉野家にしようか、なか卯にしようか、それともすき家かな」

と悩んでいるところなど見たこともないのだ。

このような「お坊ちゃん」「お嬢ちゃん」が政を担っていて消費税の数%のアップがどれほど市井に打撃を与えるのか考えることさえできないのだ。

しかも今回の消費税アップは震災対策に回すという話ではない。
自治体で自由に使用出来る財源を確保することが目的なのだという。

アホか、こいつら。

菅直人にしてみれば「辞めることに決めました」と国民をだまくらかすのも朝飯前。
自分たちの給与の根源である税金をこれでもか、と締め上げるのに痛さも痒さもなんにも無いに違いない。
高い税率が自分たちのクビを締め、さらにひどい泥沼に沈み込んでいくことがわからないのだ。
会社経営の経験もないような人が、国家の運営をするものじゃない。

消費税は、税率アップよりも廃止するほうが消費が伸びて国が富む。

農民の租税以外に税金のなかった江戸時代が250年間も平和に続いたことを見れば明らかなのに、なぜ、それに気づかないのか。

ニュースを見ているとイライラする。
イライラして腹がへるので、ランチタイムの節約対策が大変だ。

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ここのところしばらくご無沙汰していた大阪の繁華街のひとつ、天王寺へ買い物に行ってきた。
すると、どうだろう。
暫く見ないうちに天王寺(国道を挟んで南側を阿部野橋と呼ぶ)は激変していたのであった。

大阪には大きな繁華街が幾つかあるのだが、地方の人にとって大阪の繁華街は「キタ」と呼ばれている梅田地区と「ミナミ」と呼ばれている難波・心斎橋地区しかご存じないと思う。

「なんだ、大阪って東京に次ぐ第二の都市っていってるけど、トレンドになるところは2つしかないなんて、田舎じゃん」

と、感じる人もいるだろう。

実際は、大阪にはこのに地域以外にもバラエティーに富んだ繁華街が点在しており、その個性はある意味、キタやミナミよりも「強烈」である。

例えば京橋。
同じ地名が東京のド真中にもあるけれども、そこの場合はオフィス街。
OLやサラリーマンが闊歩しているところで、どちらかというとかなりリッチでオシャレな場所だ。
これが大阪となると「串かつ」「立ち呑み」「パチンコ屋」が立ち並ぶ「庶民の街」、悪く言えば「宿のないドヤ街」的雰囲気が漂う場所なのである。
ただ、庶民の街である一方、住友系、パナソニック系などの大手企業の高層ビルが立ち並ぶオフィス街OBPからも近く、京阪電鉄の基幹駅でもあるので、単なる「庶民の街」でもないところが面白い。

さらに例えば、江坂。
地下鉄御堂筋線が北大阪急行と名前を変える中途半端なターミナル駅で、駅前には東急ハンズやミスタードーナッツのアンテナ店、オシャレ系カフェなどが並んでいる。
私は長い間、ここのミスドがミスタードーナッツ一号店であると思い込んでいた。
なんといっても、ここにしかないメニューが並んでいるのだ。
殆どの人はミスドは実は大阪の会社ということを知らないし、ミスドももしかしたら大阪の会社であることを知られたくないんじゃないか、と思うこともある。
以上、ちょっと余談。

かつては24時間眠らない大阪市の郊外にある吹田の街としてもてはやされたこともあった。
が、ここは京橋とは反対に、おしゃれな場所であるにも関わらず周囲地域に工場街、倉庫街、スポーツ新聞の工場が点在しているうえに、高所得者が多い千里中央界隈から大阪に出るには通過地点にもなることから、「似非、オシャレ街」的雰囲気が漂っている。
(江坂の人に怒られるな.....これは)

で、天王寺。
天王寺は大阪では最も大阪らしいディープな繁華街で、キタともミナミとも一線を画す。
但し、キタとミナミとの共通点も持っていて、規模はもともと巨大だった。
その共通点はというと、「電鉄系」の街だということなのだ。

キタは阪急・阪神グループの街。
最近ここに東京資本を引きこみしてきたJR西日本が殴りこみを掛けてきて、凄い人だかりができている。
オープンしたばかりの伊勢丹は新宿本店の倍以上、毎日20万人の来客があるのだという。
これは驚くべきことで、ひとり当たり1000のお買い物でも、毎日2億の売上がありということで、百貨店である三越伊勢丹はもとより、家主のJR西日本と税務署は喜んでいることだろう。

またミナミは南海グループの街。
南海電車は直接経営の百貨店は持っていないが高島屋とタッグを組んで展開しているショッピングエリアは阪急といい勝負をしいている。

そして天王寺は近鉄グループの街。
現在、建て替え中の近鉄百貨店阿部野橋店は近鉄百貨店の本店的存在。
実はここの床面積は一時期、大阪一の面積を誇っていた。
しかも全国でも横浜そごうに次いで第2位であったことがあるような存在なのだ。

進行中の工事が終わると高さ300メートルの高層ビルが完成する。
300メートルというと近くにある大阪のシンボルの一つ「通天閣」の3倍の高さだ。
そんな百貨店、何を売るのだろうか。

天王寺はかつて、ショッピングエリアというより「ドヤ街の入り口」という印象が強かった。
これは否定できまい。
15分ほど歩くと国内最大級の本物のドヤ街が控えており、天王寺駅駅前の天王寺公園には昼間っから酔っ払らったオッサン、オバハンたちが屯しいる。
しかも仕事もせずにカラオケをガナリ立てていたような場所なのであった。

それが大きく変わりだしたのは10数年前。
市立の天王寺公園が有料になった。
「ホームレス締め出し!」
と市民団体が抗議したが、市は黙殺。
もちろん市民団体以外の大阪市民も本音が炸裂して黙殺。
公園が子どもでも安心して遊べる場所に変わった。
近鉄百貨店南側のゴミゴミしていた雑居エリアも整地再開発され、数々のファッションビルが林立し始めた。
Hoopなんてショッピングモールができ、高級ブランドが入居してきたのには、

「時代も変わったもんや」
と感慨ひとしおな状況になったのであった。

それでも、まだまだ周囲には昔の市場や商店街が残っていて、映画「ブラックレイン」にも登場したチンチン電車が走る、酔っぱらいのホームレスが植え込みのところで、寝入っているような昭和的な街なのであった。

それが先月か先々月かしらないが、激変していたのであった。

これまで未再開発であったアポロビルの南側にキューズモールというショッピングコンプレックスが完成。
従来の天王寺にはにふさわしくない多くのブティックやレストラン、東急ハンズなどがオープンしたのだった。
当然、人の流れも変わった。
これまで天王寺&阿倍野界隈の人の流れは、南方向にはなかなか伸びなかった。

なんといっても25年前に回転したあべのベルタというショッピングモールはそごうが進出したりしたが、完全に不調で、撤退。
閑古鳥が鳴き、かつての大阪駅前ビルのような状態になってしまったのであった。

「この付近には工具を出したり、自転車を置いたりしないでくださいね。無くなりますから。盗まれて」

とは当時、アルバイトで通っていたあべのベルタの建築現場での作業員説明会での監督の説明なのであった。

そんな場所が一変したのは言うまでもない。

東日本震災後、大阪の人口が増えたのか、繁華街はミナミもキタもどこもかしこも人一杯。
ここ天王寺&阿倍野地区も同様の混雑が溢れていたのであった。

庶民の街が、無くなってしまう恐れは出てきましたけど。

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先日、福島県を訪れたときに放射線被害について放射線分野の専門家と話す機会があった。
私にもそんな機会が回ってくる大変な時代になったものだ。

その時、先生はいたくお嘆きの様相なのであった。

「マスコミや政府の顧問をやっている科学者の人たちというのは、どうして提案型の解決策を撃ち出していくことができないんでしょうかね」

と嘆いていたのだ。
さらに、

「どうして原発事故に社会活動家や一携帯電話会社の社長なんかが出てくるんでしょうかね。スリーマイルでもチェルノブイリでも前線に出ていたのが物理学者ですよ」

とも嘆いていたのだ。

先生の話によると、マスコミに出てくる専門家は「わーわー巷を騒がせて、市井の不安を煽っているだけ」、政府の顧問という専門家は「お金を貰っているからかどうかは、科学的知識よりも感情論が先にたって、事態回復がちっとも進まない」というのが、物理学の専門家が見ていて感じることなんだそうなのだ。
ましてや電話屋の親父が登場してやれ代替エネルギーどうのこうの、など私見を述べて偉そうにすることなんか、海外ではないそうで、

「ほんと。どうして日本は論理より感情が先に出てくるんでしょうね。復興を阻害しているのは一部のひとがワイワイ騒いでる感情論ですよ」

聞いてみれば、なるほど、感情論。
論理的で効率的な解決策が政府、地域の自治体からまったく提示されないのはこのためだそうである。

まず、福島県の未来としては、
「ある一定の放射線とは付き合って生きていかなかればならなくなった」こと。
これが重要で、そのためには周囲やマスコミに惑わされることのない正しい科学知識が必要だ。

また「福島県の空気中の放射線量は自然放射線レベルに落ちついている」ことや「放射線を発する物質は地表に堆積しているので、その処理を考え、注意する」ことなどを念頭に対策を立てる。
例えば「グランドの土を掘り返したらなんとかなる」という噂のような情報をもとにした考えだけではもちろんダメ。
雨樋、溝、屋根などの除染も必要。
そして除染して出てきた土や泥などは、例えば原発近くに大きな穴を堀、埋める、とか低放射線レベルの土はコンクリートで固めて堤防などに使用すると害もないし廃棄物の場所にも困らない。

などなどの対策が有効なのだという。

それもこれも正しい知識で対応したら、どれもこれも解決する道は開けるそうで、危険なのは感情に走って何もできなくなることなのだそうだ。
感情に走らず冷静な情報を提供するのも政府や関係機関の任務に違いなく、実際に福島へ行って福島の人と話したら「何を信じていいのか分からない」というようなところが、最大の不安要素なのかもわからない、と思ったのであった。

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ついにPASMOを買い求めた。

私は大阪在住の大阪人で、生活の場はもちろん大阪とその周辺。
普段の買い物は主に、自宅のある大阪南部のショッピングセンターか商店街の市場。
ちょっとした買い物は難波か梅田か心斎橋あたり。
勤務している会社も大阪市内にあって、通常訪れる客先も大阪市内、神戸市内、京都市内、吹田市内や豊中市内に分散はしているが京阪神地区であることにかわりはない。
子どもを連れて行くテーマパークはUSJ。
利用する空港は関西空港か伊丹空港、まれに神戸空港も利用する。
そんな私がPASMOを購入。

実際のところ、交通系カードはJR西日本のICOCAも関西私鉄のPiTaPaも所持しているので、わざわざ新しい交通カードを買い求めるのは抵抗があった。
無駄じゃないか。
ソニーの思うつぼではないか(交通カードのFeliCaはソニーの製品)。
と持ったのだ。

ということで、嫁さんからの「カード増やさんとってや」という教育的指導もあり、ICOCAとPiTaPaでやりくりしてきたのだ。
ところが昨日、都バスに乗っていると、
「PASMOやSuicaを使って都バスを乗り継ぐと割引がある」ことを告知するスッテカーを見つけた。
「おお、都バスを乗り継ぐと、100円得になるやんけ」
渋ちんで有名な大阪人である私の血が都バスの中で踊ったのであった。
なお、一般に大阪以外では「渋ちん」は「ケチんぼ」という意味に囚われがちだが、実際には「始末家」と言う意味。
全国的に誤解を生んでいる言葉なのだ。
以上、ちょっと余談。

このブログでは時々記しているとおり、私は毎週のように東京に日帰り、或いは1泊どまり、或いは2泊どまり、さらには一週間連泊で出張している。
そういうわけで東京都内の移動が少なくない。
しかもお気に入りの定宿が電車の駅からは少しく不便なところにあるために都バスを利用することが多く、しかもバスを乗り継ぐことが多く、毎回200円を数回料金箱に投入していたのだ。

これを頻繁に繰り返してるのならPASMOの補償費500円なんか、すぐに償却できる、と確信した私はPASMOの購入に踏み切ったというわけだ。

しかし、よくよく考えてみると2年後に10数種類ある交通カードが全国共通で使えるようになると報道があったのはつい先日。
2年間待てんかったのか、というカード枚数持ちすぎの私は、少しだけだが反省したのであった。


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朝、目覚めてネットを立ち上げるとアップルのホームページにiCloudの大きなマークが表示された。
私はマックユーザーで且つ"ものぐさ者”なのでブラウザを立ち上げるとアップル社のトップページが開くのだ。

「あ、そうか。昨日はスティーブ・ジョブスが新製品の発表をしているんやった」

と、ぼんやりした頭で思い出した。

ニュースサイトやアップルのサイトの情報によると、今回紹介された新製品は新OSのMac OS10.7 Lion。iPhoneやiPad用のオペレーションシステムiOS 5。そしてmobile meの発展形iCloud。
正直、注目されるべきiCloudについてはアップル社のプレゼンビデオを見終わっていないので、よくわからない。
それに加えて、IT関係の情報サイトでも十分な解説がされていないので、「?」だ。

アップル社の提供するクラウドシステムだから、きっとシステマチックに使いやすく、カッコイイものに違いないのだろが、少しく勉強する必要がありそうだ。

で、私としては最も注目したのがiOSでもなく、新Macの新機能でもなかった。
それはなにかというと新Mac OSの価格なのであった。

新しいMacOS。
歯磨き粉のような名前のプロジェクト名LIONという新OSはApp Storeのみの発売で価格は米国でたった29ドル。
日本円で約2500円。

App Storeのみの発売というところがミソで、LIONを購入したい人はMacユーザーである必要があるということだ。
しかもMac OS 10.6snow Leopardのユーザーであるということだ。

考えて見れば、新しくMacを利用するユーザーは本体と共にOSも購入するわけだし、アップグレードしたOSを買うのもMacユーザーであるわけだから、新しいOSを購入できるのもApp StoreにアクセスできるMacユーザーだけで良い訳で、今回のアップル社の決定はそれなりに説得力をもっているというわけだ。
しかもMacは昔と違い「価格的にももはや特別な存在ではない」わけで、Mac OSが音楽CD 1枚の価格で購入できるということは、かなり大きなインパクトだ。

WindowsユーザーはWindows OSをアップグレードするときは、製品版で少なくとも約1万円は投資しなければならないことを考えると、MacOSの価格的衝撃は小さくない。
しかもMacOSはフルスペックで2500円相当。
Windowsはグレードがあってフルスペックの場合は約3万円は投資しなければならず、個人での購入も負担だが、企業での購入となると、さらなる負担になってくる。

音楽販売で革命を起こし、ソフトウェア販売で革命を起こし、携帯電話市場で大変革を起こしたアップル社はOS分野でもリードする勢いになっていることに、強い驚きを感じる。

十数年前の潰れかけのIT会社は経営者の手腕だけで、これだけ激変することには、もっと驚くものがある。


※アップル社のホームページでMacOS LIONは2600円であることを確認しました。
 ホンマ。
 えらい時代が来たもんです。

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マスコミの報道と同じく、自分の放射線に関する知識が限りなくいい加減なので何か良い書籍はないものか、と書店の科学コーナーをウロウロしていたらブルーバックの「世界の放射線被爆地調査」(高田純著)を見つけた。

この本は、広島大学教授の著者が世界に点在する放射線被害を受けた場所を訪れて実地に調査したものをまとめたものだ。
客観的に調査していることに加え、それぞれの地域の苦しみというものを単なる科学者ではなく人間という視点から見つめているのが印象的だ。

ビキニ環礁。
チェルノブイリ。
東海村。
などなど。

名前を耳にして知らないところはないくらい、「被爆したこと」で著名な場所だ。
ここに福島県が加わることになるのだろうが、こんなことで世界の歴史に名を残すようなことは決して繰り返してはならず、福島原発事故の一刻も早い終息が望まれるところだ。

本書を読んでいてやはり「広島」という言葉は、世界の被爆地域にとって特別な場所であることを改めて感じた。

「日本の広島の大学から先生が来ている」

日本の、ではなくて、広島の、という言葉で旧ソ連の片田舎でも、南太平洋でも現地の人達は調査にきた者を信頼して、放射線の影響を訊ねにくる。
そこには自らの政府が発表する調査結果ではなく「広島の」学者だからこそ真実を語ってくれるのだ、というような雰囲気があるのだ。

チェルノブイリの被害にあった一部の地域のように、未だに人の住めないところがあることに愕然とすることもあるが、ビキニ環礁のように、人が住んでも大丈夫にまで放射線の影響が薄れた場所もあることに、なんとなく胸をなで下ろす気持ちになる。

ところで、本書の中で最も印象に残ったのは、実は放射線の調査報告ではなかった。

著者も本書の中に記しているが、「広島の復興について記された書物がほとんどない」ということに少なからず驚き感じた。
著者は簡単に昭和20年8月6日以降の広島の復興へ向けた動きを紹介しているが、これを読んでいると、福島原発の終息に向けて活動する多くの人々はもちろんのこと、今の日本人全員は広島がいかにして復興し、人口120万人の大都市へと発展したのか学ぶ必要があると感じたのだった。

人類初の放射線被害。
それも原発ではなく、原爆。
高度600メートルで数億度の火球が炸裂し、その高熱と放射線、中性子の嵐。そして秒速200メートル以上の風が街を根こそぎにした。
死者はその年の12月までに14万人。
市民の3人に1人が命を落とした。

津波で破壊された東北の沿岸の街よりもさらにひどい状態だったかもしれない広島の街。
今、その戦後は「悲惨さ」だけが強調されるが、その復興力には目覚しいものがあったようだ。

以下引用

8月6日 原爆投下
8月10日 京都帝大調査
8月15日 終戦
9月17日 枕崎台風被害発生
10月1日 理化学研究所調査
10月~  仮設住宅の建設
11月~  路面電車の広島市内主要路線が営業再開
11月18日 えびす神社再建、翌日祭り
1月8日 広島復興局設置
4月   5カ年に及ぶ広島復興都市計画決定
5月31日 市内水道70%復旧

そして8月には新芽が発芽して緑が街に戻り初めた。

現在の広島は区画整備がきっちりとなされ、地方都市にしては広い道路や路面電車の交通網が発展している。
正直、美しい街だ。
これは原爆被害にめげずに、逆にそれを機会に都市整備に着手した当時の人々の強い実行力と決断力、そして日本人としての精神力の賜物だと言えるだろう。

菅総理に当時の広島の人達や国の指導者の能力の数パーセントでもあれば、今のような事態に陥っていないはずだ。

ということで、本書はタイムリーで是非一読をオススメしたいと思っている一冊だ。

なお、広島で生まれた原爆2世に放射線被害者はゼロなのだという。
これも福島県とその周辺地域に人々にとっては、勇気をくれる情報ではないか、と強く思ったのであった。

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不信任案を提出されて、議会通過しそうだから、

「めどが付いたら、辞めます」

と仄めかし、同情を誘う。
でもって、不信任案が無事否決されたら、

「なんちゃって~」

と言って「辞任しないよ。言ってみただけ」という菅直人のような政治スタイルを「なんちゃって政治」という。

ついに海外からも非難され始めた日本の政治。
震災の被害者なんか知ったことじゃない。
どうなっても構わない。
自分の政治生命が維持されれば、国なんかどうなってもヘッチャラさ。

というのが、今の民主や社民党、ついでに野党自民党や公明党の政治スタイル。

現代日本の「なんちゃって政治」。

もはや「革命しか無い」と、思ったところで、国民は国民で「マニュアル化」されているので融通が効かず、権利だけ叫んで、義務やリスクを負わない人が多いから、なんともなりそうにないのが、かなり悲しい。


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東京都写真美術館を訪れたのは、実はコレクション展「子供の情景ー戦争とこどもたち」を見るためではなかった。
2階展示室で開催されていた「ジェセフ・クーデルカ プラハ1968」を観ることを目的に訪れたのであった。

私が最も好きな写真のジャンルは「報道写真」。
これは学生の時に担当してくださったY助教授がドキュメンタリーを重んじる写真家であったことに少なからず影響されている。

「一瞬を切り取る」

写真は、フィルムやビデオで見る世界と比べると、時間経過が無い分、その時の出来事が瞬時に凝縮され、強烈な力強さを秘めているのが魅力なのだ。

以来、色々な報道写真展を見に行ったり、ライフの写真集を買い求めたりしていたが、その習慣は今も尚、残っていて今回のような展覧会が開かれていると足を向けたくなってくる。

今回の展覧会は「プラハの春」という20世紀を代表する大きな出来事をテーマにしていただけに、私は興味津々。
早く、観に行く機会を作ることはできないかと、そのタイミングを見計らっていたのだ。

結論から述べると、写真そのものよりも、そこここに展示されている、当時のチェコの新聞と、ソビエト国営タス通信の記事の対比が最も興味深く、かつ不気味なものを醸し出していた。

自由世界を垣間見ようとしているチェコの新聞は、ソビエト軍侵攻の一部始終を冷静に、かつ正確に伝えようとしていることに対し、タス通信はソビエトの社会主義的イデオロギーを全面に押し出し、事実を捏造し、正義を創作していることなのであった。

このようなマスメディアの情報操作は今も決して少なくないが、インターネットはおろか自由に海外のメディアが取材することもできなかった「プラハの春」は、ある種の恐怖と自由市民の闘いであったことが、写真と共に、よく理解できる展覧会であった。

チェコが自由を手に入れたのは、あの写真から20数年後。

今だからこそ、客観的に鑑賞することのできる報道写真展なのであった。

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