<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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東京大学の佐古田敏荘教授、涙の会見。

失礼ながら「私のヒューマニズムが許さない」と泣き出した記者会見を見た私は「どこかで見た景色だな」との印象を受けたのであった。
その印象とは......。

山口県光市の母子殺人事件の被告少年の今枝弁護士、別名「ドラえもん弁護士」涙の記者会見、なのであった。

大きな責任を担っている大人が、しかも社会的にある程度地位が高い大人が記者会見という場所に於いて泣き出すなんてどういう了見なのだろう。
これではまるで恋人と別れて涙する芸能人のようで、おかしいと思わないのだろうか。

かたや弁護士。
かたや東京大学教授。
どちらも立派な社会的地位にいる人達だ。

市井が知りたいのはどちらも客観的な真実であって、個人的感情ではない。
正義は個人的感情を起因して生まれるものかも知れないが、少年犯罪にしろ原発事故にしろ、どちらも大きな公共の問題だ。
個人的にビービー泣いている暇は、一般市民には無いのである。

今回の原発事故については、菅政府と東京電力という指導力も誠意の欠片もない集団が、学識経験者や自衛隊、消防隊などへの他人任せで事態収拾に当たっている点が問題になっているのだ。
その証拠に、他人任せにされた東大のセンセイは記者会見で泣いてしまった。

放射線量が何ミリシーベルトで、それはどのような性質の放射線のことで、普段なにもなかった場合の数値と今回の事故後の数値はどう違うのか。
科学的にはどういうことか。
そういうところがまったく正しく伝わっていないのだ。
しかも週刊誌の記事など見ると、
「1960年代から70年代に大陸で中国やソ連が原爆実験した後のほうが、今より6倍も放射線量が高かった」
などと報道されると、新聞やテレビはいたずらに大騒ぎしているのではないか、と思われてならない。

原発事故は想定外なので研究してませんでした。では、無責任するぎるんじゃないですか、日本国の原子力科学者および技術者のみなさん。
ということころだ。

駅売店で販売されている夕刊紙や普段はヤクザ記事かヌードグラビアが売り物の三流週刊誌のトップの見出しには、
「日本崩壊」
「放射線量致死量」
「向こう30年は人が住めない」
などのセンセーショナルな内容が目立つ。
新聞雑誌を売らんがするための努力かもしれないが、こういうウソ情報を真に受けて一人歩きさせるひとも多く出る世の中なので、こういうものを規制させるのも政府の役目。
憲法に触れずに規制させるのは至難の技だが、そういうことを任せるために国民は高い税金払って政治家を雇用しているのだから頑張てもらわなければ話にならない。

新聞、テレビの記者や社員は原発50キロ範囲には立ち入ってはならない、という社則が各社ともあるらしく、そんなマスコミの報道や東大教授の涙の会見、他人ごとよろしくの菅総理、役員報酬と賞与と退職金だけが気になる東電役員の出している、どの情報を信じれば良いのか。

知りたいのは客観的真実で、政府による立ち入り規制でも、農産物の出荷規制でもないのだ。
ましてや菅総理の政権しがみつきの醜態では絶対ないのだ。

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「ハックショイ~ン!」
と誰かがクシャミをしたら、
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」
と、ふざけているのは、もはや我が家だけなのかもわからない。

今や街中にマスク姿が溢れている。
ヒコーキの中。
電車の中。
バスの中。
会社の中。
繁華街。
得意先のお茶OL。
アイスクリーム屋さんの店員。
などなど。

あまりに多すぎてなんの違和感も無いみたいだ。
その為に、ちょっとしたクシャミや咳払いもやりずらい雰囲気がそこら中に広まっている。

ちょっとクシャミをしただけで鳥インフルエンザかSARSかと疑われるのだ。

中学生ぐらいの頃だったか、風邪の流行っている時期を狙って東京駅あたりで撮影されたマスクを付けた通勤客の姿の写真に、
「空気が汚れてマスクをしなければ生活できない日本の現状」
という報道をした外国メディアがあって大騒ぎになったことがあったけれども、それと比べても今のそれは異常だと思うのだ。

ジェニファー・アッカーマン著「かぜの科学」(早川書房)によると風邪のウィルスに感染することは「避けたがよかろう」ということがある反面、人間の免疫系強化には「不可欠な側面」が存在することが知るさせれていた。

人は一年に最低一度は風邪を引くそうだが、症状の出る人と出ない人がいる。
その原因は今のところ不明なのだというが、例えばその時の精神のコンディションによっても大きく異なるというのだから、人と風邪のメカニズムは不思議なのだ。
さらにもっと不思議なのは「一般的な風邪」であるライノウィルスに感染して症状が出ていると、致死率の高い恐ろしいインフルエンザには感染しないということだ。

風邪の原因になるウィルスは十数種類あるのだそうだが、症状が出るかでないかは運次第。
「私は風邪なんか引いたことはありません」と言う人の血液検査をしてみるとたいてい抗体が存在していて風邪ウィルスに感染したことがあることを示すのだという。
風邪ウィルスの抗体を持っていないと、悪影響が生じることもあるようで、風邪がポリオのように絶滅してしまうと恐ろしい事になるかも知れない、と言う推測は実に恐ろしいのであった。
つまり、風邪というのは人類にとって成長や健康維持になくてはならない悪友のようなものなのかも知れないと思った。

風邪に関する様々なエピソードがちりばめられており、医学的な知識が少なくても「ふーん、なるほど」と楽しむことが出来る一冊なのであった。

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