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「子どもは独特の輝きを放っている」

東京都写真美術館で開催されているコレクション展「子供の情景ー戦争とこどもたち」を鑑賞してきた。
懐かしさと衝撃が同時に心をとらえる印象的な展覧会なのであった。

主に日本国内で撮影された戦前戦後前後10年くらいの写真が展示されているが、ユージン・スミスやキャパが撮影した海外の作品も多数展示されていた。
中でも原爆投下直後に撮影された長崎の写真や終戦直後に撮影された東京風景は、知っている写真も少なくないにも関わらず、かなりショックが大きかった。
とりわけ大震災とそれに続く原発事故で大きく国が揺れている現在の雰囲気の中、その写真を見た印象そのものが、大きく変わっていることに感じずにはいられない。

原爆の爆風を浴びて、顔中怪我だらけの子ども。
身体のほとんどがケロイド状になって死を待つだけ、細い息を吐く乳飲み子。

こういう非戦闘員さえ無差別に殺戮させていしまうことになる戦争の悲惨さ。
それは現在でもなお、地球上の何処かで原爆こそ使用しないが似たような状況が繰り広げられていることを考えると、どうしようもない無力感に囚われる。
白黒写真が津波で被災した被害者の写真と重なって、よりリアルに感じられた。

栄養失調の子どもたち。
靴磨きをして生計をたてている子供たち。
乞食をする父と子。
家なしの子ども。
これもまた、世界の乏しい国々では今もなお展開されている光景だ。

今の日本なら社会が決して許さない光景がそこにある。
それら一枚一枚の写真から伺える「日本は昔は、こんな国だったのだ」という驚きは、書物や聞き伝で知っていても小さいものでは決してない。

例えば、津波で壊滅的になった街に親を亡くして乞食に身を落とした子供たちがいるだろうか?
原発の影響を無差別に受けて、治療もろくに受けることができない子供たちがいるだろうか。
現在ではそういうことはありえない。
それは常識ではけれども、たった半世紀の日本はそれは常識ではなかった。
社会にはびこる矛盾をなんとかしようという気持ちはあったかもしれないが、それをなんともできない非力さが、まだまだ存在していた。

そういうことをの感じるだけでもこのコレクション展の重みが伝わってくるのだ。

それでも、子ども表情や姿は、苦しい社会の中にも明るさがある。

「子どもが放つ独特の輝き」

とこの展覧会の挨拶文に表現されているその言葉は、なによりも大きな今回のテーマだ。
いや、この展示会だけではなく、今の日本を包み込む言い知れぬ不安感を吹き飛ばす、大きなテーマなのだ。

ありきたりの写真展と思って「とりあえず」鑑賞してみたが、意外にも多くのことを学び、掴んだ展示会なのであった。

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