<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





子供の頃、天王寺動物園に連れていってもらった帰りは新世界に寄り道をしたものだ。
目的はジャンジャン横丁にあった弓道場で弓を射って遊ばせてもらうことと、食堂で夕食をたべること。
子供心に庶民的で面白いところだと思った。

今でこそ新世界は串カツだとか通天閣だとか大阪の観光地のひとつとなっていて、地方からも遊びに来る人が少なくない。
しかし1970年代初めの頃は、人は多いがくすんだ街で、やはり子供心にも家族で夕食をたべるのなら、ホントは難波や梅田に行きたいと思った。

ある時、母が動物園に連れていってくれた帰りにジャンジャン横丁を通り抜け、国鉄新今宮駅前の大通りも渡って南に続く商店街へ私の手を引いて入っていったことがあった。
「ここは怖いところやで」
と教えてくれる母の声がちょっとばかり緊張しているのが子供心ながら私にも分かった。
怖いところへ、どうして私を連れて歩いているのだろう。
それに、どうしてこの辺りが怖いのだろう。
私には分からなかった。
ただ、商店街を歩く人々の服装が新世界あたりよりもさらに地味になり、酔っ払いの数が増えたり、道端で寝ころんでいる人の姿が増えてきたりして、明らかに独特の暗い雰囲気がただよっていたのが気になった。

結局、商店街を南に数十メートル入っただけですぐに引き返した。
あの時、どうして母があんなところに私を連れて行ったのかは分からないが、たぶん、こういう街があることを子供の私に教えておきたかったのかも分からない。

こういう街。

つまり、釜が崎は日雇い労働者の街で、日本全国から流れ込んできた様々な人たちが「ドヤ」と称される簡易宿泊所やアパートで生活をしている日本版スラム街である。
このスラム街を「ドヤ街」と呼ぶ。
ちなみに釜が崎は地名ではなくエリア名の俗称だ。
ドヤ街、釜が崎をスラム街と書くと非難もあるかもしれないが、この地域が普通の場所ではないことは間違い。
地域を管轄する大阪市西成区役所の社会福祉担当の職員数が数百人という全国でも最大規模の職員を抱えていることでも分かるように、他の地域の価値観で見ると常軌を逸している地域であることが分かる。
地域の駅である新今宮駅には小便のニオイが立ちこめ、萩ノ茶屋駅では慣れないものは乗り降りするのも躊躇われる目に見えない力が漂っている。
20年ほど前には大きな暴動が発生し、大阪から和歌山へ向う国道26号線は数日間に渡って閉鎖されたこともあった。

マンガ「じゃりん子チエ」の舞台でもあるこの街は、最近外国人バックパッカーの姿が目立つようになってきたが、基本的な雰囲気は今も変わらず、用事がなければ立ち寄って見たいと思うような場所では決してないのも、正直なところだ。

この釜が崎と呼ばれる大阪の「地域」の東京版が「山谷」である。

山谷には私は足を向けたことはないが、釜が崎の3分の1ぐらいの規模のドヤ街で、釜が崎の地名がそうであるように山谷もまたエリア名の俗称である。

この山谷に実際に住み着いて労働者として働き、地域のコミュニティーにまで参加した米国人学者が著したノンフィクションが「山谷ブルース」(講談社α文庫)。
外国人から見た山谷の姿が描かれているのだが、その筆致には日本人では描くことのできない生な「ドヤ街」の姿がある。
ここへ流れ込んできた人々への一連のインタビューにはとりわけ感慨を深くするものがある。
というのも、ドヤ街、スラム街、と言われるような、いわば底辺に住む人たちのそれぞれの歩んできた道を、自分の歩んできた道と照らし合わせると、もしかすると自分自身もちょっとしたきっかけがあれば、同じ道を歩んでいたのではないか、と思われる自分自身も体験した数々の危うさを含んでいたからだ。

山谷で生きる人々を通じて、人の弱さや孤独さといったものを、改めて考えさせられた。
普段、意識することのない生と死がこの街では意識させられる。
それは普通の生活の場では決して表に出てこないものが、この街では露になっているからに違いない。

労働者を取り仕切る手配師やヤクザといった人々と、企業の経営者は本質的にどう違うというのだろう。
その日の糧を得るための労働に、なんの違いがあるのだろう。
ひとつ間違えば安穏と暮らしている普通のサラリーマンもちょっとしたことで失職し、その日暮らしにならなければならないこともあり得る。
とりわけ中年層以上には、この国での社会構造は復職が難しい。
家族を養えなければ、家族を捨てる人、家族に捨てられる人も出てくるだろう。

山谷とその他普通の街は表裏一体の姿を有しているのだ。

「山谷ブルース」

読み終わったあと、あの日私が感じた母の緊張感が違うものになった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« ミャンマーの... さらば、ホン... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。