<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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最近、劇場で公開される洋画は日本語吹き替え版が少なくない。
なんでも「字幕を読むのが面倒くさい」という人が増えてしまったのが理由だという。
読書離れの影響がこういうところまで波及しているのかもわからないが、やはり洋画はその国の言語で聞きながら雰囲気を楽しんで、字幕で意味を追う、というのが正当な鑑賞の仕方だと思うのだが、それって古い考えなのだろうか。

が、それはともかく、大人の見る映画が「吹き替え」というのは考えものだが、子どもが見る映画が「吹き替え」というのは、まま致し方あるまい。

ということでユニバーサル映画のCGアニメ「怪盗グルーの月泥棒」を鑑賞してきた。

この映画、まったく関心どころか、こんな映画が公開されるなんてこともまたく知らなかった。
そんな映画をどうして知ったのかというと、別の映画を鑑賞したときに予告編を見て、「ほほ~、これは面白いかもわかんな~」と思ったのでチャンスがあれば観に行きたいと思っていたのだ。

問題は、オリジナルの英語版で公開されるだろうか、ということだった。
なんといってもアニメ映画。
ピクサーの作品でさえ字幕スーパー版で公開される劇場の少ない昨今、無名のアニメ映画なんぞ、子供の客を見込んで英語で公開されるなんてことはないかもわからんな、と思っていたらホントに字幕スーパー版の上映は少なくとも大阪では皆無。
仕方がないので日本語吹き替え版を見に出かけた。

「どうせこんな無名の映画、ガラガラやろ」

と高を括ってチケットを劇場窓口で買い求めようとしたら予想に反してかなりの混雑。
窓口のプラズマビジョンに映し出されてる残り席数に「△マーク」がついていて少しばかり焦ることになった。
さらに、この映画を観るために並んでいる親子連れの子供の年齢層の低いこと。
ほとんどが幼稚園か小学校低学年ぐらいのガキどもなのであった。

「これ、小さい子が見る映画ちゃうん」
と小学六年生の娘に指摘されたが、ただ「オモロイかも」というのが理由だけで見に来ている私としてはどう説明することもできず、
「でも、アメリカ映画やし」
と意味不明な解答を返すしかなかったのであった。

しかし、考えて見れば映画の配給会社などいいかげんなもので、見る者の年齢層をちゃんと考えているかどうかなんぞ、わかったものではないことは事実だ。
1978年のSFブームの時、この映画は面白い、と子供向けに公開された「フレッシュ・ゴードン」という映画は、正直言って、ポルノなのであった。
タイトルが「フラッシュ・ゴードン」のパロディーになっているだけ、ということで、お子ちゃま映画だと配給会社のおっさんどもは判断したのかも知れないが、「フレッシュ」とは、まさにあのコトであると知ったのは、当時高校一年生であったこの映画で初めて私が知った英語のスラングなのであった。

ということで、「怪盗グルー」もそんな映画ではないかと思ったのだった。

しかし、そこはポルノを子供に見せる時代ではない。
「怪盗グルー」は子供も大人も楽しめる、ピクサーほどではないが、キャラクターの個性も輝き、ストーリーも練られている十分に楽しめるエンタテイメント作品なのであった。

ただひとつ、「笑福亭鶴瓶」の吹き替えを除いて。

配給会社の担当者はポルノを配給するようなアホではなかったが、吹き替えに対するセンスがアホな人たちなのであった。
だいたい主人公に関西弁を話す素人声優の落語家を当てはめるなんぞ言語道断。
シュレックの主人公に関西弁しか話せない漫才師を当てはめたのと同じミスをしているのであった。

なかなかよくできたストーリーとキャラクター設定であるにもかかわらず、主人公が大阪弁を話すのは大阪人である私でさせ許すことのできない「雰囲気ぶち壊し」演出なのであった。
スクリーンから流れてくる主人公の声は笑福亭鶴瓶以外の何者でもなく、画面と声が一致しない不自然さについに最後まで慣れることはできなった。

今後映画は、DVDになってから鑑賞したほうが良いのではないか、と確信させてしまうような良いストーリーで悪い吹き替えの映画なのであった。


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